堕落論 (角川文庫)

3.87
  • (84)
  • (92)
  • (93)
  • (13)
  • (1)
本棚登録 : 1350
レビュー : 119
著者 :
佐藤史緒さん ・戦後昭和時代の文学   読み終わった 

 焦土、と言っていいだろう。家は焼け落ち、田畑は荒れて、路傍には浮浪者がうずくまる。人々は闇市に行列を作り、娼婦と孤児が夜の街を徘徊する…。どこか遠い国の話でも、マンガやラノベの話でもない。たかだか70年と少し前、他ならぬ私たちの国で、普通にみられた日常風景である。

 太平洋戦争後の混乱の中で、坂口安吾の『堕落論』は書かれた。わずか十数ページの小論文だが、そこに込められた熱量は凄まじい。「建設のために、まず破壊を」と説く過激さは狂ったテロリストのようでもあり、人間を見つめる静謐な眼差しは有徳の僧のようでもある。野蛮さと格調高さが奇跡的に融合した名文だ。

 かつては国の為に命を投げだした若者が闇市の商人になり下がり、貞淑だった戦争未亡人は別の男を追い求める。それはしばしば言われるように、敗戦によるモラルハザードなのだろうか? 安吾の答えは否である。敗戦は関係ない、それが人間の本性なのだ。戦争に負けたから堕ちるのではない、人間だから堕ちるのだ。

 安吾曰く、戦中の日本は美しかった。だが忠義と貞節など、美しい国を支えていた美徳は結局、空虚な幻影に過ぎなかった。その証拠に我々は、昨日までの敵国に、今日は嬉々として隷属しているではないか。我々は放っておけば、いとも簡単に二君に仕え、二夫にまみえてしまう民族なのだ。だからこそ為政者はことさら理想論を振りかざして、美徳という名の鎖で民衆を縛りつけずにはいられなかったのだ…と。

 戦後レジームが日本人を堕落させたのではない。日本人はただ本来の姿に戻っただけだ。生きてゆく以上は堕落するのは避けられず、その現実を受け入れるところから真の復興が始まるのだ。人間は弱いから、幻影にすがらずに生きることはできない。だからと言って、戦前の亡霊のような徳目を今更持ちだしたとてなんになろう。一人ひとりが生身の体で人間の「生」を体験し、実感として掴んだ血の通った理念のほか、すがるべき幻影などありはしない。…と、安吾は言っているように思える。

〈生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか〉

『カラマーゾフの兄弟』の未完に終わった第2部で、皇帝暗殺を企てるのは、敬虔なクリスチャンの三男であったという。してみると、テロリストのように民衆を煽動し、僧侶のように人間を慈しむ、安吾の思想にも矛盾はないのかもしれない。一流の聖職者ほど、闘争を厭わない激しさを心に秘めているものだろうから。硬直したシステムに風穴を開けることなしに、システムに押し潰されて窒息しかけている人を、救う手立てはないだろうから…。

 発表から70年たった現代でも少しも色褪せず、読む者の胸を打つ名文である。

レビュー投稿日
2018年2月25日
読了日
2018年2月24日
本棚登録日
2018年2月25日
20
ツイートする
このエントリーをはてなブックマークに追加

『堕落論 (角川文庫)』のレビューをもっとみる

『堕落論 (角川文庫)』のレビューへのコメント

まだコメントはありません。

コメントをする場合は、ログインしてください。

『堕落論 (角川文庫)』に佐藤史緒さんがつけたタグ

ツイートする