快楽主義の哲学 (文春文庫 し 21-2)

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  • 文藝春秋 (1996年2月9日発売)
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幸福と快楽の違いを知っていますか?

幸福は「苦痛を回避しようという傾向」そして「主観的なもの」
快楽は「進んで快楽を獲得しようとする傾向」そして「客観的なもの」

貧乏だろうが、自分が幸せだと思っている人もいる。
回復不能の病気であっても、ひたすらに神を信じていて、自分は天国にいけると思い込んでいる人は幸せかもしれないし。
昔の人が不便で、汚くて、不幸だったと考えるのも間違っている。

著者は幸福なんて存在しないという。
そんなものに憧れて、ため息をついているのなら、
まず実際に行動してみること。を説いている。

赤ん坊が笑う時、幸福だから笑うのではない。笑うから幸福なのだ。
哲学者アリストテレスも言っている「幸福とは実践である。」

精神分析学者のライヒによると、性交回数を自慢したり、誇ったりする男は、自分の強さや男らしさの証拠を示したいだけで、実際にセックスの快楽を十分に楽しんでいるのではない。
つまり勃起能力や射精能力を誇ったところで、一回ごとのオルガズムに達しなければ、そもそも性の快楽の意義はどこにあるのかと発言している。

どうすれば真の快楽を味わえるのか。

①誘惑を恐れないこと
―――飲む、打つ、買う、色んな誘惑がある。人を堕落させるものというイメージが強いが、いつも絶対に悪いものなのだろうか。良い悪いは誘惑を受けるものの態度遺憾だと思う。
誘惑を受けて変化するとしても良い方にいけばいいのだ。
影響されたから悪くなったのだ、などの考え方は卑怯だ。
強い人間だったら、これを自分の進歩発展のための有益な糧として消化していくだろう。

決心を努力を、接吻を抱擁を、あすに引き伸ばすことくらい、愚かなことはない。

②一匹狼も辞さぬこと。
―――「人のふりみてわがふりなおせ」、ふざけちゃいけない。他人は他人、自分は自分である。
いつも他人とくらべて、「こんなことしたら笑われないだろうか」「変に思われたりしないだろうか」などビクビクしている人は、すでに自分の主体性を喪失している。
大衆社会の疎外の産物である。

③誤解を恐れない。
―――真理であれ偏見であれ、わたしたちが一定の立場に立つ時、たとえその立場が他の多くの物と異なるとしても、これを気にするに及ばない。たとえ自分の立場が絶対多数の意見に一致しないとしても、遠慮したり撤回したりする必要は毛頭ない。
同性愛だろうと、なんだろうと誇れば良いのです。

④精神の貴族たること
―――強い精神が必要不可欠。戦後の民主主義では、貴族主義などは非難の対象になる。
やれ平等にしろ、やれみんな同じにしろ、同じに接しろ。
1個のりんごを10人で等分に分けた場合、もうそこには快楽はない。

⑤労働を遊ぶこと

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2017年6月28日
読了日 : 2017年5月15日
本棚登録日 : 2017年6月20日

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