嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか

  • 文藝春秋 (2021年9月24日発売)
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【感想】
まさか、落合博満に泣かされることになるとは。

本書を読みながらボロボロ涙していたとき、思わずそんな感想を抱いてしまった。それは落合博満の野球が、感動とは対極の場所にある渇いたものだと思っていたからだ。

落合野球の基本方針は、ナゴヤドームという球場の広さを活かし、失点を徹底的に防いでバントで勝利を拾っていく「守備型野球」であった。
だからこそ、落合野球は「つまらない」。野球の花と言えばホームランであり、攻撃を捨ててまで守備に特化した野球は非常に無機質なものに映る。球場を訪れる観客からしてみても、テレビの前で一喜一憂するファンからしてみても、投手戦よりも打撃戦のほうが見ていて楽しいというのが本音だろう。
同時に、落合は勝つためには非情であった。勝利のためなら完全試合を目前にした山井を交代させるし、チームの大黒柱であった立浪を容赦なく外したりもした。感情を殺した野球マシンが采配を振るう、どこか味気ないものが「落合中日」であり、それが強さの秘密だと考えていた。

だから、その裏にこれほどにまで感情をむき出しにして野球を続ける選手たちがいたとは、思いもよらなかったのだ。

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本書のテーマでもある「落合はなぜ嫌われるのか」について、その一因は「勝てるチームを作ってくれ」という球団社長の言葉に冷徹に答え続けるあまり、ファンサービスを無視した行動を起こすためであった。
もちろん、勝てる球団は嬉しい。しかし、野球チームは勝利至上主義の軍隊ではない。何万人ものファンと何千人もの球団関係者、そして何百人もの選手たちが、寄り集まって仲間となり、一つのチームを作っていく。勝ったときも負けたときも、一人ひとりの感情が寄り集まって大きな熱となり、ともに運命を分かち合う結束が生まれる。
結局のところ、球団とは家族なのだ。采配を振るう監督もあくまで家族の一員にすぎず、それが度をすぎれば、集団の和を乱すものとして排除される。

「では落合も他の監督と同じように、チームの大黒柱として家族を大切にすればよかったのではないか?」というと、それは不可能だった。落合は現役のころから――何ならはるか昔の少年のころから――人の逆を行く男だったからだ。良かれと思ってやることは、周りの人間から共感を得られない。正しいと思って振る舞った態度が、周囲の人間を不快にさせる。
現役のころなら許されたわがままも、監督となって家族の生活を握る身となった今、許容されることは無かった。
「個」を重んじる落合と「集団」を重んじる周囲の人間。両者の価値観のすれ違いが、落合をますます孤独へと追い込んでいった。

落合は何度勝とうとも、不穏分子でありつづけたのだ。

――「俺はいつも人がいる場所で、下を向いて歩くだろう?なんでだかわかるか?俺が歩いてるとな、大勢の人が俺に声をかけたり、挨拶したりしてくるんだ。中にはどこかの社長とか、偉い人もいる。でも俺はその人を知らない。それなのに後で『落合は挨拶もしなかった。無礼な奴だ』と言われるんだ。最初から下を向いていれば、そう言われることもないだろうと思ってな」
――落合には、自分が他人の望むように振る舞ったとき、その先に自分の望むものはないということがわかっているようだった。それは、あらゆる集団の中でマイノリティーとして生きてきた男の性のようでもあった。

これは本書で語られる落合の姿なのだが、これが中日を常勝軍団に変えた監督の評価なのか、と思うと、胸がふさがるような気持ちになってしまった。


そしてもう一つ、落合が嫌われる理由の一つに、落合自身の天才性を周囲の人間が理解できないことがあると述べられている。

本書では落合のずば抜けた観察眼の数々が語られる。
例えば、落合は2010年に、球界最高と謳われていた荒木と井端の二遊間コンビのポジションを、そっくりコンバートするという暴挙に出ている。ファンだけでなくアライバ自身でさえ意味が分からなかったこの行動の意図を、落合は筆者にそっと語った。

