おちけん (アクションコミックス)

著者 :
  • 双葉社 (2009年3月28日発売)
3.89
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本棚登録 : 89
感想 : 7

少女はとても上手に飛行船をかいた
だが
その飛行船に乗ることはできなかった
(どうしてもこの飛行船に乗りたい)
と一日中なやんでいましたが
とうとう消しゴムで消してしまった


ばかだねえ
その飛行船と一緒に乗っている自分をも
かいてしまえばよかったのに

「ピアニストを撃て」寺山修司



人前で話せない、あがり症の天才落語少女や、津軽弁のきついモデル級の美人、プライドに実力が追いつかないお嬢さんといった、ギャグ的にはお約束感もあるキャラクターを配しつつ、落研の活動を描いたマンガということになると、少し前にあった落語ブーム、あるいは現下の文化部系のマンガブームの中の一本という枠にくくられてしまいそうでもある作品。

マンガ、あるいはエンターテイメント全体の潮流という大きな視点で見ると、そういう判断になってしまうのもやむを得ないかもしれない。しかし、大局的に過ぎる判断はときに誤ることもある。作品に密着しよう。

川島よしおという漫画家だけに焦点を合わせれば、この作品はある部分ではこれまでの彼のマンガの延長線上にあり、また別の部分では、過去には表面化していなかった資質をあらわにした特異な作品と言うことが出来るはずだ。

川島よしおを知ったのはチャンピオン誌上の4コママンガ『グルームパーティー』。グラップラー刃牙を立ち読みしているときに目に付いたのだが、気にかかったのはそのタイトルだった。

これは、ある長編小説の原型が関西の高名な文芸同人誌「VIKING」に掲載された際のタイトルである。
このタイトルをめぐっては、一悶着あり、『憂鬱なる党派』と言いたいのなら、『グルーミー・パーティー』の方が正しいのではないかと同人にからかわれて、高橋和巳が逆上したということだ。

こんなタイトルをギャグマンガにつける筆者のセンスもよく分からず、ただの偶然かとも思ったのだが、戦後文学からのそれとない引用は随所にあり、気になる存在であり続けた。

とはいえ、4コマギャグの宿命であるマンネリ感もさすがに目立ちはじめ、ヤングアニマル『くじごじ』(OL課長の名前が花田キヨテル。なんじゃそら)の終了あたりをさかいに連載を追うことは途絶えてしまった。そもそもこの時期あたりから漫画誌を読むこと自体が少なくなったし、川島の現在の掲載誌の竹書房や、双葉社の雑誌はましてあまり手にとることがないということもあった。若干、都落ち感を抱いてしまったことも事実だ。


そんなわけで、通販の送料クリアのためにふと思い出して買った川島の近作なんだけれど、結果、チェックをしばらく外していた自分の不明を恥じることになった。

孫娘の設定に後付け感があったり、柳屋高校の挿話が広がりもしなければ、回収も出来ないなど、雑誌連載という形態をめぐっての曲折もかいま見える。
そのような瑕疵をあげていけば作品の評価を下げることは可能であるから、そういう趣味がある人は自由にやっていただきたい。


デビュー以来の4コマギャグという形式で、しばしば公言していた趣味の落語を題材に扱うとなれば、それは川島のマンガを知っているものにとって、それまでの作風の集大成、あるいは中間総括というように思える。

じっさい、これまでにもしばしば落語をベースにしたと思われるギャグを作品内に散りばめてきたのだから、あらためて落語そのものを扱うということだけでも作品史的に注目はできる。


さて、川島のこれまでの4コマにおいて、その場その場の起承転結のなかで完結するキャラクターたちには、その後に引きずる人生における痛みというようなものは存在してこなかった。何かのトラウマや欠損を抱えていても、それは当該の4コマの中で過不足なく消化されるものなのだ。

