余は如何にして基督信徒となりし乎 (岩波文庫 青 119-2)

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本棚登録 : 232
レビュー : 19
著者 :
制作 : 鈴木 俊郎 
skyharuhareさん modern   読み終わった 

(01)
生真面目な書として読むか、なんだか痛い人の話として読むか、重層的な書かれ方をしているため、多様な読みを誘う本である。
重層的であるというのは、日本語で書かれた日記がネタ帳としてあり、数年後にこの日記のセルフな解題を英文で書き送り、欧米各国に訳出され、和文として逆輸入されているプロセスを指す。
そこに著者の、気質や体質としての、つまりは信仰としての、自虐(*02)が入る余地があり、自己批判のみならず、未来的で神のすぐ下あたりにある見地からの比較宗教論を立てることができる余裕がある。

(02)
自虐ネタは、渡米時の飢餓体験で感極まっている。飢えに耐え切れずに現地での保護者に金銭を乞うており、その自分がどのようにゆるされるかを宗教的に説明(*03)するだけでは言い訳めいてしまうが、保護者とその国の宗教の寛容にも言及を余儀なくされている。
また、異教である神社の前を通る際に祈らずにはおれなかった少年期についての告白や、青年期の、ともすれば中二的な病ともとられかねない、洗礼名やあだ名で通じ合う仲間との秘儀的なサークル活動への自己言及は、生真面目な本書にあって、ほとんどネタ化していて笑わせてくれるエピソード(*04)でもある。

(03)
異教の国である日本において、基督教を信仰する意義がところどころで強調されている。むしろもともと異教徒であったからこそ、基督教の方法が可能であるという論調でもある。そこに時勢の影響もあるのか、ややナショナルな感情もスパイスとして効いているのも興味深い。
日本で信仰される基督教は、他の先行的な国家で信仰される基督教以上である、というように。本書が最初に出版されたのが西欧で、ヨーロッパに関心をもたれて広がったという経過にも、なにやらオリエンタル趣味が嗅ぎつけられなくもない。

(04)
苦しくも楽しかった学生時代を経て、宗教面では教会の創設と経営にまず乗り出す著者がいる。牧師路線、神学路線を避けつつもあった、このパートでの人間関係や金銭関係も興味深い。プロテスタンティズムと資本主義という文脈がそこに読めることはいうまでもない。
また、この部分で生物の進化論についても言い及んでいることは見逃すべきではないだろう。

レビュー投稿日
2017年6月5日
読了日
2017年5月27日
本棚登録日
2017年3月25日
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