正法眼蔵(一)全訳注 (講談社学術文庫)

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レビュー : 5
著者 :
いま・ここ・みらいさん Zen   いま読んでる 

2013.11.06
いったい、菩提心を行ずるには、その発心や実践を世の人々に知られたいと思ってはならない。むしろ知られまいとするがよい。ましてや、みずから口に称えるようなことは不可である。いまの人は実を求めることが稀であるから、身に行ずることもなく、心に悟ることがなくても、ただ他人がほめたりすると、それが学解(がくげ)・実践の具足した人だと思う。迷いの中で迷いを重ねるとはそのことである。そのような間違った考えはすみやかに捨てるがよい。(渓声山色:P203)・・・・ヾ(_ _。)

2013.11.05
仏道をならうというのは、自己をならうことである。自己をならうとは、自己を忘れることである。自己を忘れるとは、よろずのことどもに教えられることである。よろずのことどもに教えられるとは、自己の身心をも他己の身心をも脱ぎ捨てることである。悟りにいたったならば、そこでしばらく休むもよい。だが、やがてそこを大きく抜け出てゆかねばならない。(現成考案:P45)
・・・・___φ(・_・*)

2013.10.29
栓ずるところ、即心是仏とは、発心・修行・正覚・涅槃の諸仏にほかならない。いまだ発心・修行・正覚・涅槃せざるは、即心是仏ではない。たとい一瞬といえども発心・修行すれば、それ即心是仏である。たとい一微塵のなかに発心・修行しても、それが即心是仏である。たとい無量の年月にわたって発心・修行しても、それが即心是仏である。・・・(即身是仏:P99)

レビュー投稿日
2013年10月29日
本棚登録日
2013年10月29日
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