――「俺は選手の動きを一枚の絵にするんだ。毎日、同じ場所から眺めていると頭や手や足が最初にあったとこころからズレていることがある。そうしたら、その選手の動きはおかしいってことなんだ」「どんな選手だって年数を重ねれば、だんだんとズレてくる。人間っていうのはそういうもんだ。ただ荒木だけは、あいつの足の動きだけは、八年間ほとんど変わらなかった」

落合には見えていた。荒木が前年の20失策と今年の16失策を記録した裏で、これまでなら外野に抜けていったはずの打球を何本も阻止したことを。失策数の増加に反して、チームが優勝するという謎の答えがそこにあった。
つまり落合が見抜いたのは、井端弘和の足の衰えだったのだ。

ただ、致命的なことに、落合は選手を見抜くことに長けているが、それを選手に説明しようとしないのだ。
アライバのコンバートの際も、2人に与えたアドバイスは「お前らボールを目で追うようになった。このままじゃ終わるぞ――」の一言だけ。当時エース格として注目されていた吉見にも「ただ投げているだけのピッチャーは、この世界で長生きできねえぞ――」と、謎めいた示唆を残すだけであった。
加えて、落合自身は決して命令しない。森野に地獄のノックを叩きこんだときも、完全試合目前の山井を交代したときも、和田のフォームを改造したときも、落合はその理由を説明せず、ただ淡々と事実を告げ、「やるかやらないか」の最後のスイッチを選手自身に託す。選手はそこから自分で判断するしかない。落合が間違っているのか、自分が間違っているのかを。
本当は論理的な根拠に依ってアドバイスしているにも関わらず、その言葉足らずさがメディアの攻撃の的となり、不信感を強めていく。やがて落合の評価は「非情な独裁者」という形に落ち着き、また一つ嫌われていく。

――「俺が何か言ったら、叩かれるんだ。まあ言わなくても同じだけどな。どっちにしても叩かれるなら、何にも言わないほうがいいだろ?」

そうした落合のシニカルな言葉には、どこか寂寥感が秘められている。

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本書のクライマックスは、落合が徹底的に選手に「考えさせた」ことで、個であった選手たちがまとまりを持ち、やがてチーム全体が激情を帯びていく様が描かれる。

この本には当時の中日を生きた選手たちの証言が多く挟まれている。川崎、福留、森野、宇野……。彼らに共通していたのは、程度の差はあれ「自分は今のままでいいのか?」という疑問を抱いていたことだった。

そして、その疑問に答えを与えたのが、落合なのである。

教えを乞うわけではなく、「自分で考える」。チームのためではなく、「自分のため」に野球をしていく。無機質とも言われる中日野球の裏には、自らの野球に激しく思い悩んだ選手たちがいた。そして落合の解任が発表されたあと、今までの感情が、監督への想いがマグマのように吹き出し、中日というチームを変えていく。
何という人間ドラマだろうか。その描写に思わず涙してしまった。

――「ひとりで考えて練習しなかったか? 誰も教えてくれない時期に、どうやったらいきなり試合のできる身体をつくれるのか。今までで一番考えて練習しなかったか?」
荒木は、空になった落合のグラスを見つめながら記憶をたどった。
確かにそうだった。
新しい監督がやってきて、生き残りの篩にかけられる。その危機感から、まだ吐く息の白いうちから野球のことに頭を巡らせている自分がいた。前例のないことをやるにはどうすればいいのか。他の者はどうしているだろうか。ひとり不安の中で考え続けるしかなかった。自分だけでなく、おそらくチームの誰もがそうだったはずだ。
落合はそこまで言うと空のグラスを満たし、あとはただ笑っていた。

