久しぶりの再読。ワクワクしながら読んだ。
キャラが立っている。
個人的にはナイトバスのところが好き。

2020年9月29日

読書状況 読み終わった [2020年9月29日]

常々読みたかった本。途中で挫折したのは何度かあり、今回やっと読み終わった(苦笑)。
おもしろかった。

キリスト教もグループで全然違うんだな。

両人ともキリスト教の素地があって(敢えて信者とはいわない)考え方が刷り込まれていることを前提に自覚的に物事をとらえようとしている。
カソリックがマリアをどうとらえているか、無原罪と原罪、「われ思うゆえにわれあり」のデカルト(座標軸を発見したの彼だったということは、初めて知った 苦笑)の世界をどう認識しているか、という話はとてもおもしろかった。
春樹やサリンジャーが読んでみたくなった。エヴァンゲリオンを見たい。
ヨハネの黙示録のこと、パウロという布教者の存在、聖書の世界は深遠だ。もっと知りたいことがたくさんでてきた。

2020年9月21日

読書状況 読み終わった [2020年9月21日]

ユダヤ教は宗教なのか? 神がいるから宗教か。
「考え方」を共有した集団といったほうがいいのではないか。この本を読んで、この集団が共有しているものはとても学問的なことがわかった。まさに、「学び」「問う」ことを縦横にくりかえしている。ちなみに縦は時間的なもの、横は空間なものである。

これまで自分がイスラエルという国の成り立ち(ナショナリズムとしてのシオニズム)や歴史的なスペイン追放、ゲットー、ショア―、ポグロムといった排除の歴史ばかりに目が行っていたことを、この本を読んで認識した。ユダヤ人の金貸し=ヴェニスの商人のシャイロックみたいなユダヤ人像も作られたもの。なぜ、ユダヤ人が特定の職種に多いのか、それもユダヤ人が信じたものを守り生かした結果であり、歴史による世界的な移動、ネットワークによる。

もっとユダヤの多面的で、深遠な面を知りたいと思った。でも素人には難しそうにも感じる。
「モーゼ」「ヨシュア」「ノア」といった旧約聖書の世界の人々がとても立体的に見えたのも新鮮だった。

2020年9月20日

読書状況 読み終わった [2020年9月20日]

WC杯の興奮からすでに1年経っていることに驚く。
おもしろかったのはバズさんと木津選手のスクラムについての対談。
やっぱりラグビーはコミュニケーションのスポーツなんだな。おもしろい。

2020年9月20日

読書状況 読み終わった [2020年9月16日]

図書館の新刊本の棚にあった本。
特に1章、2章は事例も最近のものが多く、印象に残ったのはベネッセやリクルートホールディングスの社員の事例。
学習内容ではなく学習に対する姿勢の作り方や、学習環境に目配りすることはなるほど、で、共感するところが多々あった。
この本を読んで、進路を模索する若者と話してみたいと思った。

2020年9月11日

読書状況 読み終わった [2020年9月11日]

星4つなのは、つまみ食いしたということで。

「甲子園」は他のスポーツの場と比べると、あらゆる意味で別格だ。別格すぎて、特別扱いしすぎじゃないかという意見もあるけれど、日本で「野球」というスポーツが持つ長い歴史に依拠しているのではないか。というより、野球というスポーツが輸入されてから「新しく作られた伝統」を私たちは昔からあったもののごとく享受しているのだろう。別格だと思わせる言説が作られている、ということだ。

子どもの頃、「夏」といえば、テレビもラジオもこぞって「甲子園」だった。テレビは言うまでもなく、車の中の、ドライブインの駐車場係のおじさんの、ラジオから聞こえるバットの音、アナウンサーの実況、声援、まさに「快音」だった。

早実の準優勝パレードは実際見た。荒木大輔さんが1年生だった時。愛甲さんを擁するY高が優勝したことを伝える新聞の「横浜駅前の人だらけの写真」も強く印象に残っている。荒木さんが3年生のときに出た「荒木大輔とライバルたち」という写真集を買ったおぼえがある。

だから、荒木大輔×桑田真澄、水野雄仁×野中徹博の対談には読みながらとてもわくわくした。

別の視点からは多くの記事から、練習や日常における規律を含む野球部の在り方が当事者にとって「理不尽なもの」と語られるものか「のびのびとして楽しいものと感じられるもの」と語られるものか、時代によるものはもちろん、チームそれぞれの方針によるものによって大きく異なるものであることが推察された。

