千葉県 / kamagaya-city秘密

名前 Soma Oishi (大石宗磨)
本棚の名前 with some books
本棚の紹介文 柄谷行人さんの書評を中心にアンテナをたてています。
性別 秘密
都道府県 千葉県
ホームタウン kamagaya-city
ウェブサイト https://holycatfriend.tumblr.com/post/630501303304470528/holycatfriend-%E5%B7%A8%E4%BA%BA%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%BA%E8%A8%80%E8%81%96%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%BA%83%E5%B2%A1%E9%81%94%E9%83%8E%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%B8-%E8%81%96%E4%BA%BA%E3%81%B8%E8
接続しているサービス  

プロフィール

僕の読書の傾向は柄谷行人さんの書評を中心にしてアンテナをたてています。小説はそれほど好きではありませんが偶によんでみることがあります。村上春樹さんとか綿矢りささんなど新作が出た時だけチェックしています。以前は高橋源一郎さんを好んでいた時もあります。柄谷行人さんを知るきっかけも高橋源一郎さんですが柄谷行人さんと高橋源一郎さんを比較すると高橋源一郎さんに不満を覚えるようになりすっかりやめてしまいました。しかし高橋源一郎さんの影響で競馬など始めたりそういう影響は受けています。競馬も読んで字のごとく馬を競わせ格差をたてるものであり、結局相互扶助や利他的、平等主義的な社会主義的なものを考えると自分にあまり向いていないと思うようになりました。寺山修司さんの競馬の本などで馬を愛する者は馬肉は食べるべきではないという言葉を真に受けてきましたが僕はやはり馬肉は食べようと思うようになりました。

ナザレのイエスがどうしてそのような知識を得ることができたのかと問う場面が福音書のどこかにあったことを記憶している。実に簡単な答えを得ることはできるのだ。悔い改めは学習能力だからである。僕は40代後半の年齢に差し掛かっている。今更学習能力云々する年齢でもなかろうと言う人はいるかも知れない。そんなことは愚問だと言う人もいるだろう。子供の教育は何歳だったか失念してしまったが幼少期で決まるなどど言う人もいる。ある意味それは正論であり、ある意味それは暴論である。それは僕の経験で言わせれば幼少期の疑問から得ることができる。僕は間違っていたことが判れば素直に反省する資質があった。それは自分でも自覚していた。幼稚園に行かされた日の事は今でも記憶している。なんでそんなところに行かされなきゃならないのかと心のなかで憤慨し絶望感さえ感じていた。そして僕は幼稚園に行かされ感じたことは彼らが間違っていたり悪かったりしても反省をしていないということであった。僕はそれをみて驚愕していた。どうして彼らは反省をしていないのだろうか?それはいくらか理由が考えられる。人は世界を現実を批判して物事を判明にしていく。それこそが知識であり理解である。知と理が形成されるのだ。知と理の形成は学問として秩序付けされた全体の内で見て取られるようになる。だから学問は秩序付けられた世界だと勘違いをしてしまうけれど知と理こそ学問の主役であってそういった秩序付けされた全体などは便利なインデックス程度のものでしかない。辞書の索引は便利ではあるけれど、それを知っているからといって人は知識を得ることはできないし理解をしていることにもならない。だから何故ナザレのイエスが知識を得ることができたのか理解をしているのか学者たちは驚愕しているシーンがあったけれど、それは悔い改めという行為が人が知識と理解を得る過程そのものだったからである。僕の驚愕は学者の驚愕と逆であった。僕は誰もがナザレのイエスのようにあるべきだし当然それを目指し評価されるべきものだろうと思っていた。しかしそのようにある悔い改めという学習能力をもっているものは少なくとも僕の知りうる範囲ではいなかったのである。幼稚園児たちは自分とは違っているものと感じた。彼らが反省しないのはどうしてか、それは自分で批判をして判明にしていないからであるかもしれない。物事を判明にみていないから反省できないとも言える。また判明になっているのもにも反省しないでいるのものがほとんどである。そうなると何故人は反省しないのだろうかと驚愕することになるのだ。別に不思議なことではない。学者の驚愕と逆である。悔い改めは学習する唯一の方法でもある。それを知らないからである。だから幼少期で決まるのいうのはそういった学習訓練を子供の時に理解させるということは重要だということである。でも多くの人が行っている学習訓練は僕のいう学習訓練ではない。変竹林な英才教育である。誰もがナザレのイエスにならなければならないということが正論であり、変竹林な英才教育など暴論だということになるのだ。

