「長年にわたって、羽生さんと名勝負を演じてきた十七世名人有資格者の谷川浩司さんは、「羽生さんがいてくれたおかげで自分はさらに強くなれた」とインタビューで語っている。
勝負の世界は、相手なくしては成立しない。ましてや戦う相手が強くなければ、名勝負など生まれるはずもない。
いま振り返れば、将棋界最高峰の竜王戦で羽生さんと戦えたことは、棋士として、最高の幸せであった」
「「棋は対話」という言葉がある。
将棋の対局は、相手が指した手を受けて、自分が一手指す。問題はその次の一手だ。相手が三手目にどんな応手を選ぶのかで、その棋士の実力がわかる、とされている。
日常生活でも同じことが言えると思う。
たとえば、インタビュー取材の場合。
ファーストコンタクトをメールで済ませた後、打ち合わせや取材当日に初対面となる。
相手の質問に、こちらが返事をする。
それに対して相手がどうリアクションするか。
いわゆる三手目の応手がどんな内容かで、その相手のことがある程度わかるのである。
こちらの返答に対して、事前に用意していた次の質問に移るのか。
それともこちらの返答を聞いて、それに対する疑問や質問をぶつけてくるのか。
インタビュー取材では、相手の三手目で、ほぼ記事の良し悪しが想像できる。私の答えに対して、さらに突っ込んでくる相手は、敏腕な書き手ということが多い。
あっさりと次の質問に移る場合は、あまり専門的な話や込み入った話はしないようにしている。中途半端な理解では、かえって悪い記事になるからだ」
「序盤、中盤では、一〇〇パーセントの最善手でなくとも、リスクを避けようとする棋士の選択に対して、コンピュータソフトは、常に一〇〇パーセントの最善手を求めようとする。判断が、いわば直線的なのである。
一直線の読みのスピードと深さに関して言えば、間違いなく、すでにプロ棋士を凌駕している。人間ならリスクを回避するところであっても、コンピュータは、むしろ最短距離をとろうとするのである。
そのちがいは、あくまでたとえにすぎないが、次のように考えてみてはどうだろうか。
ある時刻までにA駅からB駅に行くために、電車の乗り継ぎを考えるとする。
コンピュータなら、時間に間に合う範囲内で、最も時間を無駄にしない最短コースを選択するだろう。
しかし、最短コースでは、仮に一本の電車を逃すと、次の電車は三〇分後というように、列車の本数が少なく、いざというときに代わりの列車がない、とすれば、どうなるか。
人間なら、多少時間がかかっても、より安全なルートを選択するのではないか。あるいは、単に乗り慣れているという理由で、あるコースを選択することもあるだろう。乗り慣れていれば、何か不測の事態が生じても、その分、対処しやすいからである。
コンピュータの将棋の読みと棋士の読みにも、これに似たようなちがいがあるように思うのである」
- 感想投稿日 : 2021年11月18日
- 読了日 : 2021年11月18日
- 本棚登録日 : 2021年11月17日
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