一度きりの大泉の話

  • 河出書房新社 (2021年4月22日発売)
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感想 : 137
5

【感想】
私は少女漫画に詳しくない。だが、この本には当時の漫画界をリードするべくペンを走らせていたレジェンドたちの熱量がある。その面白さから時間も忘れて一気読みし、本書と対をなす竹宮の自伝、「少年の名はジルベール」も読破してしまった。
萩尾と竹宮、双方の見解を参考に、両書をまたぐ形で感想を書こうと思う。


萩尾と竹宮が袂を分かった理由としては、次の2点だ。
①萩尾の「少女漫画革命」への思いが竹宮ほど熱くなかった
②萩尾が自身の才能に無自覚である一方、竹宮は萩尾の才能に嫉妬していた

竹宮はあまりに多くのものを背負いすぎていた。
「少年の名はジルベール」で語られるが、竹宮は「風と木の詩」を出版することを人生の目標に掲げていた。
当時、少女漫画の地位は少年漫画ほど立派ではない。読者から求められるのは手垢のついた表現ばかりであり、出版社自身も決まりきったストーリーの作品だけを掲載していた。竹宮と増山はこの「少女漫画界のレベルの低さ」を打破しようと考え、「少年愛」をテーマに少女漫画界に革命を起こしてやろうと決意する。その作品が「風木」だったのだ。当時、竹宮は風木のベースとなる習作を何本も作り、幾度となく編集部に提出しては突き返されている。

自身の描きたいものを描けない竹宮は、次第にスランプ状態に陥る。そこで担当者が提案したのは、「読者アンケートで1位を獲れれば、次の作品として風木を載せていい」というものだった。
何とかアンケートで1位を取り、実績を認めさせ、風木を載せる。しかしそのためには、描きたいものではなくて「売れるもの」を描かねばならない。理想と現実の間で葛藤しつづけながら、竹宮と増山は「売れるストーリーライン」について研究を深める。そうして作られたのが「少女コミック」に掲載された「ファラオの墓」であった。
ファラオの墓の読者アンケートは最高2位にとどまったものの、今までの実績を認められ、風木の掲載にOKが出たのであった。

しかし、「風と木の詩」の連載を前にして、似た設定の漫画が別冊少女コミックで連載されるという事件が起こる。萩尾の漫画作品「ポーの一族」シリーズである「小鳥の巣」だ。
とはいっても、パイの少ない少女漫画では設定が似通ることは多い。川沿いの男子寄宿舎を舞台にしたお話というだけで、パクリだと決めつけるのは早計過ぎる。

だが、風木に人生を賭けていた竹宮は、些細な一致でも許せなかった。
しかも、作者は自分と対極にいる――少女漫画革命の意識が薄いもう一人の天才、「萩尾望都」である。

萩尾は終始一貫して自己評価が低い。大泉サロンの中でも自分はあくまで脇役で、レジェンド作家の竹宮と旗振り役の増山がサロンの中心であったと評している。
そうした萩尾の「自覚のなさ」を周囲の人間も認識していた。「嫉妬という感情についてよくわからないのよ」と話す萩尾に対し、山岸涼子は「ええ、萩尾さんにはわからないと思うわ」と即座に回答している。

言うまでもないが、萩尾はまぎれもない天才である。手塚治虫が漫画の神様なら、萩尾望都は少女漫画の神様だ。
少女漫画を「ハッピーエンドのガールミーツボーイもの」ではなく、文学の領域まで高めたのは紛れもない萩尾自身である。少女漫画に少年の主人公を出したのも萩尾であり、BLの源流を作り出すことに寄与したのも萩尾だ。萩尾が作り出した画法は、続く作家たちが次々と真似するようになった。
そんな実績を持ちながら、みずからを「わたしは巻末作家」と称してしまうのだ。

この認識の違いが、竹宮と萩尾のあいだに悲劇を産む。

竹宮の活躍の場は「少女コミック(本誌)」。漫画のメインストリームである週刊誌だ。対して萩尾が活躍する場は、月刊誌である「別冊少女コミック」である。竹宮とは違い、編集部からの注文は少なく、のびのび描ける環境。萩尾には編集部から掲載が約束されていたため、アンケートの結果を気にする必要もなかった。

