小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団

著者 :
  • 小学館 (2011年2月25日発売)
3.95
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感想 : 54
5

 大の藤子ファンでもある小説家の瀬名氏が力を振り絞って執筆したことがよくわかる労作。藤子ファンでも安心して読める……というよりファン必読。号泣必至。
 ノベライズの鑑。元の作品をよく知りもしないで書かれたノベライズにありがちな「なにもわかってない感」や「違うキャラになっちゃってる感」も皆無で「細部の設定の整合性がとれなくなってミモフタもなくなっちゃう」心配もない。
 原作漫画では省略されていた部分や、映画では描ききれない各人の心情、科学技術や鉄人兵団に対する考察などがとても詳しく描かれている。『のび太と鉄人兵団』という作品は、原作漫画を核として、アニメ映画にこの小説を加えた三位一体で完全形となったのではと思えるほど。

 前半だけを読んで長く続く情景描写に退屈してしまった人にも、とりあえず154ページ目までがんばって読むことをお勧めしたい。そこから先は緊迫していく展開も相まって最後までぐいぐいと読めてしまうのではと思う。
 意図的に難しい漢字や表現を使っている部分もあるが、ふりがながあるので子供が読んでも勉強になっていい。

 以下、気になった箇所の覚え書きや感想を列記する(ネタバレ注意)。


P.14 のびドラの関係性を1ページで説明。未来に帰ったくだりですでに涙する僕。

P.28 のびドラがママ達が食べ終わるまでテーブルについていたり、食器洗いを手伝ったりするくだり、裏庭を見られないためにはとても自然な上にほのぼのとするのでとてもいい。

P.53 のび太のママが昔「癇癪玉の玉子」と呼ばれていたというくだりはダイヤの話の描写からすれば納得。「小動物の愛らしさが理解」という描写は実際にペットに愛情を示すようになる短編があるのでそのくだりを取り入れているのだろう。芸が細かい。

P.56 22世紀の技術でもこんなに大型な機械の水平制御はできないという話、疑問が残る。コックピットだけ水平に制御することはできそうだし、そもそも4次元ポケットのように次元を操る技術があるのだから重力を一定に保つことくらいできそうなものだ。しかし、かべ紙の中で新年会をしたときのトイレでのスネ夫の惨状を見るにつけ、重力制御ができていないのは確かなような気もする。コーヤコーヤが出てくるのが嬉しい。

P.66 「五人がばらばらになるときがやってくるなど、誰も思いはしなかった」の一文だけで号泣。皆が大人になったときにドラえもんがいないことは確かなのだ。

P.98 こちら側の世界を雨にしたことでシーンの緊迫感が増してよかった。

P.110 次元震の迫力はやはり原作漫画が一番。大げさに怖がらせるための描写を増やしてしまうと、シーン特有のスピード感が失われてしまうし、小説だと難しいところ。

P.117 「ママが昼ごはんを呼びに来たような」という描写。描かれることはないが、ドラえもんは普段、毎日のようにママと2人で昼ご飯を食べているのだなぁ。食事の回数で言ったら、のび太よりもママとのほうが多いのだなぁといったことに気づかせてくれる。2人でいつも何の話しながら食べてるんだろう?

P.119 ジュドの頭脳がママ、のび太、悪人、ドラえもんの声色で喋る設定が上手い。カタカナで長文を喋らせるとどうしても読みにくくなるし、このほうが不気味さも増す。おそらく、もともとはこのシーンの最後のドラえもんのバカ笑いだと勘違いさせるくだりにもっと説得力を持たせる意図で取り入れられた手法なのだろうが、それも見事に成功している。

P.123 「マジだぜ!」のセリフもそのままあってうれしい。だが、これがCMのパロディだと知らない人は、いきなり毛色の違う喋り方をされて戸惑ったり、誰のセリフだかわからなくなったりしたのではないかとちょっと心配。

P.127 ジャイスネに相談しにいくことを話すくだりは、もっと「どうせだめだろうけど一応」感を出す描写にしないと、ジャイスネが信じてくれたときの感動が薄れてしまうのでもったいない。

