最強おじいちゃんは今夜もあの娘の夢を見る。
カップル厳禁。ヘッドフォン推奨。
ネタバレなしで息を飲め。



 舞台は、荒廃した犯罪都市デトロイト。若い男女3人の窃盗団が、盲目の老人が隠し持つとされる事故死した娘の賠償金数十万ドルに狙いをつける。しかしその老人は驚異的な聴覚で人の気配を嗅ぎつけ、躊躇なく人を殺めることができる元海兵隊員の殺人マシーンだった。というあらすじ。

 監督フェデ・アルバレスは、SF短編『Ataque de Pánico! Panic Attack!』(2009)をサム・ライミに評価され、『死霊のはらわた』リメイク版(2013)の監督に大抜擢されたものの、ユーモアの趣を排し、凄惨なスプラッター描写に徹した結果、旧来のホラーファンから大ブーイングを食らった前科あり。しかし本作では、前作での反省を生かして残酷演出を抑制し、肉迫するリアリティを探求した。一軒の建物に訪れた男女が得も言われぬ恐怖から逃げ惑うコンセプト、主演ジェーン・レヴィは踏襲されており、まさしく“はらわたリベンジ”を期した快作である。10億円の低予算映画ながら160億円以上の興行収入を上げたアルバレス監督は、『ドラゴンタトゥーの女』シリーズをデビッド・フィンチャーから引き継ぎ『蜘蛛の巣を払う女』(2018)の監督脚本を担当した。
(サム・ライミらオリジナル制作陣、ブルース・キャンベル主演によるドラマ版『死霊のはらわたリターンズ』もHuluにて配信されたが、こちらは主人公の30年後を描くホラー・エンタテイメントの装い。1stから見比べてみても面白いかも?)


 窃盗団は、ホラーには定番ともいえる役割分担がなされている。妹を連れて育児放棄の母親からなんとかして逃げ出したいロッキーは“大胆さ”を象徴し、横暴な態度と暴力でロッキーを束縛しようとするマニーは“愚かさ”、悪いことだと理解しながらも犯罪に加担することでしかロッキーへの愛情を示せないアレックスは“臆病さ”を表している。日本でも貧困家庭は社会問題化しているが、即犯罪に結びつける論議が公には憚られることもあり、彼ら“招かれざる者”たちは観客の共感を得られにくい立ち位置でもある。だが貧困の連鎖から抜け出すことへの渇望は、彼女の若さと無垢な幼い妹の存在によって、想像以上に猛々しいものにちがいない。またデトロイトからの、貧困からの脱出こそが“自由”だとする彼女の指針は、そのまま“老人の家”からの脱出、“金庫”からの窃盗と入れ子構造になっている。はたしてロッキーは無事現金を奪い脱出することができるのか、自由を手にすることはできるのか。


物語前半は、幾重にも施錠され、窓も板打ちされた家に閉じ込められて、暗闇の中を逃げ惑い、追い詰められていくシチュエーション・スリラーで、その名の通り観客も息ができなくなる緊迫感。カメラワークも秀逸である。
盲目×犯罪サスペンスという設定は、テレンス・ヤング監督『暗くなるまで待って』(1967)やリチャード・フライシャー監督『見えない恐怖』(1971)でも使われているが、ここではオードリー・ヘップバーンのような麗しい婦人でも、ミア・ファローのようなか弱いレディでもない。リアル・ジョセフ・ジョースターとも称される筋骨紳士スティーブン・ラングが演じる“絶対死なないマン”である。


後半、迷路のようになった地下室の奥に、真の恐怖が隠されていた。異様な空間に拘束される女、彼女こそ老人の娘の命を奪い、事故を金でもみ消した張本人・シンディだった。しかしロッキーたちの逃亡劇に巻き込まれ、老人が放った銃弾によって女は絶命。狼狽え、慟哭する老人。いよいよロッキーは捕まえられ、マウントを取られて鈍器のような拳でバチボコ殴打されるシーンなど、観客は擬似レイプされているような無力感と絶望を思い知らされる。...

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2019年8月25日

ネタバレ
読書状況 観終わった [2019年8月23日]
カテゴリ 怪奇 / ホラー

#よりもい ッて何?…と思ってから『宇宙よりも遠い場所』だと知るまでに1年半かかった(;´・ω・)
未見の方は、騙されたと思って第1話だけでも2万回見てみ。ね!



生きてるだけで苦しいと感じたことのある全人類の涙腺を崩壊させる破壊力(全話泣いた)と、思春期に差しかかった我が子に見てほしい(実在しない)と思えるあたたかさを兼ね備えた“名作”。

JK4人が南極を目指すアニメ。と説明するだけでは足りない。
進むべき方角を示すキマリ、道を切り開いていく報瀬、“嘘”に敏感な日向、軽く死ねる結月。
日常系のキャッキャウフフではなく、人間関係に“難アリ”な4人が大冒険の過程で、それぞれの壁を乗り越えていく青春ロードムービーの側面が強い。


もちろん「んな訳ねーだろ」「ご都合主義」といったツッコミドコロは無限にあるものの、アニメだから描ける、伝えられる感情の機微を丁寧に織り込んでおり、4人だから立ち向かえた、乗り切れたときの喜びはひとしおなのだ。