だが、『おちけん』では主人公加藤に崩壊した家庭という欠損を、ギャグの要素を欠いたまま刻印している。これは物語の初期に提示されたまま、一回限りのオチの中では解消されない。その上で、加藤が逃避のように選んだ落語の人情噺を通じて、一巻を通してあらためてその傷に向き合い再生を果たしていくという、川島マンガに慣れ親しんだものにはある種驚くような展開が待ちかまえている。

誰もいない家から逃げ出して、たまたま一人で飛び込んだ寄席の落語「薮入り」に心を動かされる場面はとても印象的だ。人はときに偶然、落語や、サッカーや、将棋や、ドイツと日本が大戦に勝ったSFに出会ったりする。
それは、それまでの人生には何の必然性もなかったものだとしても、一度結び付けられてしまえば運命的としか言いようのない逃れられぬものになってしまうのだ。


「そんなある日、私はその観戦記を読んだのである。
 その地下室を出た足でふと立ち寄つた喫茶店へ備へつけてあつた新聞を、何気なく手に取つて見ると、それが出てゐたのである。丁度観戦記の第一回目で、木村の七六歩、坂田の九四歩の二手だけが紹介されてあつた。先手の角道があいて、後手の端の歩が一つ突き進められてゐるだけといふ奇妙な図面を、私はまるで舐めんばかりにして眺め「雌伏十六年、忍苦の涙は九四歩の白金光を放つ。」といふ見出しの文句を、誇張した言ひ方だとも思はなかつた。私は眼がぱつと明るくなつたやうな気がして、
『坂田はやつたぞ。坂田はやつたぞ。』と声に出して呟き、初めて感動といふものを知つたのである。私は九四歩つきといふ一手のもつ青春に、むしろ恍惚としてしまつたのだ。
 私のこの時の幸福感は、かつて暗澹たる孤独感を味はつたことのない人には恐らく分るまい。私はその夜一晩中、この九四歩の一手と二人でゐた。もう私は孤独でなかつた。」
(織田作之助「聴雨」http://www.aozora.gr.jp/cards/000040/files/862_19622.html 青空文庫)



川島よしおに叙情的な資質があることは端々から了解していたのだけれども、本人の照れもあってか、そのような側面はこれまで正面切って展開されたことがなかった。だから、この作品を読んだときには、川島よしお、ついにやったんだなと、ちょっとばかり感慨にふけってしまった。95年のデビューから、実に15年近くかかったわけだが。



…あらためて読み返すとちょっと褒めすぎたかなという気もしないではない。最初にあげた欠点は無視できないものだし、新入部員のアンナが一巻かけて独自の「まんじゅう怖い」に、加藤が終盤の展開から「子別れ」に取り組んだことに対してマチコの成長がはっきり描かれていないのは惜しい。

「狸賽」(これはいかにも川島が好きそうな話だな)を元ネタにして、落語が上手くなりたいと思うマチコのもとに、タヌキの姿をした加藤があらわれ、自分が後ろで落語を話すから、あなたは前で口だけ動かしていればいいという夢を見てうなされるという挿話がある。

マチコの成長は、このエピソードを起点にして立てることが出来たはずだし、こういう話を描いたということは、川島自身にもその意図はあったのではないかと思うのだが、その方向は深められぬまま連載は終了してしまった。

単行本化の際にあらためて枝葉を刈り込み、伸ばすべきところを伸ばす余裕があれば、さらにすぐれたストーリーになったのではないかとも思う。


とはいえ、やっぱり肯定的な評価を取り下げる気はまったくない。

おそらく川島よしおは、また当分のあいだは、下ネタまじりの比較的マイナーなギャグ漫画家であるに違いない。わたしはそういう川島よしおが好きだ。

しかし、川島には10年ほど後に漫画史に残る傑作を描く可能性があると思う。そのときには、『おちけん』がそのターニングポイントだったと認識されるだろう。
川島よしおは10年待つ価値のある漫画家である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: マンガ
感想投稿日 : 2010年9月6日
読了日 : 2010年9月6日
本棚登録日 : 2010年9月6日

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