この方の構造分析は、いつも分析としては面白い。けれども、自分の都合のよい方向にもっていきたいと思うあまりにか、解釈が恣意的になっているきらいも時々あると感じます。
今回は源氏物語だけど、この方あまり平安時代の歴史的文化的背景にお詳しくないなと、専門家ではない私にもわかりますので……あまり積極的な評価はできないです。
☆まあこれは解釈ですが、私自身は紫式部は光源氏(ひいてはその当時の社会システム)が「若紫あるいはその他の女性たちを不幸にしている」と指摘するために書いたと考えています。この点は筆者(熊倉氏)と同意見です。
しかし、あまりにも現代の基準で光源氏およびその行動を断罪しても、それもまた意味はないような気がします。平安時代はそれはひんしゅくは買っていたかもしれないが「罪」ではなかったはずなので。
☆宇治十帖が紫式部の作品ではないことについて。
この件に関しても、国文学界隈ではいろいろ議論があることは聞いております。瀬戸内寂聴氏は出家のときの断髪の儀式にリアリティがあるから、宇治十帖は紫式部の直筆であろうと言われてた気がします。
詳しい議論は専門家にお任せしたいと思います。が、私個人としては宇治十帖あまり面白くない。できれば熊倉氏のおっしゃるとおり、次世代の展開はもっと前向きならよかったなと思います。が、それも現代人の考え方を平安時代の人にあてはめようとしてる、意味のないことかもしれません。
☆「六条院を女性たちの未来の砦として」紫の上が願っている
という話なんですけれど。
散文的な話をすれば、光源氏が亡くなったら、六条院の所有者は当時の財産分与の考え方からすれば、「匂宮」に移ると考えられます。
(小説のことですから、夕霧でも薫の君でもいいんですけど。)どちらにしてもいま六条院にいる光源氏関係者は、出家するかどこかの女房として出仕するなどしてちりぢりばらばらになり、あとは匂宮関係者の女性たちがそこに住まうようになるのではないでしょうか。
よほど誰かが遺言を残したり、領地を寄付したりなどしなければ、収入のない女性たちが六条院を自分たちだけの砦として占拠することは難しいのではないでしょうか。
☆今「一条摂政御集」を読んでいるのですが。「蜻蛉日記」でもいいんですが。
伊尹にしても兼家にしても、光源氏を地でいくプレイボーイなのです。伊尹なんかは女性を一人も残さない勢いで京都の街をたわぶれあるきます。
しかし伊尹さんがあまり人の恨みをかわなかったというのは、彼が女性たちを自分の屋敷に引き取らなかったからではないかと思うのです(早世したからかもしれませんが)。
兼家は道綱母さんを自宅ちかくに引き取りますが、時姫の従者たちとのいさかいが起こって、道綱母さんは転居を余儀なくされます。まあ現実ってこんなもので、なまじ一つの屋敷に女性をたくさんかこうと、憎しみの「るつぼ」になるだけなんじゃないかな、と思わなくもありません。
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- 感想投稿日 : 2023年1月22日
- 読了日 : 2023年1月22日
- 本棚登録日 : 2023年1月17日
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