日の名残り (ハヤカワepi文庫)

4.08
  • (657)
  • (582)
  • (412)
  • (40)
  • (12)
本棚登録 : 4969
レビュー : 685
制作 : Kazuo Ishiguro  土屋 政雄 
佐藤史緒さん イギリス文学   読み終わった 

人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ――とは、喜劇王チャップリンの名言だ。私は若い頃、悲劇の対義語は喜劇だと思っていたが、歳をとるにつれ、悲劇と喜劇は大抵セットでやってくることが実感として分かるようになってきた。セットというより、同じコインの裏表という方が、より適切な表現かもしれない。

カズオ・イシグロの小説は、そのことを端的に私達に示してくれる。特にこの『日の名残り』という作品はそうだ。とある屋敷に勤める老執事の視点を通して、失われゆく古き英国を淡々と描いたこの物語は、人生下り坂に入ったと感じる者のみが理解しうるユーモアとペーソスとに満ちている。

簡単な一言が言えなかったばかりに失ってしまった女性。壮大な徒労に終わった幻の大事業。人生をかけて理想を追い求めたが、歴史を築くどころか、平凡な家庭を築くことすらできなかった男達。実利主義の前に破れ去る騎士道精神…。老執事の失意と悲嘆が、時に不穏な、時にユーモラスな筆致で描きだされてゆく。失われた人生を思って涙した老執事が、新しい主人のためにアメリカン・ジョークの練習をしようと決心するラストは、カズオ・イシグロ式ユーモアの真骨頂だ。

前途に夢と希望しかない者には、この小説の味は分からないだろう。人の数だけ叶わなかった夢があり、打ち砕かれた希望がある。それを知る者だけが、ありえたはずの別の人生を思って、老執事と共に涙することができるのだ。夕暮れどきが最も良い時間だというのは、老いゆく者に対する作者なりのエールだろうか。悲劇だろうが喜劇だろうが、主役だろうが端役だろうが、与えられた役を最後まで演じきるのが、人の定めだとするならば。

レビュー投稿日
2017年11月26日
読了日
2017年10月28日
本棚登録日
2017年10月22日
37
ツイートする
このエントリーをはてなブックマークに追加

『日の名残り (ハヤカワepi文庫)』のレビューをもっとみる

『日の名残り (ハヤカワepi文庫)』のレビューへのコメント

まだコメントはありません。

コメントをする場合は、ログインしてください。

『日の名残り (ハヤカワepi文庫)』に佐藤史緒さんがつけたタグ

ツイートする