「組み立て」などつくられ、高められる技術と、個々が持っている感覚的なものを研ぎ澄ましていくことの両方が「甲子園」という場でせめぎ合うのだろう。
部活動での経験は人生のなかで良きにつけ悪しきにつけ、とても大きなものである。「甲子園」での体験は況やをや、だ。

2020年9月9日

読書状況 読み終わった [2020年9月9日]

書簡のやりとりの妙が随所に見られる。
江藤氏曰く、読書は消費とのこと。そうなのか。考えも及ばなかった。
吉祥寺の本屋で見つけた本だが、図書館で借りて一通り読んでみて、手元に置いて読みなおしたい本だと思った。
1949年に始まる最初の手紙から1969年のエピローグまで本の注文のやりとりはもちろんのこと、戦後のイギリスの日常の窮状が垣間見え、アメリカとは対照的で興味深い。
なにより、手紙の書き手の心情が言葉の端々にみえるところは秀逸。読み手が想像しながら手紙を読む、という至極当たり前のようで今や失われつつと感じる行為に心が動かされた。

2020年9月6日

読書状況 読み終わった [2020年9月6日]

読み応えがあった。
最初は最後は救いのあるのだろう…と読んでいたが…
エイダは良い意味でもそうでない意味でも「上昇志向」がある。自分の持っている仕立て師の技術を以てして「自分らしく生きることへの執着」が強い。だからこそ苛酷な状況でも辛抱強く生きていけたといえる。
人生とは自分の選択の繰り返しとはいえ、その選択に対するしっぺ返しも自分に跳ね返ってくる。自分には抗い難い状況も存在するのにだ。
それにしても、彼女に対する裁判にみられる一方的ともみえる女性に対する扱いはひどいと思う。ナチ協力者に見なされてしまったところも時代性なのか。もちろん、情状酌量がないところにも。

2020年9月2日

読書状況 読み終わった [2020年9月2日]

なかなか器めぐりできない昨今、本を見て、楽しんだ。
次に京都へ行けたら行ってみたいカフェ。まつは。メメント モリ。

2020年8月26日

読書状況 読み終わった [2020年8月26日]

ラグビーワールドカップ2015まとめ本。
臨場感があるし、2019に向けての高揚感に溢れている。

2020年8月22日

読書状況 読み終わった [2020年8月22日]

あれ、この話、どこかで(笑)。
なるほど、「死者のあやまち」の原型版らしい。

2020年8月22日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2020年8月22日]

1986年出版の本。聖書の時代から通史的にユダヤ人への視線を述べる。
改めてイディッシュ文学を読んでみたくなった。

追記

なぜこの本を読んだかというと、テレビで「戦後75年」のさまざまな番組をやっていて、Eテレで放映されたアンネフランクの日記をテーマにした番組、NHK特集でアウシュヴィッツのゾンダーコマンドが埋めた文書の番組を見たから。

ポグロムやホロコーストのことはなかなか言葉にするのが難しい。

2020年8月23日

読書状況 読み終わった [2020年8月22日]

先が読みたくて、一気読み。
スリザリンの2人の少年の成長譚であり、同時に親は子ども以上に成長することがわかる。というより、私は親世代に寄り添って読んでいたんだなぁ(笑)。大人のハリー以上に大人のドラコがよかった。
呪いの子とはまさか…(笑)。

是非、ステージも、映画も見たい。

2020年8月21日

読書状況 読み終わった [2020年8月21日]

新訳版。読みやすい。
前の版も読んでいるので、実は犯人は分かっていたけど、読んでみた。
個人的には慣用句の使い方がなかなかよい。
例えば、語り手がポワロが「芝居がかった仕草」をしてなかなか真相を語らないでいることに「ポワロは大向こうをうならせたいのだ。」というあたり。とてもポワロらしい。ポワロのキャラが立っている。

2020年8月20日

読書状況 読み終わった [2020年8月20日]

途中からどうなる、どうなる…と、先が気になって仕方なかった。

2020年8月15日

読書状況 読み終わった [2020年8月15日]

