色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

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レビュー : 2264
著者 :
佐藤史緒さん 現代日本文学   読み終わった 

2013年(平成25年)。
この作品は、私にとって3作目の村上作品にあたる。読了後、私が一番に受けた印象は「この作品は過去の村上作品との共通点も多いが、今までの作品とは全く違う点がある」ということだ。それは根拠のない勝手な思い込みかもしれないが、作者と同時代に生きリアルタイムで作品を読んだ日本人として、本作を読んで感じたことを率直に記しておきたいと思い、この場を借りた次第である。

まず、過去の村上作品との共通点として挙げられるのは、翻訳小説のような文体、BGMのように物語に寄り添う音楽、セックスシーンのストレートな描写など。ついでにいうと、淡白なくせに何故か女にモテてセックスの機会には不自由しないことも、村上作品の主人公に共通の特徴だ。何より「現代人の孤独」というテーマが、過去の作品との共通点のように思える。「共同体からの疎外」「異端者の孤独」「人生は生きるに価するか」というテーマは、漱石以降、日本の主要な小説家に継承されてきた共通命題であり、そういう意味では本作もその系譜に連なるオーソドックスな作品だと思う。

だが、その比較的わかりやすいテーマとは別に、この作品には今までの村上作品にはない、というより過去の日本文学には存在しえない、異質なテーマが潜んでいるように思われる。それは直截的には語られていないが、登場人物のセリフの端々や設定の随所に、作者のある思いが仮託されている。私にはそんな気がしてならない。

「記憶を隠すことはできても、歴史を変えることはできない」

「人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ」

「あの子は本当にいろんなところに生き続けているのよ。(略)私たちのまわりのありとあらゆる響きの中に、光の中に…」

「私たちはこうして生き残ったんだよ。私も君も。そして生き残った人間には、生き残った人間が果たさなくちゃならない責務がある。それはね、できるだけこのまましっかりここに生き残り続けることだよ。たとえいろんなことが不完全にしかできないとしても」。

これらの言葉を、東日本大震災後の日本人に対する作者渾身のメッセージと受け取るのは飛躍だろうか。作中、震災に関する記述はどこにもなく、東北に関する記述もほとんどない。でも、これはあの震災後に「世界のムラカミ」が書き下ろした初の長編なのだ。3.11後、多くの作家が震災をテーマにした作品を次々と発表したことは記憶に新しい。「このように圧倒的な現実を前に、小説家に何ができるのか」と、多くの作家が自問自答したという。まして日本文学界をリードする作者が、この問題に無関心でいられたはずがない。むしろ 3.11後初の長編において、かくも周到に震災に関する記述を避けているのは、「半端な記述は許されない」という緊張感の裏返しとみるべきではないか?

でなかったら、なぜシロが奏でる曲が〈ル・マル・デュ・ペイ〉なのだろう。ほかに有名な曲はいくらでもあるものを、お世辞にも印象的とは言い難いこの曲を選んだのはなぜか。Le Mal du Pays, 〈郷愁〉と訳される、ホームシックあるいはメランコリー、正確には「田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ」を意味する言葉。まさに、曲名がもつその重みゆえに、この曲は選ばれたのではないか。

また、巡礼の終わりがフィンランドというのもひっかかる。主人公の魂の再生をかけた希望の地を、遠く北欧に設定した理由は何か。 単に北欧ブームだからということでもあるまい。3.11以前ならともかく、このタイミングでフィンランドといえば、オンカロ――地上でただひとつの核廃棄物最終処分場――を連想せずにいられないではないか…。

もちろん、すべては憶測である。作者に「俺はそんなこと考えてない」と否定されたらそれまでだ。だが、物語は読者に読まれたとき、作者の意図を超えて想定外の意味を見出されることがある。現に私は「この小説は、3.11後に多くの日本人が抱えることになった癒しがたい痛みを、あえてフィクションに徹することによって詩的に昇華させようと試みた、作者なりの鎮魂歌だ」という印象を抱いた。それが正しいかどうかはともかく、この作品を読んだ日本人の中にそういう感想を抱いた読者がいたことを、時代の証言としてここに記しておきたい。

レビュー投稿日
2013年9月14日
読了日
2013年9月14日
本棚登録日
2013年9月14日
6
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