“100万円”の使い道や「先に行けよ」、日向の“トモダチ”に怒りをあらわにする報瀬、“Dearお母さん”、めぐっちゃんの覚醒等など、澱んでいた水が決壊して一気に流れ出すような怒涛のストーリー展開の中でありとあらゆる伏線回収を繰り返し、出会ってから数か月の間に彼女たちが生きた・感じていた濃密なドラマを堪能できる。


いわゆる“聖地”は南極…ではなく群馬県館林~桐生エリアがメインで、個人的にゆかりのある土地だったこともハマるきっかけに一役買ってくれた。ちなみに館林が誇る宇宙飛行士にちなんでか観測船船長の名前は迎千秋。
そういった異常なほどの小ネタが見るものを引き込み、ED『これから、これから』など数々の名曲が、旅(物語)の余韻に浸らせてくれる。

あなたの人生の旅路に大いなる幸あれ!

2019年7月30日

ネタバレ
読書状況 観終わった [2019年7月29日]
カテゴリ 青春

『昭和元禄落語心中』やコミカライズ版『舟を編む』で人気の雲田はるこさんが2009~10年に発表した初期BLの短・中編集。H描写は薄めでよき。



表題作『野ばら』は、20歳代で亡父の洋食屋を継いだシェフ・武とバイトのバツイチこぶつきのアラフォー・神田の純愛もの。
ノンケがゲイを追いかける展開、神田の娘・モネちゃんが“子はかすがい”とばかりに躍動し、”擬似家族”化→二人が結ばれるおまけ書下ろし編に至るほっこり感は絶妙。
実写化するならだれかなーと想像しても神田さんに合いそうな柳腰の中性的なアラフォー俳優ってちょっと見当たらない(長谷川博己さんとか??てか最近の中年俳優ってみんなマッチョすぎないか?)。ノンケを覚醒させるほどの中年ダメンズ設定って相当インクレディブル。


『みみクン』シリーズは、生まれてこの方20年間女の子を目指して生きてきた(けど男の子のガタイを持つ)トランスジェンダー・みみクンが主人公。惚れたお相手バリネコの薫チャンに「女の子は愛せない」と言われ、「俺、薫チャンの為なら何にでもなるよ」と“女の子”を捨てる決意をする。
キャラ的にみみクンがどうしてもはるな愛さんで脳内再生されがち問題(笑)実際ゲイでガチ恋しようと思ったらストレートな男女の恋愛よりもお互いに献身性や健気さが必要とされたりするのかもしれない。


『Lullaby of Birdland』は、日本から異国にある母の郷里へと訪れた医師・トキオと、そこで出会ったバードと名乗る美青年とのロードムービー調で、最も物語の起伏に富んだ内容。
三作共に共通するが、雲田さんは“相手を認め、受け容れること”を丁寧に描いてくれる作家さんだ。傷ついた人であっても無条件に愛する。だからこそBL好きでもない私でもすっきりした読後感が得られるのかもしれない。


サービスカットとも言えるカバー裏、作者渾身の萌え語りを披露してくれているあとがきも見逃せない。

2019年6月5日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2019年6月4日]
カテゴリ ラブロマンス

「ただ口紅を使いつづけなければ
わたしは醜い姿で生きることに耐えられず
あなたは世界から忘れられてしまうのだ」
      (松浦だるま『累』第21話)




醜い顔で周囲から苛烈な仕打ちを受けてきた累(かさね)に、伝説の女優とうたわれ美しいままこの世を去った母・透世(すけよ)は“接吻することで顔を入れ替える力”をもつ口紅を遺していた。その秘密を知る謎の男・羽生田は、累と美貌の舞台女優ニナを引き合わせる___



極度の過眠障害と演技力不足に悩み、女優の道をあきらめかけていたニナだったが、累の口紅と卓越した演技の才能を利用すれば成功できると確信。他人の顔を手に入れることで醜い己とは別の人生を味わい、美貌さえあれば舞台の上で輝けることに陶酔していく累。二人羽織のように結託して“女優ニナ”を築こうとする2人だったが、次第に不協和音が生じていく___


長い眠りから覚めたニナは、自分の知らない間に累が自分に成り代わって女優としてステップアップしていたことを知る。成功を得たのは、名声を得たのは、幸せを掴もうとしているのは、自分ではない。累が演じてきたニナ、自分さえ知らないニナなのだった___




「観客が最も感動するのがどんなときだか分かるか
ニセモノがホンモノを超えてしまう瞬間だよ」




後半、ニナのアイデンティティは加速度的に崩壊していく。私が私のものではなくなること、自分の体が乗っ取られる感覚、自分の家族がそれまでの人生が奪われていくことへの恐怖。自分ではない肉体、醜く蔑まれること、人目を避ける日常が当たり前になっている。いつしか自分とは思えなくなっている、他人のように見えるかつて自分だった“ナニカ”。


自分の人生を取り返すために口紅を奪おうとたくらむニナ。口紅の力でニナの美貌を、その演技で新しい人生を掴もうとする累。2人は憎しみをぶつけあいながら“自分の顔”を奪い合う。