ID 4641816
名前 大石 宗磨
性別 男性
誕生日 10月16日
自己紹介 読書が趣味。本蔵書整理と図書館利用。ペン

●最近嵌っている言葉

柄谷行人(長池講義)『「未来の他者」が異議を唱え反証してくるかもしれないことを予期するかぎりで、普遍的命題(真理)が存在するのだ。』
※事前の立場と事後の立場というところがとても明快で面白いです。


柄谷行人(世界史の構造)最終部分において
『互酬原理にもとづく世界システム、すなわち、世界共和国の実現は容易ではない。交換様式A・B・Cは執拗に存続する。いいかえれば、共同体(ネーション)、国家、資本は執拗に存在する。いかに生産力(人間と自然との関係)が発展しても、人間と人間の関係である交換様式に由来するそのような存在を、完全に解消することはできない。だが、それらが存在するかぎりにおいて、交換様式Dもまた執拗に存続する。それはいかに否定し抑圧しても、否応なく回帰することをやめない。カントがいう「統整的理念」とはそのようなものである。』

箴言

●わたしにつまづかない者はさいわいである。●
○人は、単独の人間を思惟することができない、ただ人間という概念を思惟しうるばかりである。○  
●宗教批判はあらゆる批判の前提である。● 
○宗教の批判は、人間が人間にとって最高の存在であるという教えでもって終る。したがって、人間が貶められ、隷属させられ、見捨てられ、蔑視された存在となっているような一切の諸関係 - 畜犬税の提案にさいして、或るフランス人が「あわれな犬よ、おまえたちを人間並みにしようというのだ!」と叫んだ言葉でもっともみごとに描きだされているような諸関係 - をくつがえせという無条件的命令をもって終るのである。○
●自分自身と矛盾することを避ける。●

『僕の自己批判としての現実批判』

僕は柄谷行人さんのエピゴーネンだろうと思う。しかし僕は自分の直観で柄谷さんは当たっていると確信していたのだ。だから確信犯かもしれない。そういう意味で、柄谷さんをナザレのイエス、ソクラテスだと思い、柄谷さんの本を読みカントやマルクスだと言ってきた。それで今度は自分自身のどうしようもない現実をみつめ現実批判に転嫁するのだと思っていた。それはあらゆる批判の前提である宗教批判であり、その宗教批判は・・・・・一切の諸関係を覆せと言う無条件的命令であろうと思ってきた。その自分自身のどうしようもない現実を前にして、柄谷さんのいう深刻な病に陥ってしまった。その危険は今から考えると当然とも言える。なるべくしてなったと言える。しかし僕は自分の中では、イエスの磔刑でありソクラテスの服毒による処刑(自殺)であり、そしてそれに至った現実批判だと、そしてそこに葛藤がありそれが公なものとしてあるだろうと思っていた。しかしそれは深刻な病として発現し現象したのだ。この現象に僕は何ができただろうか?凄まじい葛藤がそこにあった。どうすれば良かったのか?たとえ解けなくとも思考することに価値のある謎はあるとハンナ・アーレントさんは言っている。それは拷問であった。思考することを不毛にする拷問である。それはドストエフスキー「死の家の記録」にある自分のしていることが不毛だと思うことが最大の拷問の一つだという意味で思考が不毛であるという拷問である。しかし、ハンナ・アーレントさんの指摘により自分自身を救うことができるだろうと思う。思考停止は悪の陳腐さの証明であると言う。思考を不毛と思い思考停止することは最悪である。

★ハンナ・アーレント『アーレント政治思想集成』より★

哲学-単独性  

政治-複数性

「全体主義の本性について」
・・・単独であることは見棄てられた孤独な状態ではないが容易に見棄てられた孤独な状態になりうるし、さらにもっと容易にそれと混合される。人びとが見棄てられた状態の絶望的困窮から脱して単独であることのなかに逃れ、自分自身の交わりのなかに逃れる強さを見いだし、そうすることによって自分を他の人びとへとつなげる結び目の裂け目を繕うということほど、難しくまれなことはない。・・・

「近年のヨーロッパ哲学思想における政治への関心」
・・・純粋な対話というこの関係性は、他の何よりも思考-単独性における自ら自身との対話-という〔そのひと〕独自の経験に近い。・・・


『ラーエル・ファルンハーゲン』

・・・わたしの場合、侮辱されたという気持ちになるのは、だれかがわたしを不当に扱いながら、わたしにはそういうことをしてもいい、自分は罰を受けることはない、と思っていることがわかるときだけです。・・・


●最近の傾向●

僕は自分自身との矛盾を避けると言う意味で『無責任』であるが、それは悪いことではない。

十分な数の人びとが自分自身と矛盾することを避けることによって大きな力に対抗することはできる。僕は、クライシスを経験したが、まだ諦めることはないと思う。

無政府 無支配 無責任 それでいいのではないか!

