とにかく、最初の2ページに心臓を鷲掴みにされてしまった。
主人公・魚津恭太が山から東京の都会に返ってくるシーンである。彼が「山から帰ってきて、東京を眼にした時感ずる戸惑いに似た気持」が、こう描写してある。
「暫く山の静けさの中に浸っていた精神が、再び都会の喧騒の中に引き戻される時の、それは一種の身もだえのようなものだ。ただそれが今日は特にひどかった」。
この文章を読んで、私はこれは傑作に違いない、と思った。この清冽で、しかし同時に冴え冴えとしたこの文章に、ぴったりと吸い込まれるような気持ちになったのだ。
しかし、読み進めていくうちに、どうもあの予感は違ったのかなぁ、という気持ちが強くなってしまった。
文庫裏のあらすじを読んで、てっきりドラマチックな「山あり谷あり」の展開を予想していたので、読み進んでも読み進んでも激情に駆られる場面が出てこないというか……ぶっちゃけてしまうと、修羅場が全然ないなぁ、と思って物足りなく思えてきてしまったのである(^^;)。
主人公を含め、登場人物たちは清らかでありながら、何かと頑固な人間が多い。しかし、彼らは我を通すわけではなく、かといって物分りがいいわけでもなく、ごく淡々と事態を受け止めようとする。
そこに葛藤はある。しかし打算的なものや、疑いはない。憤りはある。しかし、あてつけや嘘はない。
そこが私にはどうも、透明すぎる気がしてしまったのだ。私は自己主張が強い困った人間なので、彼らが欲や見栄を出さないことに「?」となってしまうのである。
魚津も美那子も、結局最後まで「何もなく」終わる。私はそのことにとても驚いた。そして、井上靖は清廉な作家なのだなぁ、でもこれが多くの人に愛されたのだなぁ、と思うと、またそのことに驚いた。
私はこの本のことを、ドラマチックというにはあまりに静かで、透明な作品だと思った。あくまで、私は、である。
- 感想投稿日 : 2013年2月7日
- 読了日 : 2013年2月6日
- 本棚登録日 : 2013年2月6日
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