クライマックスの劇中劇『サロメ』で文字通り狂喜乱舞する土屋太鳳に、朝ドラやティーン向け恋愛映画で見せた面影は微塵もない。ただただ醜くおぞましい怨念を舞台の上で猛々しくも妖艶にぶちまけ、私たちを魅了する。そして血がサロメを真紅に染めんとするとき、累は完全にニナになったと知らされるのだ。それは私たちの知る芳根京子でも土屋太鳳でもない。若くしてスターダムに駆け上がろうと死に物狂いに“演じる”2人の女優。







マンガ原作の第1話から第27話の内容が整理されて、構成もテンポも分かりやすい。焦点を2人の女優に絞ることで、とりわけ照明演出を介して2人の美しさと醜さを抜群に引き立てている。あたかも“光と影”、対照的な2人と錯覚してしまうのは筋違い。2人は美しさと醜さとをそれぞれ身にまとい、全く別々の人生を歩み、もがき苦しみながら、一皮むけば欲望と憎しみにまみれた似た者同士である。

劇中劇の取り込み方の妙、ラストシーンに至るまで累がニナへ、ニナがサロメへと同一化していく二重三重の“錯覚”は原作を超えていると言って過言でないと私は思う(現段階で原作は第28話以降未読)。あまりにもうまくまとまっているせいか続編ではなく、同じ内容で別の女優が演じるとどうなるのか見てみたいほどだ。



個人的に少し物足りなかった点は、制約があったのかもしれないが、2人の接吻シーンや絡み、衝突が単調だったこと。
また舞台で演じる女優の愛憎劇という設定には、ダーレン・アレノフスキー監督の『ブラック・スワン』を想起させるものがあった(ニナだし)が、精神的な追い詰め(いわゆる胸糞)要素やサイコ成分は抑えられ、どんでん返し的なサスペンスでエンタメに振れたことも肩透かし。
あと子役...

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2019年5月14日

ネタバレ
読書状況 観終わった [2019年5月14日]
カテゴリ 怪奇 / ホラー

農家さん漁師さん酪農家さんありがとう的ピースフルマインドを是としながら食事を楽しむ私のような人間に強烈なカウンターパンチを浴びせる読者直結型ルポルタージュ。

「中国産て書いてあるこのサカナ、どこで獲れたのかな」

目次はやや扇情的に過ぎ、著者鈴木智彦さんが長く暴力団ルポに携わってきたことから単純に「暴力団=悪」という構図には書かない(美化はせず、脱法行為をする〝社会の必要悪〟といった捉え方)点にはやや留意が必要だが、海洋国日本の全域に蔓延るといっても過言ではない社会問題にスポットを当てた快作である。

とはいえ、サカナを食べるとヤクザが儲かる、という話に短略化してはならない。サカナを獲って売って暮らす人びと、港町で生きる人びと、サカナを食する私たち全員が本書に登場する不公正なシステムから何がしかの恩恵を享け、甘んじている。法整備や流通の改善、消費者も含めた意識改革は必要となろうが、金の成る木や法の抜け穴には〝破れ窓理論〟のようにズル賢い者たちが湧いてくる。

Fresh Speed社が始める「釣った魚をオークション売買」するFish Saleなど、いかにも密漁や越境売買が容易に想像できるサービスに思えるではないか。


2019年3月3日

 俳優松田龍平デビュー作、大島渚監督の遺作。
公開時は過剰な宣伝と低評価、幕末嫌いだったため敬遠していたが、時を経て。



 本作は、司馬遼太郎の短編小説集『新選組血風録』収録の「前髪の惣三郎」「三条磧乱刃」を原作とした歴史フィクションであり、新選組×衆道(男色文化)に違和感を感じる方には強くはお薦めしない。
だが男×女間の性愛をノーマル、それ以外(LGBTなど)をノーマルとは区別する視点に対して、歴史的・文化的に疑問符を呈し、見るものを触発せずにはおかない作品である。


 私たちは「現代」から「切り取られた歴史」を振り返るとき、研究家でもなければ当時の風潮や今は失われた習慣などを加味せぬまま「現代的な一般性」を介して解釈しがちである。自分の目を疑え、言い換えれば、今の自分たちの居場所を疑え、ということにも通ずるものがある。
私たちが当たり前として受け入れていることは、無自覚であっても“抑圧”された感情が隠されているのではないか。たとえば200年前まで抑圧される対象ではなかった衆道・同性愛的感情も、現代社会では多くが抑圧されているだけなのではないのか。



 物語は、異彩を放つ美青年・加納惣三郎(松田龍平)と衆道に通じた田代彪蔵(浅野忠信)が新選組に入隊したことから始まる。副隊長・土方歳三(ビートたけし)は、局長・近藤勇(崔洋一)が加納を見る目が違うと察し、それを衆道の気と疑いを抱く。
田代が加納と通じたとの噂から、周囲の隊士の中にも浮ついた気配が漂った。

「前にも一度あったではないか。あれは池田屋の頃、何故か隊内に衆道の嵐が吹き荒れた。誰もが熱に浮かれたようだった。…また、ああなっては敵わぬ」

これは加納の交際相手が気になるか、という土方の問いに、近藤の返答である。
映画の舞台は1865年の京都、史実によれば池田屋事件はその前年のことである。池田屋事件、蛤御門の変以降、伊東甲子太郎ら一派を加えて組織も様変わりしたとて、これほど短期間のうちに隊内に再び衆道が流行るということは組織の素地にその元凶があったと言わざるを得ない。

