「甘え」の構造 [増補普及版]

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  • 弘文堂 (2007年5月15日発売)
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齋藤孝さんとの対談を読んで、元の本も読んでおかないと、と思い購入しました。しばらく寝かせていたのですが、昨日、読む予定だった本が取り上げられた(図書館で延長を申し出たら予約をしていた人がいた。最近刊行された「共感」という本)ため、じゃあ、ということで一気に読みました。実はその「共感」の始めに、幼い頃、甘えさせてもらえなかった子どもたち(チンパンジーでの実験と孤児院の様子から)が将来的にどうなっていくのかが語られていました。本書ではこの「甘え」という言葉が日本語にしかなく、そういう考え方自体が独特であるというふうに議論が展開されます。何でもかんでも「甘え」に結び付けているような感じがしないわけでもないですが、一つの切り口としておもしろく読みました。甘えることができるとか恥ずかしいという感覚がうすれるというのは本当に身近な存在に対してですが、旅の恥はかきすてなどというように、全く知り合いがいないような場では恥ずかしいことを平気でできたりもします。満員電車の中では見ず知らずの人と身体を密着できるというのも同じようなことかもしれません。くっつくことのできる人は誰?ということを考えると不思議です。「気」という言葉の使われ方についてもかなりの紙幅がさかれていますが、先日、結婚式のスピーチでこんなことを感じました。とてもよく気がまわる夫妻なのですが、私はスピーチで「気を使う」という表現をしました。「気が利く」とか「よく気が付く」とか「お気遣い」などというと良いイメージがあるのですが、「気を使い過ぎ」となると否定的な感じがします。「家庭でもそんなに気を使っていると疲れるから気楽にね」というメッセージだったのですが、どんなふうに聞こえたことでしょう。けれど、よく考えると、私も結構、パートナーに気を使ったりしているから、まあ、うまく回っていくための良いさじ加減を覚えないといけないのでしょう。もっと甘えてくれればいいのになあ、なんて思うこともときどきあります。

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学・思想
感想投稿日 : 2014年12月10日
本棚登録日 : 2014年12月10日

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