海に生くる人々 (岩波文庫)

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本棚登録 : 51
レビュー : 4
著者 :
酒井高太郎sakaikotaroさん modern   読み終わった 

(*01)
現代的な労働環境から見れば、船上の労務は帰ることを留保された労働、しばしのあいだ通勤や帰宅がなくなってしまう労働といった様相を呈している。寝ることや食べることが職場の側でなされ、夜や休息を営む権利(*02)から疎外されている。そこは容易に牢獄と類比される。
こうした労働そのものの機微が、ある限定された航海を通して余すところなく描かれており、陸から、労務から解放された身として読むことは、知的な何かをくすぐられ、楽しい。
船の仕組みや、そこに動く人々の関係や心理を含む仕組みを読者の世界から切り離された世界として読むことは愉しみになりうる。

(*02)
起こる起こらないか、起こすか起こさないか、そんな黎明の波間を揺られてゆく船にあるのは緊張だけだろうか。オルグ格を中心に物語は進み、労働時間や賃金、傷病など、船上の閉鎖や拘束を打破するためにごく小さな権利が要求される。陸の権利の海への拡張と捉えることもできるだろう。
要求が容れられか、そのための闘争が起こるかというのがこの物語のエモーションである。しかし、どこかに、この闘争は失敗に終ることを予感し、あるいは期待する心が読者のどこかに起こっていないだろうか。つまり資本家に強圧された労働環境で働きつつそこに憩う労働者の姿、苦しい労働が同地に快楽であるような労働の姿が、この物語から、わずかながら(*03)にも感得されていないだろうか。

(*03)
海に「生きる」ではなく、「生くる」としたのはどうしたことだろう。
「生くる」は文語において自動詞あるいは他動詞の連体形であるが、この著作の場合には「海に生きている人々」というよりも「海に生かされている人々」という他動的な生としての読み方も可能であるように思える。
海が神であるかどうか、資本家が海の様に不可解で圧倒的で不作為で、時に微笑むような存在であるかどうかは分からないが、わずかながらにのぞきみたような気がする、どちらにどう転んでも苦しい生の中にある救いは、生かされているという水面の上にしか浮かばない想念でもある。
インテリゲンチャでもあるオルガナイザーがなぜ、陸に生きずに、海に生かされているのか、そのような労働環境に身を置くのか、という現代では解きがたい問いに簡潔に答えるならば、彼は伝道師でもあるからとでもいえるのかもしれない。

レビュー投稿日
2016年10月4日
読了日
2016年1月16日
本棚登録日
2015年10月27日
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