自分は人生をかけて革命を起こそうとしているのに、萩尾はいつの間にか、描きたいように描いて、少女漫画に新しい風を吹かせている。しかも、まったく無自覚なままに――。

萩尾は、その無自覚さゆえに、竹宮がどれほど萩尾に憧れ、萩尾を怖れていたかを理解していなかったのだ。

そして萩尾への焦りと嫉妬が歪んだ形で現れる。
竹宮は「小鳥の巣」を盗作と決めつけ、萩尾に掲載差し止めを求めたのだった。

萩尾は竹宮の豹変にショックを受けてしまう。
何より、自分が作り上げた我が子のような作品が、知らず知らずのうちに人を傷つけていたことに自責の念を感じてしまった。
しかし、萩尾は盗作の言いがかりをつけた竹宮を責めることはなかった。
それは親友であり恩師でもある竹宮との友情を、自分から破壊することができなかったがゆえの沈黙なのかもしれない。もしくは、自らの漫画を守るために選んだ萩尾なりの抵抗なのかもしれない。だがいずれにせよ、萩尾は大泉のことを告発せず、地雷を永久に埋葬することを選んだ。
しかし、各種メディアが大泉サロンを物語にしようとした。それにより初めて、そして一度だけ、あの時のことを語らざるをえなくなったのだ。

数奇な運命に狂わされた2人の天才。
もう叶わないことだが、萩尾と竹宮が今でも仲良くしていたら、この「少女漫画版トキワ荘」の話は、後世に残る大傑作になったのではないか。そう思うと残念でならない。

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本書を読んだあとは、竹宮の自伝である「少年の名はジルベール」を併せて読むことをオススメしたい。大泉サロン解散の理由が、もう一人の当事者である竹宮の口から語られている。
萩尾と竹宮の証言に相違はあるものの、理解をさらに深める上では最適な一冊だ。
https://booklog.jp/users/suibyoalche/archives/1/4093884358
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【登場人物】
●竹宮恵子
「週刊少女コミック」に「森の子トール」でデビュー。増山の紹介で萩尾と出会い、大泉で同居生活を始める。
美人で明るくて親切で才女。綺麗で伸びやかなタッチは、まさに自信が筆に現れたような絵だった。
増山の少年愛好きに感化された竹宮は、「週間少女コミック」に「風と木の詩」を連載する。少女誌で初めて大々的にBL作品を載せた竹宮は、時代の革命児となった。

●増山法恵
小さいころからピアノの英才教育を受けていたが、自らの限界を知り、親の目を忍んで、漫画、小説、映画や芸術に没頭する。竹宮、萩尾とは違い漫画は描かないものの、2人の作品の批評家となり、後年は竹宮のプロデューサーのような役割を果たしていた。少年同士の同性愛を好み、自らが理想とする漫画への意識が非常に高かった。

●萩尾望都
手塚治虫に感銘を受け、漫画家になるべく福岡県大牟田市から上京する。上京前から竹宮・増山と親交があった。竹宮が同居人を欲していたこともあり、大泉の長屋で一緒に暮らすこととなる。SFと学生ものが好きだが、増山ほど少年愛に熱を上げていなかった。
代表作は「ポーの一族」。
当時の少女漫画界は「女の子が主人公のハッピーエンドもの」が一般的であったが、萩尾は少年が主人公で、かつ物語性の高い作品を描いたことで、時代に革命をもたらした。

●山岸凉子
北海道出身の「りぼんコミック」作家。竹宮にあこがれて大泉を訪ね、交友関係を持ち始める。萩尾とは今でも仲がいい。

●ささやななえこ
北海道の芦別に住む「りぼんコミック」作家。北海道から東京の出版社に原稿を持ち込んでいた。萩尾と意気投合し、たびたび大泉を訪れるようになる。

●城章子
石ノ森章太郎に会いたい一心から福岡から上京した。石ノ森章太郎に会い、「竹宮恵子という有望な新人がいる」と紹介を受け、大泉に訪れた。今は萩尾のマネージャーをしている。