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本書は、落合が振るった采配に関して、何故その思考に至ったのかを、筆者が関係者へのインタビューとともに解説した本と言えるだろう。いわば落合の通訳だ。
悲しいことに、こうした通訳が落合監督の現役時代に存在していれば、落合自身の評価はがらりと好転していたのかもしれない。もう少し長く落合政権が続いたのかもしれない。
ただその場合、落合は通訳にも一切しゃべらなくなりそうだ。また仮に落合が通訳を活用していたとしても、選手たちはその翻訳の分かりやすさに甘んじ、ここまで活躍できていなかったのではないかと想像してしまう。恐らく、落合監督というのは分かりにくいがゆえに周囲を鼓舞する男なのかもしれない。

落合博満の、監督として、そして人間としての凄さにただただ圧倒された一冊。紛れもない名著であり、是非オススメである。

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【まとめ】
0 まえがき
落合はなぜ語らないのか。なぜ俯いて歩くのか。なぜいつも独りなのか。
そして、なぜ嫌われるのか。

「ねえ、本当にオチアイがやるの?」
中日一筋のベテランでたる山本昌も、30年の経験がある球団スタッフも、落合が監督をやることに疑問を抱き、歓迎はしていなかった。


1 川崎憲次郎
監督に就任してからの落合は外部に背を向け、ひたすらチームの内側を向いた。そうやってひたすら内を向いた落合は、急速に選手たちとの距離を縮めていった。
その一方で、チームの外に対しては次々と扉を閉じていく。星野のように番記者を引き連れて散歩することも、会合も存在しなかった。親会社がマスコミであるという事情もお構いなくだ。

「開幕投手はお前で行くから」「これは俺とお前だけしか知らないから。誰にも言うな――」
川崎憲次郎は一軍のマウンドに上がる日を待ち望んでいた。しかし、同時に酷く動揺していた。
なぜ3年間もケガで一軍登板から遠ざかっている自分なのか――落合さんは、もう自分がプロで通用しないと宣告するために、俺を開幕投手に据えたのではないか――そしてそれを何故、内部の関係者にも隠し続けたのか――。

開幕のマウンドに上がった川崎は、2回で5失点。そこでマウンドを降りた。その後は再度2軍生活を続け、そのシーズンの終わりに、落合から直接首を告げられたのだった。

落合が開幕投手を秘匿し続けた理由がわかったのは、川崎がユニホームを脱いでしばらくしてからのことである。
落合は川崎に載力外を告げた後、さらに十二人の選手にと7人のコーチ、そして数人の球団スタッフに同様の通告をした。就任したときはひとりの首も切らなかった落合は一年をかけて、戦力となる者とそうでない者を見極めたのだ。自分のチームを作るため、最初の一年をかけて地均しをした。誰を残し、誰を切るか。あらゆる人間を対象にした選別はあの日から始まっていたのだ。


2 森野将彦
落合は監督二年目になって豹変した。少なくととも森野の目ににはそう映っていた。ベンチの中で笑ったり、しかめっ面をしたり、感情を表現することもあった。ただ、その年の日本シリーズで西武ライオンズに三勝四敗で敗れ、日本一を逃した瞬間から、落合は急速に選手たちから遠ざかっていった。指示はすべてコーチを介して出すようになり、ゲーム中はベンチの一番左端に座したまま、ほとんど動かなくなった。はるか遠くから、この組織の穴を探しているような、そんな眼だった。

「ここから毎日バッターを見ててみな。同じ場所から、同じ人間を見るんだ。それを毎日続けてはじめて、昨日と今日、そのバッターがどう違うのか、わかるはずだ。そうしたら、俺に話なんか訊かなくても記事が書けるじゃねえか」
落合は末席の記者である筆者にそう語った。やはり、2年目の落合は意図的にチームから遠ざかっている。何かを見つけるために、俯瞰できる場所から定点観測をしている。

森野将彦はバッティングの才能がありながらも、十年近くベンチに甘んじていた。練習では打てるが、試合では別人のようにバットに当たらない。延々と期待されながら結果を残せていない若手バッターに、落合はこう言った。
「立浪からレギュラーを取る覚悟はあるか?」