隊士・湯沢藤次郎(田口トモロヲ)は、「皆、あの四人(同門の近藤、土方、沖田、井上)には遠慮している。皆が遠慮しているから、この四人の権力は崩れない」と漏らす。
腕自慢が揃う新選組にあっては、六番組組長・井上源三郎(坂上二郎)など風体も冴えず剣の実力でも大きく劣ったが、隊内部のヒエラルキーとして、彼らの優位を奉ることが秘匿の規律であった。局中法度に背くものは容赦しない粛清が施される鉄の掟はそうした“空気”によって支配されていたはずだったのだ。

加納と井上の立ち合いを覗き見た肥後訛りの男たちは、そうした新選組の内実を知ってか知らずか、大した芸ただ、と挑発して立ち去る。
腕のない者と手を抜く者との修練、咎めもせず見て見ぬふりをする隊士たちの腑抜けた空気。井上の稽古もまた衆道の気に駆られたものなのであろう。


「近藤さんと土方さんの間はどうなんです。私にはお二人の間には誰も入れない暗黙の了解があるような気がします。それが新選組なのです。ところがときどきそこへ誰か入ろうとする。近藤さんが迂闊に入れようとするときもある。土方さんはそれを斬る」

小さい頃から二人を敬慕する一番隊隊長・沖田総司(武田真治)から見れば、近藤が加納を見る目も、土方が加納を見る目もおかしいという。明言は避けているが、近藤が目を掛ける加納に土方も心奪われ、同時に嫉妬しているのだ。しかし沖田はそう言って土方に牽制する。


エンディング、沖田は用を思い出したと加納のいる河原へと戻る。土方は、事の顛末を知った沖田が加納を切る心づもりであることを察し、「お前が惣三郎にではなく、惣三郎が...

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2018年9月21日

ネタバレ
読書状況 観終わった [2018年9月20日]
カテゴリ 歴史・時代もの

1950年代後半、“劇画宣言”を提唱した辰巳ヨシヒロによる半自伝劇画。なぜ“誕生”ではなく“漂流”なのか、が本作の妙味でもある。



手塚治虫に憧れた少年ヒロシは、ストーリー漫画の薫陶を受け、十代から貸本マンガを手掛けるようになる。戦後の占領下で規制されていた娯楽の解放、『新寶島』以降の赤本ブームにより少女もの、時代活劇、文学物などジャンルは飛躍的に増えていたが、まだ当時はマンガは児童向けや生活もの(『轟先生』『サザエさん』等の新聞連載)が主流とされていた。


その一方、赤本ブーム後の貸本業界における読者層は、労働者階級の若者たちが中心だったこと、映画とストーリー漫画文化の影響を受けた若い世代の漫画家たちは、ユーモアや画一的なヒーロー像に依らない“より新しい実験的なマンガ”、“同世代のための・大人向けのマンガ”を追求するようになる。


大阪で貸本漫画を描いていた辰巳ヨシヒロが中心となり、石川フミヤス、K・元美津、桜井昌一、山森ススム、佐藤まさあきで「劇画工房」を発足し、更にさいとう・たかを、松本正彦を加え、『影』(日の丸文庫)、『街』(セントラル文庫)、『摩天楼』(兎月書房)など劇画雑誌を次々にヒットさせ、貸本ブームは最盛期を迎える。


しかし、『少年サンデー』『少年マガジン』といった週刊少年コミック誌の登場やTVの大衆化によって、若者文化の中心的だった貸本のシェアは徐々に衰退。劇画工房自体も辰巳、さいとう、松本の脱退を機に分裂。1960年代後半は青年コミック誌も多く発刊され、学生運動隆盛においては「右手にジャーナル、左手にマガジン」とマンガは若者文化により深くコミットした存在となった。そして1960年代、学生運動の終わりとともに、貸本出版と旧来の貸本業も姿を消した。



現在では劇画とマンガとの垣根は曖昧なモノとして忘れられつつある(マンガ全体の中の劇画なのか、マンガと劇画は別物なのか問題)(今日ではさいとう先生や池上遼一先生のような「写実的でドラマティックな画風」と解されがち)。そうした手法に至るまでのマンガ家たちの熱情や試行錯誤、映画やハードボイルド文学といった海外文化からの影響や時代背景、マンガと出版業界と読者との関係など、めまぐるしく移り変わった半世紀を詳らかにしてくれた功績には一マンガLoverとして感謝してもし尽くせない程だ。


本作は、1995年から2006年にかけて「まんだらけ」カタログ誌に掲載されていたが、打切により1960年代以降の状況について多くは触れられぬまま終わっている。それがさながら主人公が青春のすべてを捧げた“貸本時代”と符合して、さらに感慨深い。またこの作品を世に送り出した青林工藝舎、手塚治虫文化賞大賞(2009年)を捧げる名采配を見せた選考委員にも拍手を送りたい。