P.137 「いつも静香が使っているであろうハンドシャワーの先端部が、小首を傾げてのび太たちを見下ろしていた」という描写が素晴らしい。原作漫画は記号的な絵で描かれていることもあり、お風呂のシーンであってもわりとさらっと描かれているのだが、こういう色艶を感じさせる描写ができるのも小説ならではだと思う。思春期の少年というものは、好きな女の子がいつも入っているお風呂に足を踏み入れただけで色々と妄想が膨らんでドキドキするものなのだ。原作漫画の同シーンは枠の外からあくまでも演劇を見ている感覚だが、このシャワーの小首を傾げた描写を読んだだけで、実際に浴室に足を踏み入れてシャワーをちらと見たような気分が味わえる。

P.154 なんとスミレ登場! 今までがかなり原作に忠実な描かれ方だっただけに意表をつかれて驚いた。大人はわかってくれないという描写を出したあとでの「わかってくれる大人」の代表としてのスミレの登場はとても心が踊る仕掛け。

P.166 本作の見せ場のひとつであるのび太と静香の抱擁シーンが実にドラマチックに描かれている。原作漫画を読み返すと意外とあっさりした印象なのだが、僕自身も小説で描写されている「ふだんは頼りないと思っている同級生の少年に頼もしい男を感じる」というしずちゃんの心情を自分の心の中で大いに想像していたので、まさにそれを文字にしてくださったという印象。素晴らしい。原作漫画にあったのび太がちょっとしたエロさを見せる描写は割愛されているが、それはそれでいいのではないかと思う。おそらく、瀬名氏はその要素もうまく盛り込めないものか試行錯誤はされたのではないかと思うが、きっと文字だけで入れるのには無理があって、せっかくのいいムードがどうしてもぶち壊しになってしまったのではないだろうか。

P.172 源家の浴槽の湯をママが抜くシーン。その後お風呂がどうなったのかは昔から気になっていたので、はっきりとした形で描写されたのはうれしい。そして、これもラストへの伏線になっているわけだ。

P.175 リルルを壊せと主張するスネ夫と皆の議論が詳細に描かれていて素晴らしい。「ほかのロボットは壊すのに」「かわいい女の子の姿だからそう思うだけ」「そうしなきゃぼくらは死ぬ」「奴らはリルルを作るために人間を解剖したのかも」というスネ夫の主張はどれも鋭く、ドラが言うように「筋が通って」いて見事。

P.178 そこで、「ドラえもん、おまえが決めろよ」というジャイアンもカッコいい。今対立しているのは静香とスネ夫の意見。おれはバカ、のび太もバカだし情にもろいから冷静な判断は無理、だからドラえもんが決めるのが一番いい……という、こちらも筋が通った考え方。組織のボスとは「誰に決定権を与えるかを決める人物」であるならば、やはりジャイアンこそ真のボスたる素養を持っているのかもしれない。

P.183 鏡面世界では分子構造も逆になって味がなくなったり毒になったりするという話が面白い。それは未来科学によって解決されているという話だが、分子構造が逆になっても成立し続けられる世界が出来上がる(鏡面世界人がいたとすれば、彼らはそれらの食物をおいしく食べられる)という考えにした方が未来人の操作が加わっていない世界といえるのでロマンがある。ただ、そこにのび太たちを行かせて安全に食事をさせるためには、鏡をくぐるたびにのび太たちの分子構造も逆になる(鏡面世界の秩序に属した構造になる)といったしくみにしないといけないのでややこしいのが難点。しかし、鏡面世界では自動運転されている機械はそのまま……とのことだが原発などはどうなっているのだろう。鏡面世界を作って数日後には、原発が次々と爆発して目も当てられないような酷い世界になってしまうのだろうか。そうならないための安全装置として原子炉をゆるやかに自動停止させるしくみがはいりこみミラーなどには付いているのだろうか。

P.185 ドラえもんの映画主題歌が100年後にも歌い継がれているという設定。だからみんなで、心をゆらしてなど、各映画の主題歌名がさりげなく(?)散りばめられているファンサービス。

P.198 「機械の考えることなんてわからないよ」ともっともらしく語るドラ。「あんたも機械だ!」「わかんなきゃダメ!」と一斉にツッこむ読者たちを想定して書かれたものだろうか。

