理解できない、
共感し合える点がどこにもない。
それでも
ストーカーのごとく追っかけたい人がいる。
私にとって
それが『親鸞』だった。
歎異抄からも
その生き方からも
私が持つ<どこかで買ってきた>既成のハンマーでは
彼の牙城を打ち崩すことが出来ず、
私の中で彼は
これまでずっと悟りの中で眠ったままの存在だった。
お~い、
もしもし。
コンコン。
今日も眠ったままの彼がいるその外側を叩きながら
本の頁を捲る。
親鸞の「迷い」に焦点をあてたこの本は
とてもわかりやすかった。
彼が生きていたのはは
運悪く生き地獄の様な時代。
政治の混乱に加え、地震、台風、飢饉、に京都の大火災など、まるで不幸のオンパレード。
現代だって決して生き易い時代とはいえないが
(どの時代もそう?)
その頃は本当の地獄だった。
まるで神から生きる事を拒否られてしまったかの様に。
親鸞はそんな中で
夢のお告げや法然の「一心に念仏さえ唱えれば救われる」という教えに開眼したのだが…
揺るがない信念をもった、にも関わらず
(俺が祈ってても、苦しんでる人は実際救われてないじゃないか!)
なんて、迷いがゆらゆら。
しかも、本能が持つ『欲』にまで負けそうになったり…。
でも、
なんて人らしい人なんだろう。
女性を愛おしい、と思う心から妻を娶り子を育て、
もはや普通のお父さんと変わらない一風変わった聖人君子。
本当の地獄と本当の迷いの中にいながらも
「苦悩ばかりのこの世なのに、
やはり、それを捨て去る事はできません。」
と、ぼやきつつ人々を真の意味で救済していった。
いつか『歎異抄』理解できるようになるといいな。
すると、
眠ったままにて親鸞が
「おい、わしは生きている間、一度も己が悟った、と思った事なんかないぞ。」
などと、寝言。
- 感想投稿日 : 2015年8月20日
- 読了日 : 2015年8月20日
- 本棚登録日 : 2015年8月20日
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