2018年9月19日

ネタバレ

第2期は15分に拡大し全24話と大盤振る舞い。物足りなさを感じた1stに比べると非常に充実した内容。バックパックが欲しくなる良作。



それぞれの人間性や家族を含めた営み、石浜真史さんによるオープニング、音楽・景色の魅せる描写、と欲しかった部分をしっかりと補完してくれている。
バイトや宿題、富士登山、約束の朝日などゆるふわしながらも情緒面の成長も味わい深い。
問題は、ここなちゃんが年少の割にしっかり者の妖精さんという難しいポジショニングを成立させるためなのか、妙に貧困家庭に見えてしまう点(あおいひなたかえで家庭が裕福過ぎる?)。



おしえて楓さんコーナーもあるにはあるものの、本当に初心者のJCJKやおっさんがアニメ・マンガの知識だけで谷川岳ぶっこんだら聖地巡礼どころか惨事は免れない。登山入門書とするには薄すぎるので、アウトドアっていいよね!くらいのニュアンスに落とし込む配慮や、登山アウトドアメーカーや公共機関ともタイアップしていることから、HP等に厚みを持たせてもよいのかも。

2018年9月17日

読書状況 観終わった [2018年9月17日]
カテゴリ 青春

こういうマンガが読みたかった!怪談文芸の祖・田中貢太郎の傑作を、偉才・近藤ようこが鮮烈に視覚化。日本の幻想文学が恍惚の衣をまとった。



高等文官を志す若者・三島譲が山の手で住む先輩の家で「海岸で出会った女の話」をした帰り道に巻き起こる不可思議、あとがきで近藤が語るよう、「昭和のエログロナンセンスを先取りするような、奇妙で可笑しく、しかもわけがわからない恐ろしい話」だ。

闇夜の中に幻灯機が映しだしたかのような怪しさを、近藤の丁寧でしとやかな時間のながれ、淡麗な筆づかいが見事に現出させている。いかがわしく執拗に迫る女たちの異様さ、主人公の所在の不安定さは、原作(青空文庫でも読める)の恐怖をはるかに上回っているのではないか。

もしこれが夏目漱石による作であれば詩的で禁欲的な趣になったであろうし、丸尾末広が漫画化していたなら退廃的な狂喜乱舞に堕ちていったであろうことを思うと、本作のコラボは実に均整の取れた傑作だと言わざるを得ない。

2018年9月4日

読書状況 読み終わった [2018年9月4日]
カテゴリ 怪奇 / ホラー

飲む人の状態に作用されるコーヒーの味わいのような、人によってはお宝にもガラクタにも見えるアンティークのような短編集。

2018年9月4日

読書状況 読み終わった [2018年9月4日]
カテゴリ 短編・随筆

3分間アニメの限界なのか、ゆるふわ過ぎるのか、2013年に物足りないまま終わった1stシーズン。




原作未読ながら、地方都市のアウトドアショップでも全巻完備され、Wikiでは2017年2月で累計50万部超、アニメは2018年7月より3rdシーズン開始というから超人気と言って過言ではない。

高1女子がひょんなことから登山を始める訳で、天覧山ピクニック、高尾山ハイキングときちんと「未経験」からスタートを切るところは、出版元・制作元の意気込みを感じる。

3分間の中で、「振り返り~進展~つづく」をスマートに織り込む技術は素晴らしい。
が、時間的制約のせいなのか『ゆるキャン△』に比べると「音楽×美しい景色を使った演出」は印象に薄く、ゆるJKものによくある「ストーリー本筋から逸れるようなわちゃわちゃ感」や「強烈なキャラクター性」は排除され、どこにでもいそうなJC/JKとして描いている分、アニオタだったり声オタでなければ幾分「フックのなさ」は感じると思う。

今後のキャラクター性の補完、ギアやハックの紹介など楽しみ方の広がり期待される。
一晩で1シーズン通しで見られるので、とりあえず2ndシーズンまでは登頂予定←

2018年9月4日

読書状況 観終わった [2018年9月4日]
カテゴリ スポーツ

こじらせ女子の童貞ムービー。恋愛どころか飯つくるのもめんどくせーわ気分の処女と非処女にオススメ。『聲の形』『万引き家族』など活躍目覚ましい松岡茉優の初主演映画。


綿矢りさによる同名原作小説は未見。
恋に恋して早10年、24歳経理部で絶賛日陰干しされつつある絶滅生物オタ処女OLの不器用な恋愛模様を、ポップでゴリゴリかつキャッチーにパッケージングした大九明子監督・脚本には感服させられる。

「ひととの距離感」をテーマに、犯罪まがいの恐るべきマインドで10年愛を成就させんと奔走してみたら「だれにでも君と呼ぶタイプの人」ではなくて大爆死を遂げたり、隣の席の親友が一番自分のことを分かってくれていなかったと猛り狂っていく様は、松岡茉優だからぎりぎりキュートに許されるのであって、広瀬すずだったなら振り切れて、おそらく悲劇になってしまう。
ブス演技に定評がありミュージカル志望の高畑充希は間違いなく嫉妬したであろう絶妙な配役&演技のように思う。

