千のプラトー 中 ---資本主義と分裂症 (河出文庫)

  • 河出書房新社 (2010年10月5日発売)
3.75
  • (12)
  • (2)
  • (10)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 303
感想 : 9
5

「生成変化」「リトルネロ」および、既出ではあるが幾度もリロードされアップデートされる「(脱/再)領土(化)」の3つの概念が中巻においては差し当たり極めて重要。その周囲に彼らの独創的ではっとするようなテリトリーがあり、おそらく彼らの予想を越えた含蓄がある(その予感が「文学をひきあいにだしすぎる」と非難されながらも[上p ]、文学性に近づけた動因ではないだろうか。その美しい表現は、まわりくどく曖昧ないいかただととらえることもできるだろう。しかし、「すべてを曖昧にしておくのは容易だなどと考えないでほしい。」[p64])。

第7-9章は、それらの重要な概念をもちいた実践例。「顔貌性」や「切片性」といった概念は触発される美しい概念ではあるが、周辺機器であり、実践の結果細分化されたもの。ただし、「此性 hecceite」は散発的で短命(※その前後で表立たない)だが、重要[p208「人称や主体、あるいは事物や実体の個体化とはまったく違った個体化の様態がある。われわれはこれを指して<此性>hecceiteと呼ぶことにする。」]。そうはいっても、ひとによって、気分によっては有用性がありうる。

馴染みがないひとは、事前に「原子」「分子」「モル(状)」「質量[料]」「コード(化)」「強度」「速度」などについて調べて、自分なりに考えておくとつまずかない。メタファーに馴れないと翻弄される。こんな絵画的な書物はない。いや、地図的な書物だ。たとえば、「存立平面」「緯度」「経度」といったなぞらえは、「地図化すること」に基づいて理解できる[p207「存立平面の上では、一つの身体はもっぱら経度と緯度によって定義されるのだ。」]。地図はつかうことができる(車のナビ…)。それはリゾームともたとえられる。それが「千のプラトー」全体を貫く原理であり、この書物が目指された姿。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学
感想投稿日 : 2012年12月29日
読了日 : -
本棚登録日 : 2012年10月6日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする