シェイクスピアの男と女 (中公叢書)

  • 中央公論新社 (2006年4月10日発売)
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著者の前提としていることが、それほど自明なのかに違和感があるため、著者のいわゆる通説に対する著者独自の説が、そんなに独自に思えないところが多かった。
たとえば最初に取り上げられる「じゃじゃ馬馴らし」。男尊女卑のひどい芝居と言われているがシェイクスピアの時代を考えるべき、というが、みんなそう思って見てるんじゃ? というか、そもそも現代だって男尊女卑的言説は山ほどあるので、じゃじゃ馬馴らしがとんでもないように見えないが? そんなにひどいと思われているなら、なぜこんなに上演が続いているのか、そっちを分析してほしいと思ってしまった。
「ヘンリー六世第1部」でジャンヌ・ダルクが魔女として描かれているのは、「女のくせに男を従える者は魔女かじゃじゃ馬であると定められていた当時の社会の価値基準から、習作時代のシェイクスピアは抜け切れていなかった」からだというが(p.176)、イングランドにとってはジャンヌは悪魔のような敵だったので、シェイクスピアの時代の男女観からああ描かれたわけではないと思うのだが。また、実際、男装が異端の理由とされて処刑されてしまったわけだし。
シェイクスピアの時代は、「結婚と性がきわめて密接に結びついていた」、「恥じることなく異性を知るには、結婚しなければならなかったのであり、さもなければ「汝姦淫するなかれ」という聖書の教えに逆らうことになった。」「シェイクスピアの知っている時代において、国王に側室も愛妾もいなかったのはそれゆえだった。」(p.271)というが、公式ではない愛人はヘンリー8世もエリザベス1世も持っていて、ヘンリー8世は庶子もいたではないか。ヘンリー8世がキャサリン・オブ・アラゴンと離婚(正確には婚姻無効化)したのは、後継になりうる嫡出子がほしかったからだろう(アン・ブーリンのほうは結婚を身をゆだねる条件としたが)。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文学(海外)
感想投稿日 : 2018年7月1日
読了日 : 2018年6月22日
本棚登録日 : 2018年7月1日

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