法とは何か。裁判とは何か。
それを考えさせられる良書である。
職業裁判官にしても、裁判員にしても、
人が人を裁くという構造は変わらない。
では、職業裁判官が裁くことと、市民が裁くことの意味はどのように違うのだろうか。
人が人を“正しく裁く”ということはできるのだろうか。
裁くという行為の裏側にあることを、
丁寧に掘り下げていく。
法体系も裁判の様式も国によって異なり、
裁判の意味さえも国によって異なるという。
真実を究明する場か、断罪する場か。
更生を求める場か、被疑者の恨みをはらす場か。
誰がさばこうが、冤罪のリスクは少なからず残る。
また冤罪を極力避けようとすれば、犯罪者をそのまま野に放つリスクが高くなる。
このトレードオフの構造の中で、
裁判は行われる。
人が判断することなので、完璧なものなどあり得はしないし、
簡単に、どの制度がよいとか論じられるものではない。
しかし、人が人を裁くというその行為がどんな意味をもっているのかは、
各自が自覚しておくことが必要なのではないかと思わされる。
裁判員に選ばれて、裁判に参加することは、
国民が勝ち取った権利なのか、それとも義務なのか。
いくつもの問いが浮かんでくる。
“なぜ市民が裁くのか。職業裁判官の日常感覚は一般人とずれているから素人に任せる方が良いというような実務上の話ではない。犯罪を裁く主体は誰か、正義を判断する権利は誰にあるのか。これが裁判の根本問題だ。誰に最も正しい判決ができるかと問うのではない。論理が逆だ。誰の判断を正しいと決めるかと問うのだ。人民の下す判断を真実の定義とする、これがフランス革命の打ち立てた理念であり、神の権威を否定した近代が必然的に行き着いた原理である。”
- 感想投稿日 : 2014年2月18日
- 読了日 : 2014年2月18日
- 本棚登録日 : 2014年2月18日
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