skooooooooooooooooooooolさん ひひょう/がくもんのほん   未設定

だいぶ前に買った本だけれど川上未映子の短編と写真にそそられて買っただけであって、中身はあまり読んでいません。濃すぎ、アングラ、等の評価が多いのを見て、私もそう思いますと前へ倣えで頷きますです。しかし、蓮實重彦のインタビュー記事だけはしっかりと目を通した。しっかりと読んだのではありませんヨ。相変わらず何を言っているのかよくわからないので、でもなんとなく引き込まれてページをめくりめくりしただけ、ということです。なのに、頭にこびりついて、時々思い出させてくるのだ彼の言葉が。理解していないのだから要約のしようもないのだが、ひとまず彼は批評という行為そのものについて語っている、そして、それは「断念」という行為と強く結びついていると言っている。前半部にそれについての大まかな理由が示されている。

「いずれにせよ、「眠っているすべての記号を目覚めさせる」といったことを、批評は断念しなければならない」(p.376)

「作家が作品以外の場でなにを言おうとそれは批評の問題ではない(・・・)小説家には断念すべきものなんかなにもない。どんなことをも書いてよいし、なにをしてもいいし、里田まい的な無知さえが彼らには許されている。批評家は断念によってしか成立しないが、断念は作家を成立させない」(p.375)

「それはある意味では、「世界」を断念することでもあります。それが、批評の断念すべきものの中で、もっとも重要なものかもしれません。もちろん、「世界」を断念するといっても、それは戦略的な姿勢にすぎず、世界からすっかり目をそむけることを意味してはいません。世界を支配している思考の論理だけでフィクションを分析・記述できると信じて疑わない理論家たちの「厚顔無恥」を揺るがせるために、また、その「厚顔無恥」の広い共有を切り崩すために、あたかも批評が世界から切断されているかのように振る舞ってみせることが必要なのです」(p.373)

「わたくしがときどき読ませていただく若い世代の批評家たちの書きものの多くに欠けているのは、批評を成立させるはずの「世界との切断」という意志のように思います。それを欠いた場合、ある作品を読んでそれについて自分なりに正しいことを書けば、その正しさがごく自然に世界に広がっていくだろうという単調な誤解−それは、「君と世界の戦いでは、世界に支援せよ」という誰かの断言が流行った頃から始まった誤解かと思いますが−の中に文学が閉じ込められるしかありません」(p.372)

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また、蓮實重彦はデータベース論に関して、「抽象的な議論に過ぎない」と一蹴している。

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いずれにせよ、相当な物好きでなければ読めた代物ではないだろう。

レビュー投稿日
2009年1月31日
本棚登録日
2009年1月31日
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