深い河

著者 :
  • 講談社 (1993年6月4日発売)
3.93
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本棚登録 : 574
感想 : 88
5

久しぶりに「ちゃんと」本を読みたい、と思って、寝かせに寝かせたこの本を本棚から選択。
愛とはなんぞや。宗教とはなんぞや。定評通り、遠藤周作が考えてきたことの集大成のような作品です。それから読んだ時期が時期だったからか、世代、時代とはなんぞや、というところも考えてしまいました。
宗教的側面については何も綴らずとも、、、とも思うのですが。時々、美津子と同じように、同じではないかもしれないけれど、家族以外の人を愛する、ということがとことんのところ出来ないでいる自分を感じることがあって。だからこそ、愛するという行為は大変難しく重大なことなのだと、無償の愛が与えられるということが文字通り奇跡なのだと、気付く瞬間もあって。現代の若者の多くはそれだけの重さをもって人を好きになっているのか、結婚しているのか、それともよりカジュアルな関係性を築いているのか、どうなのだろう、なんて考えてしまったりします。
同じだけ考え込んでしまったのが、カタカナにしてしまえばジェネレーションギャップの問題です。特に印象的だったのが、今になってしまうと「戦時中の人間」とまとめてしまいがちな世代でも、戦時中の大人と子供とでは、戦争に従事した者と銃後の人間とでは、当たり前ながら全くもって経験してきたことが異なるということです。当時子供だった人間が戦争に行った人間と「同じ」苦労をしたかのように言葉を発したら、後者が嫌悪感を感じるのは仕方の無いことに思われます。それでも前者のノスタルジーには同情の余地があるし、相当の想像力が無ければ自分より酷い思いをした人間の配慮というのは出来ないものだし、その言葉は別に本当に「同じ」経験をしたという前提で発せられたものではないはずです。世代がズレると、色々な物事の価値判断の基準もズレてきてくるものです。だから、何ならパラレルワールドで生きているんだ、位に思わないといけない場面もあるのかもしれません。
最近「もうすぐ平成という時代が終わる」と呟いてみて、昭和が更に遠ざかった気がしました。本当に知らない時代だし、こうして文学などで昭和をなぞらえてみても「古典」の埃っぽさのようなものを感じることが増えたような気がします。でもその埃っぽく感じる時代を過ごしてきた人がまだまだ今の世の中にも生きているわけで。どうしようもない、埋まることの無い溝を感じるわけで。
だからこそ、、、と思うのが、異なる世代に向ける視線の問題です。この作品にもそれとなく憐れみや情けなさを思わせる視線がちらちらと出てきました。主体としてはほぼ出てくることなく対象であり続けた三條夫妻も老いた参加者に多少なりと冷ややかな視線を向けていたことでしょう。その描写が無かったのは遠藤周作の年齢もあってのことでしょうか。その視線は言葉とならない限り相手に感付かれることはそうないのでしょうけれど、思われずに済むなら思われない方が気持ちが良いに決まっています。私が当事者で少しでもそんな風に見られていそうだと察してしまったら、自意識過剰だと思われても「自分のことを大して知っているわけでもないのに僅かな情報だけで適当に計って勝手に憐れまないで」とブチ切れてしまいそうです。それなら無関心な方が遥かに優しいと思います。それでも人は人のことが気になって仕方が無いものでしょうし、そんな関心が愛に繋がっていることもあるものです。ああ、難しい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2017年7月17日
読了日 : 2017年7月17日
本棚登録日 : 2017年7月17日

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