人間失格 (新潮文庫)

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本棚登録 : 15903
レビュー : 1939
著者 :
抽斗さん どこかにあると、まだ信じてる   読み終わった 

人間失格、読んでいなかったのである。
ひねくれ者の私は、あまりにも有名な「恥の多い人生を送ってきました」を読む機会を逸して、今の今まで読めずにいたのである。

しかし、読んでみて「ああ、やっぱり凄いなぁ」と思った。
もしこれを私が高校生のときに読んでいたら、間違いなく今よりずっと太宰ファンになっていただろうと思う。
逆に言えば、今の私はこれを、一歩引いて読んだのかもしれない。

この本の感想を一言で言うと、「憐憫」。物語として、お話としてのきれいな哀れみ。
途中途中で心臓をぎゅっと締め付けられるような描写や気持ちは、たくさんあった。「ああ、自分と同じことを思って生きている人がいる・・・」というような。
しかし、それ以上に、太宰は悲しいくらい芯から道化だったのだな、という思いのほうが全てを読み終えた今では強い。
それは物語の冒頭の「恥の多い人生を送ってきました」よりも、最後の最後、「神さまみたいないい子でした」に、よく表れていると思う。これを読んだとき、私は、あ、このお話は一種のファンタジーだったんだ、と思った。太宰もそれを痛いくらいわかっていて、だからこそ主人公の手記が、他の誰かの手に渡ったという形にしたんだ・・・と。

この「神さまみたいないい子でした」を読むまで、私は『人間失格』は太宰の叫びなのかな、と思っていた。
しかし違ったのだ。確かに叫びでもあったけれど、それ以上にこれはおとぎ話だったのだ。少なくとも、太宰にとってはそうだったのではないかと思う。ちゃんちゃらおかしい話。どこかの誰かが残した、本当か嘘かもわからない、哀しくてきれいなお話。
太宰の絶望は『人間失格』よりも、もっともっと深かったのではないかと思う。けれど彼は、その持ち前の「道化精神」から、どうしてもその絶望をありのままに書けなかったのではないか。ありのままに書きすぎたら、読者に申し訳ない。読者に気に入ってもらえない。それに、なんだか、一人でもうダメだダメだと言っているようで恥ずかしい(自分では、もう何もかもダメだとしか思えないんだけど)。
だから、「人間、失格」ですら彼は「おとぎ話」にしてしまったのではないか、と私は思う。本当は太宰の絶望は、これ以上にずたずたに脆くて、打ちひしがれて、繊細だった。けれど、その繊細さが、彼は恥ずかしくて申し訳なくて、たまらなかった。だからより一層、辛かった。

そういう意味で、『人間失格』は太宰の道化精神を痛いくらいに表した、とてもきれいな「おとぎ話」だと、私は思ったのだった。本当の絶望は、自分の気持ちすらフィクション(作り物)としてしか認められないこと、なのかもしれない。

レビュー投稿日
2011年11月10日
読了日
-
本棚登録日
2011年11月10日
4
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『人間失格 (新潮文庫)』のレビューへのコメント

じゅんさん (2011年11月11日)

そっか・・・とてもきれいな「おとぎ話」と言われると、うんうん、と頷けるものがあります。私はまさしく10代のころにこの「人間失格」を読んで、なんで私のことがこんな風に活字になってるの??と驚いた、典型的な太宰ファンです。
太宰治の道化が哀しくて、恥ずかしくて・・。

大人になってから読む太宰というのもまたいいものですよね。

抽斗さん (2011年11月11日)

>じゅんさん 
コメントどうもありがとうございます。私も高校生のときに読んでいたら、「これは、私だ・・・!!」と衝撃だっただろうなぁ、と思います。
太宰の道化精神に、「自分が一番わかっているのに、自分じゃどうもできない」ものを感じました。

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