いかにもなアパートでの生活風景や女子トイレの見せ方、珍妙な昼寝タイムや社内の風景など、主人公の心情にアジャストされた粗雑感と色調が用いられ、「フツーの恋愛映画(ドラマ)」がどれほど脚色された世界観であるかを再確認させられる。この世界の日常はいつもそんなにキラキラしてはいないのだ。
恋愛模様についても過剰なキラキラ演出は駆逐され、「ガチの恋愛の格好悪さ・稚拙さ」を露悪的なほど忠実に再現しており、キラキラではなく日常との地続きにエンディングを迎える。ファーストキスや初めてのセックスが美しい世界などこの世には存在しない。

赤の付箋についての表現は萎えるけれど、それも意図なのだから致し方がない。そう涙ながらに私は爪を噛んだ。

2018年9月2日

ネタバレ
読書状況 観終わった [2018年9月2日]
カテゴリ ラブロマンス

残酷な御伽噺。インドの地には、キノコを“カエルの傘”とする伝承があって、食さない御人もおられるとか。このご時世、茸共が可愛想、というより先に、人間共の残忍さや傲慢さを感じるかな。

2018年8月9日

読書状況 読み終わった [2018年8月9日]

“こわい絵本”“トラウマ絵本”としてその筋には有名な作品。同性愛や小児性愛といったエロティシズムを匂わせる趣きもあり、先ずこども向けのようには思えない問題作だ。



作・谷川俊太郎、発表は1982年福音館書店の月間絵本『こどものとも』。雑誌掲載時の装丁は定かでないが、2007年復刻版は写真・沢渡朔による、6歳の少女と市松人形との写真で構成された絵本である。



生まれる前から自分のそばにいたその人形と、少女は瓜ふたつ。まるで双子かなにかのように、片時もそばを離れず、海へ出掛けたり、一緒に寝たり、喧嘩をしたりする。

とつぜんなおみは病気になって、熱を出し、ある朝、目を見張ったまま、死ぬ。

この唐突な展開。写真のもつ古めかしさとリアリティ、普通の絵本とは違う距離感や温度は、こどもにとっては異様な印象となって脳裏にこびりつくだろう。
(いつか、わたしも、なおみのように、しぬのだ)

そして少女はなおみとの別れを淡々とかなしみつつ、迷うことなく成長し、彼女を懐かしみながら、また我が子の横にそっと寝かせる。



文字だけを見てみると、少女と人形の出会いから別れ、さらに再会までを、シンプルなストーリーとして描いている。谷川さんが男性で、実体験がないことからこういうメルヘンチックな物語を書くことができたのかもしれないし、第一の読み手・語り手が基本的に母親(女性)となることを想定して、このようなループものに仕立てたのかもしれない。

写真(を見る私)にいかがわしさを感じてしまうのは、なぜなのか。と、沢渡さんについて存じ上げなかったので検索してみると、見事に少女写真、アイドルグラビアで有名な写真家さんだった。
作品の善し悪しは判断つきかねるが、詩と写真を並べるとこうも話の背景・奥行きが違って見えるものか、と驚いている。

2018年8月8日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2018年8月8日]

2017年逝去された谷口ジロー先生の短編集、『光年の森』と対になる“最後の新刊”である。絶筆が、内田百閒『冥途』の中の一篇・花火だったとは、不謹慎にも、「連れていかれた」という表現がぴったりと当てはまるようでひやっとする。

『坊っちゃんの時代』以降、筆者は明治・大正期のいわゆる文豪やその作品をモチーフにしており、本作でも小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を題材にした『何処にか』(2016年)を所収。

円熟期らしい落ち着いた筆致と、小津映画作品に準えられることもあるセリフの目立たない“行間”の美学。幻想怪奇の趣やSFの遊び心にも溢れる、粒ぞろいの一冊となっている。

2018年8月8日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2018年8月8日]
カテゴリ 短編・随筆

プレート工場という小さな世界に押し込まれ、主人公の過剰に研ぎ澄まされた自意識が、薬品に浸食されていくように破綻をきたすさまは無惨であるがゆえにあまりに滑稽。登場人物やミステリアスなエンディングまで緻密に構成された落語のようなキレ味でした。

2018年6月29日

読書状況 読み終わった [2018年6月29日]

狩撫麻礼原作×谷口ジロー画、1980-81年ビッグコミックスピリッツ連載のアウトローボクシング劇画。



ライト級ボクサー・礼桂(レゲ)、戦績は32戦12勝20敗。
全てKOで勝負が決する彼の試合はボクシングフリークたちを熱狂させ、「負け星のメイン・イベンター」と呼ばれていた。
凄腕トレーナー兼プロモーターのダンジェロはその「神秘的(ミステリアス)な戦士(ボクサー)」を一目見て惚れ込み、全てを投げうって一世一代の賭けに出る…



現在『孤独のグルメ』で広く知られる谷口ジローは70年代後半から80年代にかけて関川夏央、狩撫らとコンビを組み、多くの劇画を著していた。
狩撫麻礼は、小池和夫の「劇画村塾」1期生として学び、レゲエやジャズをはじめ黒人文化を取り込んだ独自のダンディズムやハード・ボイルドな作風によって、79年のデビュー以来コアな人気を博した。数々のペンネームを用いており、韓国で映画化され、カンヌ映画祭審査員賞となった『オールド・ボーイ』の原作者・土屋ガロンも彼の名義の一つである。



