日本語とドイツ語で創作や自己翻訳を行っている多和田葉子氏のエッセイ。
ダカールからマルセイユまで、世界の様々な都市を巡りながら、著者の言語に対する
鋭敏な感覚で「母語の外へ出る旅」の様子が描写されている。
表題にも含まれる「エクソフォニー」というのは、「母語の外へ出た状態一般を指す」らしい。
多和田が紹介したことにより、日本の文学研究でもこの語が使われ始めたとか。
フツーな感覚から考えたら、日本語で書ける作家が、なぜわざわざドイツ語でも書くのか、疑問に思うだろう。
当然、日本語のほうが自由に操れるはずだし、効率よく書けるはずだ。
子どものころからドイツに暮していたならともかく、彼女がはじめてドイツで生活したのは大学を出てからだ。
こうした疑問に対する多和田の答えは、エッセイの中に書かれている。
「わたしはA語でもB語でも書く作家になりたいのではなく、むしろA語とB語の間に、詩的な峡谷を見つけて落ちて行きたいのかもしれない。」(p.32)
なるほどねー、
とすぐに納得できるような話じゃないけど、なんとなく分るよ。
しかし、これじゃあ著者の自己満足に過ぎない、と思うひともいるだろう。
だいいち、ほとんどの読者は日本語かドイツ語のどっちか一つしかできない。
「詩的な峡谷」を、読者は著者同様に見つけることができるのか?
まあ、百聞は一読に如かずということなので、実際に彼女の作品を読んでみるのが手っ取り早いだろう。
で、読んだのは『旅をする裸の目』だが、これについてはまたいつか。
- 感想投稿日 : 2012年8月12日
- 読了日 : 2011年5月12日
- 本棚登録日 : 2012年8月12日
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