森野はやるしかなかった。もう引き返せない。サードの守備につき監督の直接指導を受けるということは、チームの顔である立浪に挑戦状を叩きつけるのと同義だ。
そこから落合の地獄のノックが始まった。ノックが終わった後、森野は熱中症で病院に運ばれた。

この立浪への処遇は、心の距離ができつつあった落合と選手たちとの間に、さらに深い溝を掘ることになる。ミスタードラゴンズである立浪は、ファンにとっても選手の間でも絶対的な存在だった。立浪にさえメスを入れるのなら、自分たちに保証されるものなど何もないのではないかという、落合に対する畏れと緊張感が広がった。

立浪を外そうとする意図を問うために、落合のもとへ向かった筆者。車内でふたりきりになった際に、落合はこう語った。
「試合中俺がどこに座っているか、わかるか?」
「俺が座ってるところからはな、三遊間がよく見えるんだよ」
「これまで抜けなかった打球がな、年々そこを抜けていくようになってきたんだ」
落合は立浪のことを言っているのだ。
落合には今、チームにとっての重大な穴が見えている。誰も気づいていないその縦びは、集団から離れ、孤立しなければ見抜けなかったものかもしれない。立浪という聖域にメスを入れたのは、そのためなのだ。

「これは俺にしかできないことだ。他の監督にはできない」
奪うか、奪われるか。それがプロ野球の世界なのだ。


3 福留孝介
福留と落合の関係はビジネスライクだった。接するのはバットを介してのみ。福留は落合の打撃技術を信頼し、明確な一線を引きながらアドバイスを受けていた。誰もが落合の言葉や視線に感情を揺らし、あの立浪でさえ怒りをあらわにするなかで、福留からはまるでそれが感じられなかった。

落合は福留にこう告げる。「一流のものはシンプルだ。前田を見ておけ」。そこから福留は、広島の前田のバッティング練習をずっと見つづけることになる。


4 山井の交代劇
中日の打撃コーチである宇野は、落合野球の華のなさにジレンマを感じていた。落合野球は徹底的に守備の野球だ。野手よりも投手を集め、打てる者より守れる者をゲームに送り出す。そうした合理性の追求は勝利の確率を高めたが、同時に落合の野球がつまらないと言われる要因にもなっていた。

宇野は次第に落合との距離を感じるようになっていた。前年のオフには、リーグ優勝したにもかかわらず長嶋ら5人のコーチが退団した。落合の思惑はつかめないままであった。

日本ハムとの日本シリーズ、3勝1敗で日本一がかかった5戦目。スコアは1-0、先発の山井が8回までパーフェクトピッチングを行っていた。
森は投手コーチとしての選択を迫られていた。落合はピッチャーの起用はよく分からないと言い、采配を右腕の森に一任していた。ここまで好調の山井だったが、手には血豆が出来ている。山井を大記録に向け続投させるか、絶対的エースの岩瀬を出すか……。

そのときに落合は決断した。普段はピッチャーの起用に口を出さない落合が、森に語りかけたのだ。
「どうする――」

9回、観客が山井の名前を叫び続ける中、場内アナウンスが流れた。
「選手の交代をお知らせします。ピッチャー、山井に代わりまして、岩瀬――」
怒号なのか、悲鳴なのか、嘆息なのか、そのいずれでもあるような巨大な声がドームに響いた。耳に聞こえてくるものはすべて、落合の決断と世の中との深い断層だった。森はかつて聞いたことのない音の中で、改めてこの決断の重さを受け止めていた。

山井を岩瀬に変えた以上、もう完全試合の記録に意味はない。ただ1点差のゲームがそこにあるだけだ。しかし、おそらく岩瀬はそう思っていない。山井の完全試合をそっくりそのまま背負ってマウンドに立っている。成功しても個人として得るものはほとんどなく、失敗した場合に失うものがあまりに多すぎた。史上最も過酷なマウンドに、落合と森は岩瀬を駆り出したのだ。