「責任と判断」
ハンナ・アーレントさんが『無責任』の有益性について触れているところがある。

自分自身が問われなければならない。自分自身と矛盾することはできない。自分自身と調和する。柄谷・アーレント・カント・マルクス・ナザレのイエス・ソクラテス・キルケゴールなど自分以外のものを基準にすることはできない。自分自身が問われる。そして彼らが当たっていると自分自身が判断するなら、それでいい。そしてその判断をした自分自身が問われる。


『危険思想はない、思考することが危険なのだ』 by ハンナ・アーレント
「思考停止」と「思考」
僕が狙われた理由は、危険思想ではなく、思考すること自体が危険とされたのだろう。だから思考停止させようと権謀術数が行われたのだろう。

思考停止は嫌な感じがする。他者がしている時も、自分自身が思考停止している時にも感じる嫌な感じ。知識とは関係ない。思考停止の嫌な感じは、そういう意味で知者も無知者も関係ない。

わたしについていくら調べ上げて知識を得ても、思考停止していることに変わりがない。思考停止は自分自身との対話が欠如している。全体主義と同じ構造である。

自分自身との対話が欠如しているから思考停止になるのだ。そのメカニズムはハンナ・アーレントさんの指摘するところである。特に分かり易いのが「全体主義の起源」や「イスラエルのアイヒマン」などによる思考停止のメカニズムや悪の陳腐さについての指摘である。

自分にはそんなことはできない。それは良いことだとハンナ・アーレントさんは言っている。そしてそういった無責任が大きな力になることがある。わたしは「自分にそんなことはできない」と拒否したことによって、攻撃された。かなり徹底的に攻撃された。それはかなりダメージを受けた。しかし逆にわたしが「自分にはそんなことはできない」としたことによって、大きく揺さ振ったことを意味している。かなり動揺させたのだ。その反動による、力であるが、それほど揺さ振る力があったのだと思う。逆に揺さ振ったのは自分の方だとも言える。

自分自身と矛盾している。自分にはそんなことできない。滅多打ちにあったけど、それだけ揺るがしたと言うことだと思う。
世界を揺るがしたのだと理解できる。

○考え方は変わるものだ。○
●考え方を変える。●


★『目的』とは『自分自身』のことである。★☆『自分自身』とは『目的』のことである。☆
自分と矛盾することはできないという「単独性としての哲学」であり、そういう意味における他者との関係が「複数性としての政治」である。


もし躓きそうになったらハンナ・アーレントさんの本を読み返そう。全体主義におけるナザレのイエスとヒットラーの位置づけがその明確な差異を示している。それは非常に分かり易く有益なように僕には思える。アーレントさんの本は図書館で借りている。自分の蔵書に加えたい。

実存主義 アナーキズムの勉強をしていきたい。


『パレーシア』

ミシェル・フーコーさんの講義集成を幾らか読んでみて、そこに出てくるパレーシアというものが非常に重要だと思い知った。弁論術やレトリック、追従に対するパレーシア。弁論術であるがそれがパレーシアでもありえるのかという視点により明確化されるものがある。自分自身に配慮すること、自分自身に専心することとパレーシアとの関係が真理というものを必要とする。アーレントさんが自分自身に矛盾することはできないと書いているがそれはフーコーさんの自分自身に配慮するということ『汝自身に専心せよ』と同じものである。それがパレーシアである証拠だと思う。アーレントさんのパレーシアを見ることもできる。



●ルカ 17章 2●

『この小さな者を一人でも罪にいざなうよりは、挽臼を頸にかけられて海に放り込まれる方が、その人の為である。』


https://holycatfriend.tumblr.com/post/630272793720897536/%E5%B7%A8%E4%BA%BA%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%BA%E8%A8%80%E8%81%96%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%BA%83%E5%B2%A1%E9%81%94%E9%83%8E%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%B8-%E8%81%96%E4%BA%BA%E3%81%B8%E8%B4%88%E3%82%8B%E8%A8%80%E8%91%89-a-will-to-the

https://withsomebooks.wixsite.com/nazarethcat/post/apocalypse-literature-prose-collection

好きな作家など

ツイートする