教育幻想 クールティーチャー宣言 (ちくまプリマー新書)

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レビュー : 24
著者 :
takumi2017さん  未設定  読み終わった 

2017.4.22
ほんと全体をふわっと読んだし、所々の主張はその前後の文脈によるし、新書レベルであまり詳しいことは言えないだろうということで、大まかに捉えました。
 つまり本著の主張は、「甘えと自由を履き違えるな」というところに、あるんじゃないかなーと。
 欲望の統御を身体化させることが教育、それは欲望むき出しだと他者の欲望を侵害するから、な訳で、互いの欲望が互いを傷つける(万人の戦い)ことを防ぐために存在するものがルールな訳で。そのルールを身体化させる必要がある。
 しかし戦後の学校教育では詰め込みと規律というものが強く、教えた形式の中でガッチガチに統御していた。その結果、言われたことしかできない人間ばかりが育ってしまった。
 この反省としてゆとり教育を導入、総合的な学習などを通して、もっと自由に、主体的に勉強できる人間を育てましょうよ、と。こうなったわけで。

 なんか、難しいんだけど、いろんな尺度の履き違えな気がするんだよね。
 規律か自由か、規律が強すぎたから自由にしましょう、というのは、やっぱり違う。二項対立なのではなく、自由と規律は裏表である。そう考えると、規律ある自由と規律なき自由=甘えとか、むしろ二項対立になる。
 つまり、自由なき規律から規律なき自由(甘え)に移行したわけだけど、本来必要なのな規律ある自由ですよね?という話。

 そしてこの「規律なき」という部分に、私はうっすらと、小此木啓吾さんの『自己愛人間』の影を見てしまった。
 社会システムそのものが、個々人のナルシスティックな自己愛的自我を助長する仕組み。働かなくても食べられる、勉強しなくても点が入る、頑張らなくても褒められる、そんな教育環境の中では、全能感が適切な形でへし折られることがない。精神が病んでいる人間は基本的に理想が高すぎる、というか甘すぎる。世界は私を中心に回っていて、みんな私を傷つけるべきではない、そしてみんな私の思う通りになるべき、と思っている。いや完全に言い過ぎである。
 でもこんな自己愛的な全能感を持っていたらどう考えても生きることは苦しい。理想は理想、現実は現実だからである。学校で「現実」だと思わされてきたあまーい世界から社会に出た瞬間、本物の「現実」がそこにあって思いっきりへし折られる。こうしてニートが出来上がる。ここにあるのが「規律なき自由」である。
 そしてそれを助長しているのは社会だけではなく、教師もまたそうだと思った。規律をやめて、自由の中で育てようという、子供の無限の可能性を〜なんちゃら、っていう人。

 でもなー難しい。もしも私が教師だったら、という目線で読んだけど、とても難しいなと思った。多分私も、生徒を恐るだろう。規律なき自由が甘さだと言えるならば、規範なき自由、つまり教師としての筋を恐怖によって通せないということは、それもまた甘えではないだろうか。
 私もまさにこういう人間である。自分に甘い。怖い、めんどくさいからすぐ逃げる。この甘さとどう戦えばいいのだろうか。自由を履き違えないためにはどうすればいいのか。自分で自分の自由を許さない領域というものがあるはずである。そもそもその線引きはなんなのだろうか。そして甘さを乗り越える力は一体なんなのか。結局のところやるかやらないだけ、なのか。
 嫌だけど、やる。これは規律にも、規範(道徳)にも、言えることである。んー。

レビュー投稿日
2017年6月27日
読了日
2017年4月22日
本棚登録日
2017年5月3日
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