●佐藤史生
佐藤が萩尾にファンレターを送り、それを読んだ萩尾が「面白そうな人だ」という理由で会い、交友関係が始まる。竹宮のアシスタントをしながら、「別冊少女コミック」でデビューする。萩尾と同じくSFの愛読者だった。


【本書のまとめ】
1 本書を書くにいたった理由
萩尾望都は、練馬区の大泉で竹宮、増山らと一緒に生活していた。
しかし、すでに交流は絶っており、自分からあのときの話はしたくない。
だが最近、竹宮の自伝効果もあり、「大泉時代について取材させてくれ」というメディアが増え、周辺が騒がしくなってきた。だから一度だけ、一度だけ大泉の話をする。


2 大泉での生活
大泉での生活は1970年10月から始まる。
竹宮は萩尾と一緒にアパート暮らしを始める。アパートの向かいには増山の実家があり、3人はいつも一緒に行動していた。

大泉での生活は、増山が旗振りをして、それに竹宮と萩尾がついていく、という構図である。増山は「一流」を欲しがっていた。音楽、映画、美術…いち早く話題の作品を見つけては、2人に熱意を持って勧めていた。
そして何より、増山は2人の漫画の才能を「一流」だと確信していたのだ。

増山は、2人に手紙を送ってくるファンを峻別し、大泉サロンに泊めていた。大泉サロンには入れ代わり立ち代わり、色々な漫画家が居候し、お互いの原稿のアシスタントになっていた。ささやななえこ、山田ミネコ、城章子、山岸凉子など、俗にいう「24年組」が大泉の長屋で漫画を描いていたのだ。

締め切りに追われながら原稿を描き、漫画の技法について語らい、ときには少女マンガ界の現状を徹夜で議論する。アパートには時代の最先端を行く者たちの熱気が満ちていた。

当時はとにかく「少女マンガとはこれ」というパターンが決まりきっていたのだ。大きな目、カールした髪、決まりきったストーリー。それは編集者が古い価値観に縛られ、変化を嫌った結果である。竹宮と増山はこの現状を、「少年愛を描くこと」で打破したいと考えていたのだ。

対する萩尾は、少年愛への熱が2人ほど高くはなく、少女漫画に革命をもたらそうという気概も薄かった。


3 大泉サロンの終了
大泉の生活は2年で終了した。欧州旅行(竹宮、増山、佐藤、萩尾の4人で行った)から帰ると、そろそろ別々に暮らしたいという提案が竹宮から出された。
その頃、竹宮と増山は双子のように仲がよく、竹宮は、仕事のとき以外はほとんど増山の家に入り浸り状態だった。
大泉の長屋での生活は終わったものの、みんな下井草に引っ越したため、距離は相変わらず近く、大泉サロンは実質続行していた。
竹宮と増山は同じマンションに住み、萩尾とささやはそれぞれ一人暮らしを始めた。

萩尾が「小鳥の巣」の連載に取り掛かり、ちょうど一回目が掲載されたころ、転機が訪れる。
萩尾は竹宮と増山からアパートに呼ばれる。呼ばれた先で、竹宮が「小鳥の巣は、わたしの作品の盗作だ」と主張したのだ。
そして、「私たちは少年愛についてよく知っている。でも、あなたは知らない。なのに、男子寄宿舎ものを描いている。ああいう偽物を見せられると私たちは気分が悪くてザワザワするのよ。だから、描かないでほしい」とも告げた。

あらゆることを釈明する余裕もないまま、呆然とし帰路についた萩尾。混乱し傷ついていた萩尾に対し、後日竹宮は手紙を残した。そこには、「今後近寄らないでほしい」という内容の文章が書かれていた。

萩尾は「自分の何か悪いことで嫌われたのだ」と自らを責めるようになり、ストレスで身体を壊してしまう。
体調不良を一つの理由として、萩尾は田舎へ引っ越し、竹宮の作品を読まなくなった。大泉サロンは、この瞬間終了したのだった。