谷口が2017年、狩撫が2018年に相次いで逝去したことは記憶に新しい。さらに言えば、60年代から長きに渡り数々の偉業と伝説を打ち立てたヘビー級王者・モハメド・アリも2016年に亡くなっている。本作では、アリが終わらせたヘビー級ではなく、ライト級が舞台になる。
単行本1巻、300にも満たないページ数の中で描かれる数試合の「ボクシング」は、格闘マンガの進歩を経た今日においては表現に物足りなさを感じるだろう。興行師たちの暗躍や、「勝敗」にカタルシスを得ない主人公の態度もまたボクシングマンガ、スポーツマンガと呼ぶには相応しくないものかもしれない。



物語後半、ボクサー以前の礼桂の過去や並外れたハードパンチの謎が明らかになるにつれ、読者は妙な感触を味わうことになる。
人知を超えた能力の覚醒に至った経緯を、かつて礼桂がネパールで修めた瞑想などの宗教体験へとフュージョンさせていく。
1970年代、三島由紀夫の自決や連合赤軍といった“赤の革命”が失敗に終わる中で、礼桂は日本を抜け出てネパールへ入ったとされている。血の革命の敗北から神秘主義“青の時代”への移行を描こうとした大胆な挑戦ともとれるのである。

当時の“空気”というものを私は知らないが、宗教学教授・柳川啓一から薫陶を受けた島田裕巳が農業ユートピアを目指す「山岸会」へ入会し、中沢新一が「チベット密教」へと傾倒した時期と丁度重なることは偶然の一致ではないだろう。政治の時代に取り残され、世紀末を生きる若者たちはカウンターカルチャーであるヒッピー・ムーブメントの余波や新宗教へと関心を寄せたのである。

(連載の都合とはいえ)異常なほどの焦燥感で物語は進展し、Bob Marleyを引きながら壮大なエンディングを迎える。



“奴らはすべてのラスタマンを殺せはしない”

“状況(やつら)はすべての予言者(ラスタマン)を殺せはしない”

2018年6月20日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2018年6月19日]
カテゴリ スポーツ

1970ー1971週刊少年マガジン掲載、同時期、週刊少年サンデーに連載された代表作『銭ゲバ』のアナザー・ストーリー、根源ともいえる鬼才・ジョージ秋山による衝撃作。




「人はなぜ生きるか」という極限下での思考実験。
歴史というフィルターを通して、あり得たかもしれない境遇の主人公を登場させ、徹底的に非・人道的な性質を与える。地獄絵図を見せながら、読み手に人生の選択を迫る。ジョージ秋山の真骨頂であり、高度経済成長〜一億総中流の意識が形成される時代にあって、こうした問題作を投げかけてきた意義は計り知れない。





まれに発見されて話題になるが、“動物として育った人間”が、ことばを獲得し、人間という自覚を得ることは現実的にはとても難しい。
主人公アシュラは、望まれずに産み落とされ、母親に焼き食われかけたこと、殺さなければ殺される文字通りの弱肉強食の荒野を生きぬくなかで、敵も味方もない、自らを“ひとでなし”“獣”であるとした。



しかしアシュラを不憫に思い、保護しようとする若狭に出会い、思いがけず人間としての自覚が生じてしまう。
自分が受けた愛情・温情、若狭には見捨てられたくないという気持ちの萌芽。
「おれたちはみんな同じだ」「なんだかおもしれえやつだ」と慕ってくれる仲間たちとの出会い。
生みの親と再会し、「うまれてこないほうがよかったギャア」と咆哮する姿。
「お前の中にある獣と戦え」と諭し、自分の左腕を賭してアシュラを人の道へと導く僧。





しかしアシュラは、人らしく生きることを是としない。
飢えて理性を欠いた若狭に対して、“人肉”を与える。最期にアシュラを抱きしめようとする母親を打ちのめす。
物語は、2人の“母殺し”に行きつくのである。

人はどれほど心があっても、獣なのだろうか。





自我のはたらきで言えば、「父殺し」が権威や伝統、慣習の超克であることに対して、「母殺し」は無条件の愛を注いでくれる一方で、自我を束縛し、食い殺そうともする存在(グレート・マザー)を乗り越える通過儀礼である。
伝統や文化に囚われない、しかし人間としての愛に目覚めてしまったアシュラが必要としたのは“母殺し”であったのだ。




アシュラは生まれてこなければよかった。
しかし生まれてきてしまった。
そしてたくさんの人に出会ってしまった。
生まれてきたら生きていかなきゃならない。
生きることは苦しいこと。苦しみを引き受けることが生きることなのだ。





アシュラは、“怒り”や“憎しみ”、“復讐”といった発念に基づいた異常なほどの生への執着で描かれており、そこには生きることを自明なことし、絶望や死への欲動を微塵も感じさせない。アシュラが死や絶望に意識が至らなかった、といわれればそれまでだが、この点は非常に理解しがたい側面でもある。