P.209 深夜にミクロスの整備をするスネ夫のシーンが泣ける。ミクロスが現代技術でも作れる自作パソコンのような感覚で描写されてるのもいい。

P.210 家を空けてもタイムマシンで5分後に戻れば大丈夫……という方法について、それがよい解決策でないと思索するドラ。タイムマシンでもどったときに並行世界が生まれてなかったことに……と語られているが、実際は鉄人兵団のオチは並行世界方式を採用していない。この矛盾点を解決するためにわざわざ並行世界の話題を出した(小説版ではオチで並行世界になるようにする。クライマックスで4人は1人ずつ死んでいくか、無様に生け捕りになっていき、このような悲惨な結末に終わった並行世界も確実に存在するのだということを見せるという手法にした)のかと想像していたが実際はそうでもなかった。ラストで生まれ変わったリルルが「なぜか」地球旅行にやってくる理由を「残像のような形で記憶が残っていたから」という理由で説明したくて入れたくだりということだろうか。

P.212 押し入れで一緒に寝るのびドラ。ベタなシーンだが泣ける。ドラえもんは実はリルル側のロボット……という点をもっとクローズアップしても面白い話になるとは思うのだが、それでは鉄人兵団vs地球という図式がぼやけてしまうので、このように一言触れる程度でいいのだろう。

P.214 皆は誰かと一緒にいるのに自分だけが孤独……と気づくジャイアンのシーンがいい。ここで巨神像やペコが出てくるのもうれしい。

P.216 改造されたザンダクロスの脳の自動修復機能が働くようにした設定追加。緊迫感が増していい。

P.230 自分がふしぎ! ファンサービスになるうえ、リルルの心情描写として取り入れるのに最適な言葉。

P.232 鉄人兵団という話を映画原作として考えたときに不満なのは、ザンダクロスが結局あまり活躍しない点。「巨大ロボットものをドラえもんで」というのであれば、ぜひともクライマックスで巨大ロボット同士の格闘を見たかったと思うのだ。大スクリーンにも映えるし。もちろんそれがドラえもんという作品の本質ではないことはわかっているのだが、そういった派手な要素もおさえたうえで本質を描ききることができたほうがより面白い作品になることは確か。そんな皆の思いを見透かしたかのように、敵ロボットがそれほど巨大ではない理由がドラの口から語られる。曰く、あまり巨大なものはワープさせられないからだそうだが、ザンダクロスの組み立ての簡単さから考えれば、もう数体の「戦闘用」巨大ロボットをワープで送り込んで組み立てるくらいはわけなさそうに思えるのだがどうだろう。ちなみに、巨大敵ロボットが原作に登場しないのは残りページ数の都合か、カッコいい悪役ロボットをデザインする暇がなかったからかどうなんだろう。

P.240 破壊される皇居(宮殿)。ゴジラでも破壊したことのない皇居を燃やしてしまうこの豪放さ。これはゴジラ映画批判を汲み取ったからかもしれないし、タブーへの挑戦という面もあるのかもしれないが、これも鏡面世界という素晴らしい設定だからこそできたのかもしれない。さらに、皇居まで破壊しておけば、後で破壊される世界各国から文句を言われることもないでしょう。

P.245 三角錐のタワーってなんだろう?と思ったがスカイツリーのことだった。昭和人間まるだし^^;

P.260 しずちゃんの部屋が鉄人兵団に襲われるシーン。原作には影も形もないわけだが、なんとも大迫力でこの作品で一番のハラハラドキドキする見せ場になっている。(まさかそんなことはないわけだが)皆がもしかしたら死んでしまうのではないかと思うほどの迫力。鳥籠の中にいる小さくなったリルルがよりはかなく、それを守るための動きがより緊迫感をあおっている。鳥籠をキャッチして「ドラえもん! キャッチしろ!」と叫ぶジャイアンが頼もしすぎる。しずちゃんの家が破壊されてしまう虚しさもいい。

P.272 しずちゃんの家に置いてきてしまった靴をドラえもんが新調してくれたというシーンがいい。作品全体で靴の所在にこだわっているのがうれしい。漫画だといつの間にか履いているだけだったりするわけだが、靴にこだわることでより現実感が増している。