旅行に行くことができなくなったなぁ、と思いながら本屋の棚で見つけた本。
最近の夏は関西に行くことが多かったけど、今夏は無理。その感傷を埋めるために読んだ感あり。

読み始めはキャラクターがちょっと鼻について、ああこれって京都の人にしかわからない感じの人かな、と思った登場人物もいた。
しかし、読み進めるうち、正直、目の前にその料理があるような気がしてきて生唾ごくり(笑)。これは「おいしいもの」の力かな。
京都の街中を歩き回っている感覚がないわけでもない。それも悪くない。
リアルな京都に行っても、そんな高級なお店に近づいたこともないからなぁ。

2020年8月11日

読書状況 読み終わった [2020年8月11日]

本屋で見つけた本。表紙にもひかれた。
読み始めは「能楽」にまつわる話もあって、悪くなかったが、読み進めるうちにうーん、どこに焦点をあてて読んだらいいのかわからなくなってきて、ま、こんなものか、と終わってしまった。ちょっと残念。

2020年8月11日

読書状況 読み終わった [2020年8月9日]

大覚寺に住む少年僧 胤舜 が花を生けることに向き合うことを通して自分の行き方に向き合っていく成長譚。生け花の祖は仏に手向ける花から野に咲く花に人の手を加えていった。手をくわえることで表現される心をこの少年僧は師から磨くように言われる。

そこにさまざまな人物がそこここに現れるのも歴史小説のおもしろいところ。
この本を呼び水にして「蓮月尼」を書いた杉本秀太郎氏の本を読んでみたくなった。

2020年8月11日

読書状況 読み終わった [2020年8月9日]

一気読み。「滝山団地」や「小平団地」行きのバスを見かけるたびにこの本のことが脳裏をよぎった。常々、読みたいと思っていた本。

読後の第一印象として筆者が経験したシステムの裏にはまだまだ「立身出世」が生きていると感じた。
「立身出世」なんて夏目漱石よろしく明治時代に富国強兵とともに作られた近代のシステムだ。そのシステムが巧妙に形を変え、無意識に社会のなかでさもあたりまえのこととして存在している。ちょっと怖い。
そういう現在も、このシステムは行き詰まりながら存在する。ただ、この時代のように二項対立的な発想は顕在化していないのではないか。

筆者は少し世代が上だし、「滝山コミューン」ほど、がちがちにシステムのなかにいなかったにせよ、「班活動」は「給食の班」「登校班」「移動教室の班」といろいろなところにあって、自分はそこに構成員としてピースのなかにおしこまれていたのはまちがいない。「班」というシステムは一見「平等」であるようで、全然「平等」ではない。「(リーダーに)選ばれる」ことによって「指導していく」「指導されていくもの」に二分されてしまう。「個」はなく「群れのなかの一員」にすぎないと筆者は感じたにちがいない。足並みがそろっていないとまずいのだ。

筆者が四谷大塚へ行くことをプラスに感じたのはそこは誰の指導のもとでなく、「個」である自分の意志で動いてそれが結果に結びついたから(もちろん、乗り鉄の楽しみもあったと思うが)。

「滝山コミューン」は閉じられた空間だったからこそできたのだろう。このころの小学校の先生はいわゆる師範学校出身の先生と新制の教育学部出身の先生が混在していたに違いない。

「教研」「全生研」(などの熱意ある教員が参加するグループ)「親が学校にどうかかわるか(「PTA」)この本を読むと、古い時代の遺物のように思えるが現実には姿・形を変え、脈々と続いているように感じる。
「教育」は「人を育てる」システムだからか?
「国」の礎だからか?

なんにせよ、読み始めたときはお化け屋敷に入る好奇心もあったが、読み終わったときには個人的に昔あったいやなことを思い出して少し背筋の寒い思いをした。

2020年8月11日

読書状況 読み終わった [2020年8月8日]

「だ」「です」が混在していて、文体にまとまりがなく、本当に読みにくい文章だった。その結果、一番言いたいことが分かりにくくなってしまっている。
一気に読んだから猶更なのだが、章と章のつながりもいまひとつ。

ただ、筆者が自分の言いたいこと(筆者の不満?)を言えたということはなんとなくわかった。なんか、自分の言いたいことを言い捨てていないか。そこはちょっと不快な印象を持った。

確かに、ラグビー業界に対してこのあとどうなっていくのだろう、という危機意識を持つことは間違っていない。バレーボールしかり、バスケットボールしかり、みんなサッカーの集客率、地域貢献度、メディアを利用した認知度に対して羨望のまなざしで、自分の業界もなんとかしてああなりたい、と思っているのだろう。プロ野球だって昔と比べると大きく変わってきたように感じる。
もちろん、国際的に見ると、人気スポーツというのは国によって大きく異なる。どのグループのなかでどんな試合をしていくことがメリットなのか、はとても大事なことにちがいない。

