アルツハイマー征服

著者 :
  • KADOKAWA (2021年1月8日発売)
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【感想】
アルツハイマーは人類に残された難攻不落の砦である。
分子遺伝学の発展が目覚ましい現代医学によっても、「脳」という領域は未開拓のままであり、そこで引き起こされる細胞変異に対してなすすべがなかった。アルツハイマー患者に対する治療は、異常行動を薬によって緩和するという「対症療法」が限界であった。

しかし2021年現在、暗闇に光が差し込みつつある。
アルツハイマー病の病気の進行そのものに介入する初の薬、「アデュカヌマブ」が承認審査を受けている。もしこれが承認されれば、病気の遅延だけでなく病気そのものを消すことができるかもしれない。いよいよ、アルツハイマーが「治る病気」となる可能性がでてきたのだ。

本書は、過去の治療薬から「アデュカヌマブ」の開発まで、各国の研究者たちがアルツハイマーに挑んできた歴史を振り返るノンフィクション本である。

エーザイ社内での社内政治、臨床試験での失敗の数々、論文のねつ造、そして家族性アルツハイマーを患った一族が下す決断など、読んでいて興奮を覚えるほどの熱気と密度だ。サイエンスノンフィクションという分野で、――しかも日本から出版されたというくくりでは――これを超えるものはそうそうないだろう。

コロナワクチン開発でも話題になったが、治療薬を開発するのには数百億~数千億の資金が必要になる。一度失敗すれば会社の屋台骨がゆらぐほどの規模だ。現に、アリセプトの生みの親でもあるエーザイの杉本氏は、作っても作ってもあたらない(ドロップする)ことから「撃墜王」と呼ばれていた。

そうした社を揺るがすほどのリスクを負ってまで、研究者たちがアルツハイマー征服に取り組む理由はなんだったのか?

その理由は本書の最後に綴られている。
家族性アルツハイマー病の国際的なネットワーク研究機関である「DIAN」に参加した青森の患者のスピーチを聞き、筆者が書いた言葉である。
「自分がたとえ間に合わなくとも、若い世代が、自分の将来や結婚や出産について、自由に選択できるその日が来ることを信じて、今私たちはここにいるのだ。そして研究者もまた、彼女のスピーチを聞いて、自分がなぜこの仕事をしているのかということを再認識した。(略)彼女のような人々が、自分の将来や結婚や出産についての病気のことを気にせず自由に選択ができること。その未来のために自分たちは日々この病気と戦っているのだ。」

新薬開発の研究者の多くが、身内をアルツハイマーで亡くしていた。ときには研修者自身も、病気にかかり命を落としていた。
彼らは二重の意味で最前線にいた。研究者としての立場と、被害者としての立場で。

治せない病気は目の前に迫っている。
そして、それによって命を落とすのも、それを根絶することができるのも、自分自身である。
その当事者としての強い思いが、彼らを動かしたのだ。

複雑な立場にありながら、いかにして彼らはアルツハイマーと戦ってきたのか。そして、アルツハイマーは征服できるのか…。

研究者たちの奮闘の歴史をぜひその目に焼き付けて欲しい。

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本書が執筆されたのは2021年1月であり、その時点では、アルツハイマー治療薬である「アデュカヌマブ」は、FDAによる審査待ちの状態です。
参考として、2021年4月25日現在の当治療薬を取り巻く状況を記しておきます。


FDA(アメリカ食品医薬品局)は追加の治験データの提出を求め、アデュカヌマブの承認結果の公表を3月7日から6月7日まで延長した。
https://president.jp/articles/-/42909?page=1

FDAの諮問委員、審査中のアデュカヌマブに否定的見解を表明
https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/news/p1/21/04/07/08035/

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【本書のまとめ】
1 家族性アルツハイマーの研究
母親なり、父親なりが家族性アルツハイマーの遺伝子を持っていると、50%の確率で子に受け継がれる。
そして、受け継がれた子は100%発症する。

家族性アルツハイマー病の研究で見つかったのは、アミロイドに関する突然変異だった。

1995年5月、カナダのトロント大学のピーターヒスロップが突然変異の場所の特定に成功する。突然変異する遺伝子は、テロメア、つまり染色体が交差する根っこの部分にあった。

人類は、家族性アルツハイマー病の原因となる遺伝子を手に入れることができた。病気で苦しむ人々を救うために次にすることは、この遺伝子を使ったトランスジェニックマウスを開発することである。

2 エーザイによる治療薬の開発
エーザイで開発されていたアルツハイマー治療薬、「E2020」は、日本では後期臨床第二期まで進んでいたが、これまで一度も有意に薬が効くという結果は出ていなかった。