4 解散の原因
解散の原因は竹宮の嫉妬であったが、萩尾には嫉妬という感情が理解できなかった。
ある時、萩尾は「嫉妬という感情についてよくわからないのよ」と山岸に話すと、「ええ、萩尾さんにはわからないと思うわ」とあっさり言われたという。
萩尾は見たものをぱっと覚えてすぐ絵にできる才能があった。斬新な表現技法を思いつき、実践する腕もあった。そして厄介なことに、萩尾自身は自分の才能に無自覚で、自己評価も低かったのである。その証拠に、竹宮のことを「売れっ子作家」と呼ぶ一方、自分のことは「アンケートが取れない巻末作家」と評している。

竹宮と増山は「少女漫画革命」を起こそうとしていた。2人の才能を持ってすれば、当時レベルの低かった少女漫画を変える革命を起こせると確信していた。その中に、漫画界に画期的な「少年愛新作」を掲げて披露する計画があったのだろう。それを担うのが「風と木の詩」だったが、ここに萩尾の「小鳥の巣」という――小鳥の巣は風木と同じく男子寄宿舎を舞台としていた――邪魔がはいったのだ。
同じジャンルを描くということは、排他的独占領域を侵すことだ。その地雷を踏んだことが、竹宮は許せなかったのだ。


5 もう大泉のことは語らない
「大泉サロン」という名前も、「24年組」という名前も、萩尾の知らないうちに流布していた。このごろは「少女漫画版トキワ荘」の一員として、各種メディアからインタビューの申し込みがある。「あのころ、竹宮先生と一緒に少女漫画革命を目指していらっしゃったんですって?」と。

しかし、そんなことはない。竹宮や増山とは既に距離を置いている。彼女の漫画は読んでいない。萩尾は排他的独占領域に触れるのを、今でも恐れている。

竹宮が自伝(萩尾を褒める内容が書かれている)を出版してからというものの、ライターが二人の対談記事を書こうと企画したり、ドラマ化したいとメディアから連絡が来たりする。

しかし、もう思い出したくない。あのころのことは忘れて封印しておきたい。大泉の企画は、わたし抜きでやってほしい。

大泉を語るのは、この本一度きりだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年6月5日
読了日 : 2021年6月4日
本棚登録日 : 2021年6月4日

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コメント 2件

kuma0504さんのコメント
2021/06/05

すいびょうさん、
非常に素晴らしい整理だと思います。
私もちょうど2冊目を読書中で、大きくは同意します。
2点細かいことを言うとすれば、
・読む順番は「ジルベール」→「一度きりの大泉」がいいだろうと思います。二人が本を書く「動機」が、逆から読めばわからなくなるから。
・それから、私は基本的に悪いのは竹宮恵子だと思うけど、竹宮恵子は「小鳥の巣」を盗作と決めつけて掲載差し止めを要求したことを数日後に撤回しています。萩尾望都の中では、そうではなかったのかもしれませんが、おそらく竹宮恵子の中では「言い過ぎだった」ということだけは伝えたと思っていたでしょう。その上で、嫉妬が原因で「もう近づかないでくれ」と言ったのです。もうホント普通の女の子のケンカそのものの様な気がします。でも実質は日本の少女マンガを背負うべき才能と才能のぶつかり合いだったので、こういう不幸なことが起きた。

このレビューに何を書いても屋上に屋を架すことになりそうですが、数日後に感想文を書こうと思っています。

すいびょうさんのコメント
2021/06/06

kuma0504さん

コメントありがとうございます。
・確かに、ジルベールからのほうがわかりやすいかもしれませんね。ただ、一度きりの~がかなり話題になっているため、本書から読み始める人もいる(自分もそう)と思い、ジルベールも並列表記しました。
・ホント、根にあるのは普通のケンカそのものですね。嫉妬が産んだ人間関係のこじれ。何とも惜しいことだと思います。

kumaさんの感想文も楽しみにしてます!

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