猫を抱いて象と泳ぐ

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本棚登録 : 3760
レビュー : 727
著者 :
少佐さん 日本   未設定

夙に日本の女流作家に対してかなり切実な苦手意識がある。実を言えば日本に限った話ではないが殊更目に付くのはやはり日本である。何故かと言えば答えは単純で、要するに、彼女らの作品には色恋沙汰を語る言葉が怒涛のように氾濫しているからだ。恋愛こそ至高の文藝的課題であるとさえ言いたげなその類の言説の洪水に、僕のような人間は足が竦んでしまうのだ。

僕は文藝としての恋愛を否定したいわけではないし、そんな資格は毛頭ない。ただ、恋愛を通して世界の多くを説明しようという試みには強い疑念を感じるということだ。恋愛で語り得ることは、恋愛で語り得ることだけである。少なくない数の女流作家が一様に世界と恋を限りなく接近させて愛を説くその姿勢は、「恋愛」という概念からの圧力に怯えているようにすら見え、名状し難いもどかしさを覚える。

小川洋子は、そういった通俗的な「恋愛」から遠く隔たった場所に佇んでいる。少なくとも僕にはそう見える。時折彼女が披露する透明な感覚の発露は、恋愛と呼ぶにはあまりに純粋で、繊細で、脆い。恋も愛も、小川洋子その人にとっては猫や象と同じ水準の、表現手段としてのモチーフの一つでしかない。その恬淡な筆先から零れ落ちる文章の数々は、男性である僕にとって極めて異質な女性性に溢れている。

『猫を抱いて象と泳ぐ』はチェスに生きた一人の少年を巡る物語である。リトルアリョーヒンと名付けられた彼は、チェスに出会い、人に出逢う。彼のチェスと彼の人生は緩やかに溶け合い、混ざり合い、やがて区別の意味を失くして一つになる。盤上を妖精のように踊るリトルアリョーヒンは、小川洋子によって巧妙に擬人化されたチェスの観念であり、この小説はまた、チェスというゲームに向けられた註釈の数々と、一篇の遠大な比喩である。

偶然の出会いの果てに訪れる別れも、熾烈で美しい勝負も、およそ人生で経験されるあらゆることを、彼女はチェスの盤上に見出した。本書は紙と活字で編まれた盤であり、駒である。盤を挟んで向かいの席、静かに初手を繰るのは小川女史だ。ページをめくればゲームは自ずと進む。『猫を抱いて象と泳ぐ』というのは、ある邂逅を約束された、贅沢な一局なのである。

レビュー投稿日
2013年3月18日
本棚登録日
2013年3月16日
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