そもそも日本ではスポーツ振興が企業に対して依存度が高く、その企業は企業メセナとしてスポーツを支えてきた。その企業が弱体化したとき真っ先に切り捨てられるのもスポーツ部門だ。
そういう意味ではスポーツの運営が企業から離れ、選手は個人事業主になりつつあり、統括団体と企業、選手、アマとプロ、と立ち位置が大きく変わってきている。
ワールドカップで日本は世界の選手から注目される「働ける場になった」らしい。

ましてやこのコロナ禍のなか、日本ラグビーはどこに行くのか。ワールドカップの人気(経済効果)の残滓を享受するばかりでいけないはず。世界の、アジアの、いろいろな立ち位置の中でこのスポーツの良さをもっと理解したい。

スポーツが社会を活性化するのはまちがいない。はらんでいるさまざまな問題があるにせよ、グランドで活躍する選手たちが少しでも前向きにラグビーにとりくめるように応援したい。

2020年8月3日

読書状況 読み終わった [2020年8月3日]

一晩で一気読み(笑)。

この人も「池袋のリブロ」から始まった人か…が読み始めの印象。そうそう、リブロのなかでは他の本屋に無いさまざまな発見があった。詩と演劇の本ばかりを集めた一角があった頃、私は高校生だった。そこで私は宝塚歌劇の雑誌を買っていたっけ(←今や全国区の雑誌だけど、当時は東京で買えるところはほとんどなかった。)

今は「本」「cafe」「雑貨」は必須アイテムだ。どこの(大手の)書店さえ、その形を追随している店舗ばかりだ。その斬新さも右に倣えな感じで、最近はあまり惹かれなくなった。
この本を読むと、本屋に魅力がないことの原因に矜持がないからに違いないとわかる。冒険するからには矜持が必要なのだ。

最後の最後に「コルシア書店」のことが出てきて、久しぶりに胸が熱くなった。
昔ながらの古書店がある、大型書店がある、大きな図書館のある町で育った私が生まれて初めてその恩恵を感じたのは地方暮らしでだ。住んでいた小さな町の唯一の図書館で借りたのが須賀敦子と森まゆみの本だった。全部あるわけではなく、端本だったと思う。ネットで欲しい本を買うという感覚も理解できなくて。本は手にとって内容を確かめるというのが当たり前だと思っていた。で、電車に乗って一番近い大きな町に出て、勇んでいったチェーンの大きな店で(とはいえ、東京に比べたら中規模くらいだった店)買って読んだのが『コルシア書店の仲間たち』だった。リアルな本屋で並んでいる本を見ながら本を選ぶ喜びはなにもにも代えがたい喜びだった。

小さな町の本屋さんがどんどんなくなっていくのはとても寂しい。でも、この本を読むと、少し元気になる。

2020年8月2日

読書状況 読み終わった [2020年8月2日]

バカバカしい、本当にバカバカしい。
最後にある「実在の人物・団体とはちょっとしか関係ありません」という但し書きが言い得て妙。
誤解を恐れずに言うのなら、医者の世界、大学病院はこんな感じに違いない(苦笑)。

2020年8月1日

読書状況 読み終わった [2020年8月1日]

図書館で偶々見つけた本。
読んでよかった。

原爆雲の下で「起こっていた」ことがあぶり出される。「起こった」ことではない。
この兵器は市井に生きた無辜の人々を一瞬で死に至らしめた。また生き残った人々を遺伝子レベルで傷つけ、苦しめ続けている。

松重氏が写した御幸橋の写真に写る人々の語りから「生死を分けた」ことが痛いほどわかる。橋の向こうには行けなかったのだ。自分は生き残った。生き残ってしまった。自分の目の前に写っている人のことを全く思い出せない、友の声は聞こえたが見殺しにした、被爆された方の話に言葉が出ない。
このような橋は御幸橋だけではない。

昨日の北朝鮮の指導者が核兵器を持つことを誇示する発言、今日の広島高裁による黒い雨裁判。戦争のない時代の核原理の利用、つまり、原子力の平和的な利用といわれる核燃サイクルが動き出すというニュースも今日のニュースだ。
75年経った今、平和の危うさを感じる。

2020年7月29日

読書状況 読み終わった [2020年7月29日]
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