P.277 結局僕は弱虫だからといった内容のミクロスのセリフは、大魔境の主題歌「だからみんなで」からか。

P.282 スペアポケットをリルルしずかの連携で見つけるようにしたくだり、より緊迫感が増していい。

P.291 タイムマシンを静香ではなくリルルが運転するようにした変更は、より無理をなくすためかと思いきや、ラストシーンで博士の機械を操縦することの伏線だったとは。とても色々と考えて執筆されているのだなぁとつくづく。

P.293 スミレの映画オールナイト! これはドラえもん映画オールナイトにかけたうれしいファンサービス。

P.296 メカトピアが虫の楽園だったという設定は目から鱗。原作にも取り入れればよかったのにと思うほど。

P.299 ジャイアン〜〜〜〜! 全作品を通じて一番のジャイアン名場面じゃないかというシーンの誕生。「少しは考えろよ!」とジャイアンに詰め寄るスネ夫もとてもいいが、「おれが、何も考えてないっつうのかよ!」「おれだってな、スネ夫、おまえみたいに泣きわめいて、みんなに当たり散らしたいんだよ! おれだって恐いんだぞ! かあちゃんって大声で泣きたいんだぞ! でもな、おれがそうしたら、おまえら全員ばらばらになっちゃうじゃんかよ! 誰かどっしり構えてないと、ひとつになれないじゃんか! だから恐くてもずっと我慢してたんだぞ、それがわからないのか、ばか野郎!」と言った後に「かあちゃーんっ!」と叫びながら号泣するシーンは、思わず長く引用してしまったほど泣ける。この小説版では、スネ夫の存在感も素晴らしく、情けなかったり鋭かったり操縦したりと様々な活躍を見せるが、このシーンは、4人の中で一番の頭脳を誇るスネ夫よりも普段はただのわがままな暴れん坊にしか見えなかったりもするジャイアンの方がずっと大人だったのだということを、読者にこれでもかと言わんばかりに突きつけている。こんな特異な状況に置かれたときに泣きわめくのは誰でもできる。周囲の状況をしっかりと見極めながらただ我慢してどっしりと構える。なんとも昔のガキ大将っぽい大人な姿ではありませんか。

P.307 原作の「競争本能をうえつけたのが間違い」といった話を一歩進めて「競争がないと社会が腐敗する」「理想は人をだめにする」という話にまで踏み込んでいる。これは漫画原作がソ連崩壊前に描かれたのも関係するかもしれない。

P.309 第2のサプライズゲスト任紀高志! エスパー魔美を読んだことのない人にはなんのことやらだろうがファンは嬉しい。

P.325 イエオン、バンダムもファンサービス。うれしい。

P.327 松明を掲げたドラえもんの見せ場痺れる。最後に主人公らしい活躍。松明を投げた先には爆発物でもあるのかと思わせて、湖面の油膜を燃やすためだったという仕掛け。実に見事。

P.342 皆が3日間行方不明だったことにしたのは、ラストをより感動的にしたのでとてもよかったのだが、中でも随一はやはりしずちゃんとパパのこのくだり。のび太の結婚前夜を知っているとより深く楽しめるシーンに仕上がっている。リルルとのつらい別れを経験したまだ幼い静香の心を癒してくれたのは、両親だったのだということがとてもよく想像できる。家を空けていたことすら両親に気づかれず、リルルとのことを1人だけで消化しなければいけなかったとしたらさぞかし辛いことだろう。しかし、この小説版では両親は子供達が何か凄いことをやってきたということだけは理解しているのだ。それだけでどんなに心強いことだろう。

P.353 謝辞に知っている方の名前が出てきて驚いた。今度機会があったら裏話を伺いたいものだ。



*関連リンク
●〈瀬名秀明「ドラえもん」「鉄人兵団」インタビュー〉(エキサイトレビュー)
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20110328/E1301152398677.html

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未整-本・雑誌
感想投稿日 : 2018年10月23日
読了日 : 2011年8月11日
本棚登録日 : 2018年10月23日

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