当時、本作は有害図書指定から社会問題化し、(自身のパフォーマンスもあって)一躍センセーションとなってしまった作者は1971年に数多くの連載を終了し一時引退することになる(作者の意思なのか外圧によるものかは不明)(けど3ヶ月で復帰てw)。
その為、物語終盤はかなり駆け足になるのだが、その〆かたひとつ取っても、銭ゲバ・蒲郡風太郎と照らし合わせると不明瞭で考えさせられるエンディングになっており、その結末は81年週刊少年ジャンプにまで持ち越されることになる。

2018年6月1日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2018年5月31日]
カテゴリ ジャンルレス

スーパーマン誕生秘話のはずが、オタク×映像派監督ザック・スナイダーは“スーパーサイヤ人によるひとりインデペンデンスデイ”を仕上げた。良くも悪くも大味でやりすぎ感満載のハリウッド超大作なので、家の小さなモニターには収まりきらなかった(涙

「難所を乗り切って、主人公とヒロインがキスを交わした直後に何か気の利いたことを言わなければいけない」あるある等、見所(ツッコミどころ)は多い。

2018年5月25日

読書状況 観終わった [2018年5月25日]
カテゴリ アクション

明治末、森羅万象にカムイが宿る北海の地を舞台に、日露戦帰りの元陸軍兵“不死身の杉元”がアイヌの少女アシリパとともに伝説の金塊を探す冒険マンガ。



まずアイヌ文化と大自然の描写(大概食べられちゃうけど動物もかわいい)、やたらと美味そうに見えるチタタプなどのアイヌグルメはこのマンガの白眉。ヘタな資料館に行くよりリアリティがあってとても勉強になります。

時代背景も、アイヌと和人が通商の相手であった時代から、石炭などの鉱資源開発や農地開拓に向けて定住・内地化が進む変革期で刺激的です。

かつて私は一度だけ北海道を旅行しましたが、このマンガを読んだ後に行ったら見方が広がっていたかな、と思いました。多くの脱獄囚が登場するため、網走監獄や白鳥由栄などについて知っていると尚楽しめるかと(吉村昭『破獄』他)。


本筋のストーリーは、進むにつれて人物像があやふや(権謀術数なのか構成上の伏線なのか、登場人物たちの真の目的がはっきりしない)なので、おちゃらけシーンなど本筋とは逸れた場面の方が楽しめます。さいとうたかを『サバイバル』が好きな方や、直接的な描写はありませんが、うんこやちんぽが好きな方にもオススメですよ。

2018年4月27日

読書状況 読み終わった [2018年4月27日]

ソリからころげおちるどうぶつたち、ゆきの上を「ころがって ころがって ころがって」いく様がとてつもなくカワイイ。ゆきが待ち遠しいね。

2018年4月23日

読書状況 読み終わった [2018年4月23日]

満九十一歳の革命とその一年、或いは人生の物語。ほほえましい死に様というのがこの世には有るのだな、と思わず舌を巻く。



齢八十三にして夫を亡くした独居の我が祖母は、日々何を思い今を生き、その老い先に何を思うのか、そんなことが知りたくなった。
話題の芥川賞作品でも読もうかしらと本屋に寄ったものの、何か漠とした不安がよぎって躊躇して、手にしたのはこの本だった。



薄気味悪くてイヤらしいカバーイラストだな、と思った。作者の顔は存じているが、一冊も読んだことはない。知っていることといえば、男に溺れて出家した流行作家、というくらいの偏見に満ちた情報だけで、人柄も知らないので特に好きでも嫌いでもない。
読み始めるとそのアクロバティックな構成、時に飄々としながら時に繊細な眼、流麗な筆使いに乗せられて、ついつい読む手が止まらない。ネットで検索してみると、さぞ女ウケが悪そうな(男ウケしそうな)風貌の美人秘書がヒットして、虚実想像を織り交ぜながら読み進めるとなんとも言えず面白い。

はたして「死に支度」を前に読むべき本ではないけれど、いつ訪れるやもしれない「死に様」について思い巡らすには参考になるところは多い。私のような寂聴ヴァージンの方はこの本を読むことで、身近になるし、きっと好きになる。そして読後には、あの珍妙なカバーイラストもなるほど納得の感がある事を付け加えておく。

2018年3月11日

読書状況 読み終わった [2018年3月11日]

ハッピーエンドありきな筋書きと、勧善懲悪な構図を、伊集院光は“水戸黄門”に準えたが、その通りだと思う(お色気はないけど)。

その一見ベタなストーリーを毎週ハラハラやきもきさせ、面白く見せる演出は見事としか言いようがない。

毎回これでもか!と繰り返される名曲ジュピターには辟易だったが、市川右團次や上白石萌歌、松岡修造ら脇を支える演者たちが印象的だった。

2018年1月14日

読書状況 観終わった [2018年1月14日]

“推理小説”という籠中の鳥を見るような、むしろこの本を読む気構えを試されていたような、後ろめたい読後感。



“重要なのは筋書きではない、枠組みなのだ”とあるように、良くも悪くも“よくできた話”で、まんまと騙されて2度は振り返らないといけない。
野心的で痛快、と取るか、若気の至りで挑発的に過ぎる、と取るか、で評価が分かれそう。

2017年11月9日

読書状況 読み終わった [2017年11月9日]
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