歴史哲学講義〈下〉 (岩波文庫)

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レビュー : 17
制作 : G.W.F. Hegel  長谷川 宏 
青空さん ヘーゲル   読み終わった 

この上下巻は、上巻が東洋編とすれば、下巻は西洋編をなしている。ヘーゲルと云う人は、今で言うかなり自文化中心の人で、東洋の歴史は、「世界精神」というものの歩む歴史的に必然的な発展コースから外れているという理由でかなりないがしろにしている。要は、政治的に正しくない。しかし、そんな凡庸な批判は、補って余りあるほどその直線的進歩史観は、豊穣に有機的体系をなしているように感じた。

記憶に残ったところは、人間と言うものは、現実から疎外されて、主観と内面の世界に引きこもるとき、初めて世界に対して完全な精神的自立をはたす契機を得る、というような記述。どうもそういうヘーゲル哲学のコアになるような部分に差し掛かると、途端に理解が難しくなってくるのだけど、なにか凄いことを言っているということだけは気配として感じる。

理解が難しかった部分はキーワードとして「主観」「内面」という語がよく使われていた。ここの辺りのキーワードのニュアンスを知っておかないと、肝心の部分がよく分からなくなると思う。どうも「主観」というものを必ずしも「客観」に劣るものと捕らえていないし、「内面」も「現実」に劣るものと捕らえてない。寧ろ人類の歴史は、素朴な「客観」「現実」による束縛から、「主観」「内面」を経由して再びそれらと統合された「客観」「現実」に邂逅していくのである、とこの本には書かれているように思った。これがいわゆる「弁証法」というものだろうか。よく分からないが。

この辺りのキーワードのニュアンスは、なんとなく『精神現象学』に書かれていそうな気がする。難しいらしいが。あと、ヘーゲルはキリスト教をかなり重視した歴史観を持っている。山川の世界史なんかでは、キリスト教の内面は問題にしないが、さすが西洋の哲学ではその内面における革命を盛んに論じている。ウェーバーの『資本主義の精神とプロテスタントの倫理』でも、キリスト教部外者には難解な部分が多かったと思う。これを機に、『新約聖書』も読んでみるといいかもしれない。

レビュー投稿日
2017年9月10日
読了日
2017年9月10日
本棚登録日
2017年9月10日
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