プレカリアート―デジタル日雇い世代の不安な生き方 (新書y)

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レビュー : 21
著者 :
show5さん  未設定  読み終わった 

ちょっと内容が薄いかなぁ。何冊か他の本を読んでるので,特に新しいものはない印象。6章の石原都知事との対談はその場の微妙な空気まで伝わってきて痛々しい。かみ合うはずがありません(笑)5章の座談会も,かなり緊迫した雰囲気だっただろうね。「赤木論文」の赤木氏31歳と,フリーターの息子を正社員にした61歳女性のやり取りは,両者の前提の違いを浮き彫りにしている。赤木氏にとって問題なのは,今自分が置かれた状況であり,そこからの脱出はもはや個人の努力とかいう問題ではないのだ。これに対して,61歳女性は,夢をもって努力すれば何とかなるというスタンス。そのやり取りの中で発せられる赤木氏の「確実に報われること以外は,なかなか頑張ることができにない」という主張は,問題の本質を突いているように思う。山田昌弘的なリスク化した社会では,見返りを得られない可能性を前提としつつ,自分でリスクをとって努力していかねばならない。これは,費用対効果という意味では,かなり効率が悪い。だから,収入が低い人は,このリスクを取れないことになり,結果としてチャンスから遠ざかることになる。と,こう書けば,責任を社会や制度に転嫁できそうな気もする。しかし,同じような条件でリスクを取ってチャンスをものにした人もいるわけで,ローリスクな努力を求めること自体が甘えとも考えられる。将来が保証されたパイプラインなど,すでにもうないのだ。その中で,どう生きるかが問題なのであって,保証がないことを指弾するのは,やはり違和感を覚える。赤木氏は努力でどうにかなるなら問題は解決されていると言うが,具体的にどのような努力がなされてきたのかは,良く分からない。確かに,真面目にバイトをこなしてきたのだろうが,それだけではそれなりの待遇しか受けられない社会なのだ。単純労働でも正社員として年功序列で給料が上がり,将来は主任や工場長といった管理職に就ける可能性がある,そんな職場はもう,ない。フリーター,非正規労働力として使い捨てられる人たちの存在を前提とする社会。この現実を共通の土台としなければ,生産性のある議論にはならないのではないだろうか。それでもやはり,チャンスをものにできなかった人々に対して有効なセーフティーネットは必要だとは思うが。

レビュー投稿日
2008年9月1日
読了日
-
本棚登録日
2008年9月1日
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