しかし、米ファイザーから吉報が入る。米国での治験により、プラセボとの有意差が出たとの結果が報告される。E2020の投与によりアルツハイマーの進行が抑えられていたのだ。

この試験の結果により、「導出」を出す、つまり米国の他会社に販売権を売り払って利益を得るか、続く臨床第三層を自社でやるか、選択に迫られることとなった。社長の内藤が下した決断は、「自社で行う」だった。
その判断は正解だった。
アメリカの臨床第三層は「有意差あり」だった。

1994年には、エーザイは、ファイザー社とE2020について共同販促、自社売り上げ計上の契約を調印していた。

そして1996年、ついにE2020はFDAの承認が降りた。「アリセプト」の誕生である。
アリセプトはまたたく間に世界中に広がっていき、エーザイはこのアリセプトの成功で一気にグローバル化していく。

1999年、E2020を作った杉本は、社長から特命事項を受ける。アリセプトのように病状の進行を遅らせる薬ではなく、「根本治療薬を作れ」との命令であった。


3 トランスジェニックマウスの開発成功
1995年、アメリカの医療ベンチャー「アセナ・ニューロサイエンス」がトランスジェニックマウスの開発に成功する。トランスジェニックマウスとは、遺伝子組み換え技術を使用してゲノムが変更されたマウスであり、病気の研究の際に動物モデルとして使われている。このマウスがあれば、特定の病気に対する薬学的反応を検査することが容易になる。まさに「聖杯」であった。


4 ワクチンによってアルツハイマーを消せるか?
●アミロイド・カスケード・セオリー
アミロイドが脳の中に溜まっていき、凝縮し、脳に沈着することでできるのが「アミロイド斑(老人斑)」である。それが溜まってくると、神経細胞内にタウが固まった神経原線維変化が生じて、神経細胞が死んで脱落する。これがアルツハイマー病の症状を引き起こす。
それならば、そのカスケードの最初のトリガーであるアミロイド斑を取り除けばいい。
これが「アミロイド・カスケード・セオリー」である。

アセナ・ニューロサイエンスに属するデール・シェンクは、次のようなアイデアを考えた。「アミロイドβを患者の体に直接注射することで、そのアミロイドβからなる老人斑を解体できないだろうか?」
要するにワクチン摂取だ。

仮説は正しかった。マウスにワクチンを注射すると、老人斑の生成を抑えるだけでなく、すでにできていた老人斑を「消して」もいた。アルツハイマー病の研究の歴史の中で初めて、予防だけでなく「治療」の可能性が見えたのだった。


5 ワクチン開発戦線
アルツハイマーワクチンの第一号である「AN1792」は、副作用として脳炎を発症することが発覚し、治験が中止される。
ワクチンで副作用が出るなら、ワクチンではなく抗体薬を作ろうとして生み出されたのが、第2世代の「パピネツマブ」だ。

パピネツマブの開発中、アセナ・ニューロサイエンスは経営不振に陥っていた。親会社のエラン社の野放図な経営により会計不正が発覚する。AN1792の治験の中止も相まって、株価は95%も下落した。
そして、最後の望みであったパピネツマブの治験も「治療効果無し」と発表された。
アセナ社の全開発部門が閉鎖されたのは、パピネツマブの開発が中止となった一週間後のことだった。


6 老人斑ができないアルツハイマー病
家族性アルツハイマーの新しい遺伝子が見つかる。「Osaka変異」だ。
Osaka変異の特性を調べていくと、毒性を持つのは老人斑ではなく、その前のAβ(アミロイドベータ)オリゴマーという物質であったことが確認された。
そしてAβオリゴマーの研究からある仮説がもたらされる。「アルツハイマー病にかかった患者は、発症する以前に長い期間をかけて脳の中に変化が起こっているのではないか?」「病状の進んだアルツハイマー病患者を対象にしたパピネツマブやソラネズマブの治験は、そもそも介入の時期が遅かったのではないか?」「投与量の1ミリグラムは少なすぎたのではないか?」


7 アデュカヌマブの発見
Aβは脳内だけに生まれるわけではない。身体のいたるところで、Aβは生じている。そして、それに対する抗体もまた自然発生的に生まれている。
この自然抗体に着目して開発されたのが、「アデュカヌマブ」であった。アデュカヌマブはAβに結合する構造を持った抗体で、神経細胞中のAβを除去する作用がある。

一度は中間解析で「効果無し」と判定されたアデュカヌマブであったが、2020年7月8日、バイオジェン社(エーザイと共同開発を行っていた会社)は、FDAにアデュカヌマブの承認申請を果たしたことを表明した。アルツハイマーの根絶に向け、人類が大きな一歩を踏み出した瞬間であった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2021年4月25日
読了日 : 2021年4月25日
本棚登録日 : 2021年4月25日

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