2019.6.19 図書館・読書会
本著者初読。
「1984年」に近い、ディストピア世界の話。
「二分間憎悪」がそのまま使われていて、1984年に影響を受けていることがうかがえる。
健康第一、自己と他人を慮る思想が蔓延する世界。
「生府」(医療福祉社会)をトップに、心身共に健康であることが義務づけられる。
主人公(トァン)のミァハに対する感情がよくわかなかった。
前半は崇拝しているようで(無差別殺人をしたとしても)、後半は嫌悪してる。
その心境の変化がいつおきたのかが不明。あれ、いつのまに敵に?という気持ちだった。さらに、トァハの行動の目的がよくわからず、主人公に感情移入できなかった。
物語は1人称だが、常に俯瞰で進めた。(最後に明確になるが)
健康第一社会は、とても良いように思った。
病気がなく、健康を害するものは抑圧されるが、それ以外の娯楽で補えるのでは…?(音楽や絵や運動など)
ただ、思いやり社会の偽善に疑問を持ってしまえば、生きずらいことは確かだった。
それが自殺に値するのかは疑問。
今の世でも不条理な社会の暗黙のルールに疑問をもつ少数派は生きづらい。
どの世でも、社会を迎合できない人は一定数いるし、その人たちは疑問や不満を持ちながら生きていかざるをえない。
だとしたら、健康第一、思いやり社会、いいじゃんと思う反面、私も偽善に苦しむんだろうなあという気持ち。
→健康を突き詰めると、結局感情や行動も過剰に規制されることが判明。(目に優しい服で統一、怒りの感情を止めるなど)
だからやっぱりちゃんとディストピアだった。
→最後の「わたし」の章は、それまでのトァンの記録を見た人物が解説したものだった。どうしてハーモニー後にこの本が書けるの?無意識で?ともやっとした読後だったが、「わたし」前まではハーモニーが起こる直前にトァンが記したもので、最後の「わたし」は別の人間が記したことが分かり解決。
意識がない世界に感情表現って必要なのかな?
- 感想投稿日 : 2019年6月19日
- 読了日 : 2019年6月19日
- 本棚登録日 : 2019年6月19日
みんなの感想をみる