その後岩瀬は日ハム打線を3者凡退で抑え、日本一を果たす。

交代劇の真相は、9回直前、森が直接山井に血豆の状態を聞いた際、山井が「代えさせてください」と自ら申し出たためであった。

しかし、筆者は裏があると考えていた。「山井の答えを訊く前に、心中では既に岩瀬に決まっていたのではないか?」と確信があったからだ。優勝後の落合にインタビューを敢行し、次のような言葉を得ている。

「これまで、うちは日本シリーズで負けてきたよな。あれは俺の甘さだったんだ」
「2004年の日本シリーズで岡本を代えようとしただろう。でも、そのシーズンに頑張った選手だからって続投させた。俺はどうしても、いつもと同じように戦いたいとか、ずっと働いてきた選手を使いたいとか、そういう考えが捨てきれなかったんだ」
「でもな、負けてわかったよ。それまでどれだけ尽くしてきた選手でも、ある意味で切り捨てる非情さが必要だったんだ」

筆者は戦燥していた。落合は空っぽだった。繋がりも信頼も、あらゆるものを断ち切って、ようやく掴んだ日本一だというのに、ほとんど何も手にしていないように見えた。一歩ドームを出れば、無数の批難が待っているだろう。落合の手に残されたのは、ただ勝ったという事実だけだった。


5 吉見一起
吉見はプロ3年目の2008年に先発とリリーフの二役をこなしながら、川上を上回る十勝を上げた。それによって、この世界で名前を知られるようになり、「新エース」と書き立てるメディアもあった。
だが、落合はそんな吉見に向かってこう囁いた。
「ただ投げているだけのピッチャーは、この世界で長生きできねえぞ――」

落合はエースという言葉を徹底的に嫌う。若手に温情をかけることなく、スター選手を厚遇することもなく、ただ淡々と冷徹に評価を下していく。落合は即戦力を欲しがり、目の前の勝利をただ見つめ続けていた。

2009年、ドラゴンズは2位になったものの、1位の原巨人に大差をつけて破れた。
そんな中日の黄昏を象徴するようなニュースがあった。立浪和義がこのシーズンを最後に引退することを表明したのだ。立浪も、福留も、川上も、星野仙一が監督だった時代に生まれたスター選手はもういない。代わりになる芽は出てきているのか?落合は、このチームをどう再生するつもりなのか?それが見えなかった。

星野は時に勝敗を超え、球団の未来を語った。人々が希望を託すことのできるスターを自らプロデュースした。しかし、落合は今しか語らなかった。意図的にスターをつくろうとはせず、集団の象徴として振る舞おうともせず、あくまで契約に基づいた一人のプロ監督であることを貫いていた。だから、敗れれば孤立したのである。


6 和田一浩
落合は組織への献身よりも個の追求を優先する。
例えば、どこかを傷めた選手に、落合は「大事を取って休め」とは決して言わない。落合の口から出るのは「やるのか?やらないのか?」という問いだけである。「できません」と答えれば、次の日には二軍のロッカーにいることになる。それだけだ。権利と引き換えに、冷徹に結果と責任も求められる。その天秤が釣り合わなくなれば、自分の指定席には別の誰かが座ることになる。

FAで中日に移籍してきた和田は、このとき35歳。和田のバッティングを見ていた落合は、和田にこう告げた。
「打ち方を変えなきゃだめだ。それだと怪我する。成績も上がらねえ」「3年はかかるぞ。それでもやるか?」
次の日から落合は、両手にある十指をどの順で、どこからどこに動かし、どれくらいの力を入れるのか、ということから話し始めた。それはひとつのスイングを構成する1から10までの手順、すべてを繋げていくような作業だった。

落合は若さが持つ勢いや可能性を求めない。確かな理と揺るぎない個を求める。そして、その理というのはほとんどの場合、常識の反対側にあった。
おそらく落合は常識を疑うことによって、ひとつひとつ理を手に入れてきた。そのためには全体にとらわれず、個であり続けなければならなかったのだ。

