下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

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レビュー : 201
著者 :
schopenhauerさん 社会学   読み終わった 

 本書は内田の友人が開催した講演会で内田が語った内容を文書に起こしたものである。それだけに分かりやすく、また断片的な著作が多い内田作品の中では珍しく一貫したテーマを扱っていることもあって、それでなくても売れている同氏の本の中でも際立った売り上げを記録した。
 テーマは「学ばない子どもたち」と「働かない若者たち」である。内田によれば両者は同じ根を持っており、それは戦後日本における生活スタイルの変化と無関係ではない。
 日本国憲法によれば教育を受けることも労働することも、ともに国民の権利であると同時に義務である。だが今の子どもたちや若者たちは、少なくともそれをありがたい権利とは思っていない。むしろできれば避けたい苦役だと思っている。なぜだろうか。
 内田によればそれは、かつて子どもたちは労働主体として社会共同体へ参画したのに対し、現代ではまず消費主体として社会に参入していることに原因があると説く。
 内田は言う。子どもが親からお小遣いをもらって初めての買い物をするとき、記憶に刻み込まれるのは法外な全能感であろうと。商品売買の場面において、買い手の年齢など売り手はカウントしない。お金さえ払ってもらえれば、大人と全く同じ待遇をする。買い手としてそのような経験をした子どもは、この世はお金が全てであり、あらゆる関係を損得勘定(≒無時間モデル)でとらえようとする。教育さえも。それゆえ子どもたちは教師たちに問う。何のために勉強するのか、こんなことを覚えて何の得になるのか、と。
 労働に関しても同じことが言える。初めから消費主体として社会に参入した若者たちには、社会への恩返しとしての労働というモチベーションが欠落している。よって若者たちは問う。どうして働かなければならないのか、と。
 だが内田によればそれらの問いは間違っている。われわれは生れ落ちたときにすでに社会に参与している。それは自分の自由意志の問題ではなく、そこから自由意志が生まれるところの前提としての環境であり、選択の余地はない。あるいはすでに選択は終わっている。最初に労働主体として社会に参与していれば、上のような誤った問いが発生することはなかったであろう。
 内田樹は哲学者と呼ぶには何かが足りない(もしくは過剰である)ような気がするのだが、とにかく書くのが上手い。雑然としている世の中を実にクリアに切り裁き、しかも面白おかしく語ってくれるものだから、読者は何だか得をしたような気分になる。これだけ売れているのはビジネスマンでも興味が持てるようなテーマを一貫して扱っているためであろう。買って決して損はない啓蒙書である。

レビュー投稿日
2019年7月9日
読了日
2007年3月14日
本棚登録日
2019年7月5日
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