太平洋―開かれた海の歴史 (集英社新書)

  • 集英社 (2004年12月17日発売)
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感想 : 8

なにしろブローデルの『地中海』に対抗して『太平洋』ですよ。太平洋について,先史時代の考古学的知見から今日の米軍にとっての戦略的意義までを新書1冊にまとめちゃう,という発想がすごい。はじめ,トンデモ本だとわたしが思ったのもムリありません。しかし,読んでみると,知らないことばっかりだったので,二度すごいと思いました。

これはわたしの不勉強なんでしょうが,メラネシアやポリネシアやミクロネシアには昔から人間が住んでいる,という観点で書かれた本を,いままで読んだことがありませんでした。いや,読んだことあるんですが,それは文化人類学の本だったので,そこに描かれている人々が歴史を持った人々であるという印象を受けませんでした。ほかに,南の島は楽園か,そうでないか,という本や,そこを訪れた白人や日本人の感想を書いた本なら,世にたくさんありますが,本書のような歴史の本は珍しいと思います。わたしは,宮本正興『新書アフリカ史』(講談社現代新書,1997)や白石隆『海の帝国──アジアをどう考えるか』(中公新書,2000)を読んだときのような感動を覚えました。

とはいえ,どうしても白人側の史料に多くを頼らなければならないのはしかたありません。そして,わたしは白人側の歴史ならイロハくらい分かるので,白人側の歴史について,へーと思うことがいくつかありました(本書を読んでイロハを知った事柄については,へーとも思いようがありません)。わたしの「へー」を雑多に並べてみます。

* スペインとポルトガルとが仲良く(?)世界を二等分することを決めたトルデシリャス条約(1492,1494改定)は,地球の裏側の境界線を決めていなかった。ローマ教皇から地球の西半分を貰ったスペイン人は,アメリカ大陸を経由してフィリピンに到着したので,彼らはフィリピンがスペインの領域(西半分)に入ると考えた。一方,地球の東半分を貰ったポルトガル人は,喜望峰を経由してマカオを領有した。結局のところ,太平洋のどの部分がどちらの「半分」に入るかは,船がどっちから来たかによって決まった。
* 現在のアメリカ合衆国の西部や南部を探検したスペイン人は,幌馬車で大陸を横断してきたのではない。コロンブスの航海がそうであったように,船でスペインを出て海流に乗るとメキシコ湾に着く確率が高い。中米の陸地は東西の幅が狭いから,スペイン人たちは中米の地峡を横断して太平洋に着き,そこから船でカリフォルニアなどを探検した。
* スペインから独立したオランダは,トルデシリャス条約で二分された世界に割って入ろうとした。1598年にオランダ人は初めて,マゼラン海峡経由で東から太平洋を横断しようと試みた。しかし,その航海は失敗した。5隻から成る船隊はばらばらになり,漂流したり行方不明になった。そのうちの1隻が1600年に豊後に漂着したリーフデ号であり,その航海長だったイギリス人ウィリアム・アダムズが三浦按針になった。(一方,本書では触れられていないが,幕末に日本に来たペリー艦隊は,アメリカ合衆国の東海岸を出港して喜望峰経由で日本に到着した。あべこべのような気がする。)
* イギリスやオランダが東インド会社を作ったのにならって,ロシヤは,1799年にロシヤ-アメリカ会社を作って,アラスカの原住民たちを略奪した。

あと本書には,ハワイ王国のカラカウア王が1881年に来日して,ハワイの王族と日本の皇族とのあいだで婚姻を成立させようと日本政府に提案したことも記されています。この一件については,矢作俊彦・司城志朗『海から来たサムライ』(角川書店,1984)に詳しく描かれています。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史
感想投稿日 : 2010年5月17日
読了日 : 2010年5月17日
本棚登録日 : 2010年5月17日

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