この巻で白狐魔丸は江戸に出て、そこで忠臣蔵の物語の現場に立ち会うことになります。江戸城に忍び込んだり、吉良邸に忍び込んだりなどして重要な場面を目撃しはしますが、赤穂浪士や吉良側の内側にはほとんど入り込まないし、赤穂に場面を移したりもしないので、江戸に当時生きていたらこんな風に見えたんではないか、という言わば忠臣蔵を外側からリアルタイムで見た町人感覚を大事にした描き方をしているようです。それは、歴史というものは伝聞と推測で作られた物語であって、特に忠臣蔵のように人形浄瑠璃や芝居で脚色された物語は、現実とは似ても似つかぬものになっているものだということをどうやら本巻の裏テーマにしていることによって選ばれた方法であるように思います。
本巻で何度か繰り返して語られるもう一つのテーマは、切腹すれば目的や結果の成否は問わず正義となる、という侍の生き方・責任の取り方への疑問です。白狐魔丸シリーズを通して武士は嫌いだと言ってきたわけですが、巻によって武士への視線の温度には高低があるように私には見受けられました。この巻ではその点、だいぶ冷たかったです。
こういったようなこだわりのテーマをもって書かれたと思われる本巻では、作者自身、読者を楽しませることすらよりも、これらのこだわりを意識的に優先したんではないかな、と私は思います。というのは、町人から見て忠臣蔵は、なかなか討ち入りに来ない間延びした出来事だった、ということを結局本書では書いていて、読者にもその感覚を追体験させているわけで、それが本書の中だるみになっています。そこで中だるみを防ごうとするならば、やはり白狐魔丸も赤穂に舞台を移して、大石たちの葛藤にも立ち会うとか、そうしなくても江戸で赤穂と関係を持ったオリジナルキャラをもっと活躍させるとかなんかやりようがあったし、斎藤洋にはそれができたはずです。なので、それをしなかったのは、斎藤洋の故意だったのではないかと私は思います。
とはいえ、うちの子は楽しんだみたいですね。特に最後のあたりは面白かったと言っていました。死ねば正義という侍の生き方はいやだ、と言って違和感を感じたのも成果ではないでしょうか。私はこの本を読んで、天草の乱の頃から生きている人がまだいた頃だった、というのと、生類憐れみの令が行われていた時期だった、ということなど、別々に習ってはいても私の頭の中では全然つながっていなかった事柄が、当時の江戸の空気感みたいな感じで知ることができたのも嬉しかったです。
- 感想投稿日 : 2019年6月27日
- 読了日 : 2019年6月26日
- 本棚登録日 : 2019年6月27日
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