魔王 (講談社文庫)

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本棚登録 : 22679
レビュー : 1975
著者 :
shinyataguchiさん 小説   読み終わった 

ある特別な力を手に入れた主人公がその能力を利用して世界を変えようとする物語、というと、思い浮かべるのは「他人の心を読む能力」だとか「誰かを自分の意志のままに操る能力」だとか、「未来を予見する能力」だとか「ノートに名前を書くだけでその人物を殺害できる能力」だとか、そういうのが多いんじゃないだろうか。
しかしこの小説の主人公に与えられた能力は、「自分の思念を相手に喋らせることができる」という、それだけのものである。

主人公は自分自身の肉体に相当な負担を強いるらしいこの能力に侵されながらも、一人の政治家に近づいて、その口からある言葉を話させようとする。
「そんなことで世界は変えられるのか」、「無理だ」、「俺がどうこうできるものじゃない」、「なら、どうして進むのか」、自問自答しながら主人公は、ぼろぼろになった体を引きずって「力」を使おうとする。まるで、「力」を持ってしまったがために生まれた、已むに已まれぬ衝動に突き動かされるように。

この「力」とは、もしかして小説家にとっての、「小説を書く」という行為そのものの寓意でもあるのかもしれない。
「こんなことでは世界は変えられない」と分かっていても、それでも小説を書かずにはいられない。
ぼろぼろになって、息も絶え絶えになっても、それでもこの「力」を使うしか自分にはない。
主人公が「力」を使うとき、集中力を高め、相手の姿を視界にとらえ、相手の中に自分を潜り込ませ、その姿に自分を重ねるイメージをする、という過程が必ず描かれている。それはきっと小説を書く時に小説家が行うことと同じなのではないだろうか。そうして小説家は、自分が生み出した作中の人物に自らの思念を喋らせる。まるで言霊みたいに。

シューベルトの「魔王」以上に、宮沢賢治の詩二編が頻繁に、印象的に引用されていた。
生前には無名だった宮沢賢治は、岩手で自然の力と向かい合う生活を送っていた。
しかし死後に多くの作品が発見された宮沢賢治は、今でも言葉だけの存在になってそこに居る。
「安藤兄弟」二人の人格を束ねたのが、恐らく作中で使われる「宮沢賢治」という存在なのだろう。「呼吸」で、兄を失った弟が移住する先が「岩手」である、というのも思惟的に思える。

というのは個人的な、恐らく屈曲しすぎた解釈なんだろうけど、幾つもの隠喩が隠されていることには間違いない。

世界を変えるにはどうすればいいのか?
きっと、ペンは剣よりも強し、だと思う。
小説って面白い。言葉ってすごい。

レビュー投稿日
2012年11月1日
読了日
2012年10月31日
本棚登録日
2012年10月31日
4
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