在日外国人と呼ばれるカテゴリーについて、様々な角度から取り上げた本で、著者はこの分野における支援および研究の第一人者。
個人的には、戦後の社会保障制度の中で在日コリアン(朝鮮・韓国人)がどのように位置付けられてきたのかについて知りたいと思っていた時にこの本のことを思い出し(なぜか本棚にあった)読んでみたのだが、背景から変遷まで、かなり詳しく知ることができた。初版が出たのは1991年で、改訂を重ねて、現在第三版(2013年刊行)。累計20万部突破とのことで、もはや古典の領域。
半分以上は在日コリアンについての記述だが、それ以外にも日系ブラジル・ペルー人の労働力受け入れや、外国人実習生・留学生(就学生)についての記述も充実しており、教科書として読むには網羅的でわかりやすい。
在日コリアンについては、かつては大日本帝国の植民地下に置き、戦時中は「皇国臣民」「天皇の赤子」として育てられ、また戦争に駆り出されるなどしつつも、戦争が終わった後の「最後の勅令(天皇の命令)」によって「当面の間は外国人として扱う」ということが告げられ、さらにはサンフランシスコ平和条約の締結に伴って「正式に外国人になりました(あなたたちはよそものなので私たちは面倒見ません)」と言い渡されたという経緯がある。
そして、社会保障の様々な制度や憲法の条文では「国民」という文言を元に排除が始まり、苦難の歴史が戦後も続くことになる。
ところで、この本を読んで個人的に(日本政府の言い分が)あまりにひどいと思った箇所は二つあった。一つは、東京裁判における旧植民地出身者の扱いで、もう一つは指紋押捺拒否裁判の行方である。
様々な社会保障制度(国民年金や軍人恩給その他)では、在日コリアンは国籍を剥奪されたことによって「日本国民ではないから(外国人だから)日本政府は面倒見ません」という態度を取られたことは先に触れたが、B・C級戦犯として告訴された旧植民地出身者の扱いはどうなるのか、ということが平和条約締結後に議論となった。
平和条約の条文では、その対象者は「日本国で拘禁されている日本国民」と明示していたからである。これについて、既に国籍を剥奪されていた在日コリアンらが釈放を請求したところ、最高裁判所は「当時日本人だったので、刑罰の対象になります」と請求を棄却。
著者の山田は、ここで「『罪はかぶりなさい、しかし補償は知りません』ということになろう」(p120)と書いているが、まさにそのとおりだ。一方で、「かつて国民として戦争に加担したのだから」と罰を与え、一方で「かつて国民だったかどうかなんて関係ない」ということで社会保障から排除するやり口というか態度とは、一体なんなのか。
もう一つ愕然とした、指紋押捺拒否裁判の行方についてであるが、これは80年代当時まだ存在していた外国人向けの指紋押捺義務(外国人であれば定期的に指紋を押すために役所に出向かないといけない)を拒否し、裁判を行った在日コリアンの人々の話である。
憲法判断を求めて提訴した33人の人々は、しかし「合憲」「違憲」の判決を聞くことができずに終わってしまった。もちろん、通常の裁判であればそんなことは絶対にありえない。「勝訴」でも「敗訴」でも、なんらかの結果が出るはずである。
何が起こったのかというと、その時期に昭和天皇裕仁が死亡したことで、それに伴う「大赦」(恩赦)が発動し、指紋押捺拒否を巡る裁判がその対象となったのである。
被告として裁判を提起した人々は、一方的に「免訴」を告げられ、裁判で争う権利すら奪われてしまったのである(その後、1990年の日韓覚書によって、指紋押捺制度の廃止が決定され、その後なくなる)
田中はそこまでのことは書いていないが、大日本帝国の最高責任者であり、また植民地支配にも多大な責任を持つはずの昭和天皇に関わる「恩赦」によって「おゆるしをいただく」という形になるわけで、植民地支配にルーツを持つディアスポラ当事者の望むことではありえないのは明白である。提訴したすべてのひとが「恩赦を拒否しようとした」という話には、複雑な共感を覚える。
在日コリアンをめぐる排除というのは、単に「人々の差別意識が…」という話にとどまらず、戦前・戦後の日本という国家が全力を出して排除しようとした歴史なのだということが、この本を読むとよくわかる。こうした歴史を直視しないどころか、むしろ否定(否認)しようとする昨今の排外主義的な風潮については、本当に暗澹たる気持ちを覚える。もちろん、そうした状況に異を唱えるためにも、本書はとても有益な認識を与えてくれる。
- 感想投稿日 : 2018年1月3日
- 読了日 : 2018年1月3日
- 本棚登録日 : 2018年1月3日
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