このチームで、落合と打撃論を交わすことができるのは和田だけであったが、それが落合との繋がりを生み、自分の立場を保証するかといえば、到底そんな実感はなかった。どれだけ勝利に貢献してきたかではなく、いま目の前のゲームに必要なピースであるかどうか。それだけを落合は見ていた。
プロ野球といえど、多くの者はチームのために、仲間のためにという大義を抱いて戦っている。ときにはそれに寄りかかる。打てなかった夜は、集団のために戦ったのだという大義が逃げ場をつくってくれる。ところが、落合の求めるプロフェッショナリズムにはこうした寄る辺がまるでなかった。落合の言葉通り、常識にも組織にも背を向けて個を追求した果てに、和田はこれまで見たことのない景色を見た。


7 星野への謀反
落合がまだ中日で選手としてプレーしていたころ、当時の監督である星野仙一の指導方針を真っ向から批判したことがある。
球団の幹部も動くことになったこの大騒動は、落合の推定100万円とされる罰金、そして二軍キャンプへの左遷という形で一応決着がつく。

落合は非常に合理的な男であった。反逆者のイメージが強かった落合の口から語られる野球理論は誰よりも論理的で、基本戦術から守備陣形などの戦術まで、指導者をしのぐほどの知識を持っていた。
そして落合は自分の理屈に合わなければ誰の命令でも動かなかった。

2011年、球団社長が新しく変わる。これまで落合を擁護してきた白井から坂井に変わると、赤字体質のチーム運営にメスをいれるため、まず人件費についての調査を始めた。それは高騰する選手の年俸のみならず、落合の年俸も対象になっている。落合の進退は、赤字経営の中で揺れる球団に委ねられていた。

例年なら夏の初めには明らかにされる落合の去就について、白井はいまだ沈黙を貫いていた。


8 荒木雅博
2010年、球界最高と謳われていた荒木と井端の二遊間コンビのポジションを、落合はそっくりコンバートした。「お前らボールを目で追うようになった。このままじゃ終わるぞ――」の言葉とともに。

コンバートした年、ショートの守備についた荒木はリーグで2番目に多い20失策を記録した。もはやセカンドの名手と呼ばれていた荒木の姿はなかった。
なぜ落合は名コンビを壊してまで荒木をコンバートしたのか?ファンも球団関係者も落合の決断に懐疑的だった。

しかし、荒木自身はあの言葉の意味を理解していた。
落合は2つの地獄から一つを選べと言っているのだ。落合以外の誰からも信頼を失いながらショートを守るか、落合ひとりの信用を失うことと引き換えにセカンドにとどまるか。荒木は前者を選んだ。これまで築き上げてきたものを手放すよりも、落合の信用を失うことが怖かった。

2011年9月22日の名古屋ドーム。ヤクルトとの優勝争いの真っ只中、それは起こった。
荒木がロッカールームに訪れると、チームの空気がどこか違う。
球団が落合の解任を発表したのだ。

荒木はロッカーの椅子に腰を下ろすと、しばし考えた。思い当たることは一つだった。

おそらく、嫌われたのだ。
結果がすべてのプロの世界で、結果を出し続けている指揮官が追われる理由はそれしかない。落合は自らの言動の裏にある真意を説明しなかった。そもそも理解されることを求めていなかった。だから落合の内面に迫ろうとしない者にとっては、落合の価値観も決断も常識外れで不気味なものに映る。人は自分が理解できない物事を怖れ、遠ざけるものだ。
落合は勝ち過ぎたのだ。勝者と敗者、プロフェッショナルとそうでないもの、真実と欺瞞、あらゆるものの輪郭を鮮明にし過ぎたのだ。

2011年9月23日、落合の退任が発表された翌日、首位ヤクルトとそれを追う中日の天王山が行われていた。
退任が発表されたにもかかわらず、試合が始まる前のミーティングでは、落合は何も変わらない。ただ淡々と説明を終え、進退がどうなろうともそれぞれの仕事をすることを求められていた。

このチームにおいて監督と選手を繋いでいるのは、勝利とそのための技術のみだった。だから、去りゆく落合を胴上げするために戦おうと考える者もいなければ、惜別の感情も存在しなかった。そもそも落合自身がそんなセンチメンタリズムを望んでいなかった。これまでと何ら変わらないはずだった。それなのに、落合の退任を耳にした瞬間に、荒木は自らの内面に何かが生まれていくのを感じた。これは、なんだ。なぜ胃の痛みが消えたのか。なぜ不安に襲われないのか。荒木は自間しながら、自分が覚醒していくような感覚に満たされていた。

ヤクルトとのゲームは8回裏、荒木が二塁塁上、井端がバッターとしてボックスに立つ。井端のセンター前ヒットに対して、三塁ベースコーチは大きく腕を振り回していた。荒木は三塁を蹴って、加速した。しかし、荒木の視線の先で、センターからのボールを捕球するキャッチャーが映った。完全にアウトだ――

次の瞬間、荒木は飛んだ。キャッチャーの身体の間をすり抜け、ホームベースをタッチする。
それは落合が禁じたヘッドスライディングであった。

番判の両手が横に広がった。どよめきと歓声が交錯した。

筆者はペンを握ったまま呆然としていた。完全にアウトだと思われたタイミングをセーフにしてしまったことへの驚きもあったが、荒木から発散されているものに衝撃を受けていた。

これが落合のチームなのか?

荒木が見せた走塁は、落合がこのチームから排除したものだった。「俺はたまにとんでもなく大きな仕事をする選手より、こっちが想定した範囲のことを毎日できる選手を使う。それがレギュラーってもんだろう」。
落合はリスクや不確実性をゲームから取り除いた。それが勝つために最も合理的な方法だと考えたからだ。指揮官の哲学は選手たちにも浸透し、ギャンブル的な暴走や怪我の怖れがあるヘッドスライディングは、この八年間ほとんど見たことがなかった。
憑かれたような眼でホームへ突進した荒木を見ながら、筆者は確信した。このチームは変わったのだ。
そして変質のきっかけは、落合の退任であるように思えた。

チームはここから快進撃を続ける。落合が去ると決まった9月22日から15勝3敗2分。その間、淡々と戦うことを矜持としていたはずのチームは異様な熱を発し続け、最大で10ゲーム差をつけられていたヤクルトに追いつき、抜き去り、突き放したのだった。

このときのチームの熱、そして荒木と井端をコンバートした出来事について、落合は後にこう語っている。

「俺は選手の動きを一枚の絵にするんだ。毎日、同じ場所から眺めていると頭や手や足が最初にあったとこころからズレていることがある。そうしたら、その選手の動きはおかしいってことなんだ」
「どんな選手だって年数を重ねれば、だんだんとズレてくる。人間っていうのはそういうもんだ。ただ荒木だけは、あいつの足の動きだけは、八年間ほとんど変わらなかった」
落合には見えていた。荒木が前年の20失策と今年の16失策を記録した裏で、これまでなら外野に抜けていったはずの打球を何本も阻止したことを。失策数の増加に反して、チームが優勝するという謎の答えがそこにあった。

つまり落合が見抜いたのは、井端弘和の足の衰えだったのだ。

「あいつら、俺がいなくなることで初めてわかったんだろうな。契約が全ての世界なんだって。自分で、ひとりで生きていかなくちゃならないんだってことをな。だったら俺はもう何も言う必要ないんだ」
タクトを置いた落合は、指揮者がいなくとも奏でられていく旋律に浸っていた。

その後の日本シリーズ第7戦、中日はソフトバンクに敗れ、日本一を逃した。「負けたら意味がない」と言い続けてきた落合に対して、ファンからは割れんばかりの落合コールが降り注いでいた。

落合が変わったわけではない。変わったのは周りの人々だったのだ。

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感想投稿日 : 2021年11月23日
読了日 : 2021年11月23日
本棚登録日 : 2021年11月20日

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