・ 明治の所謂文豪に関して何となく思つてゐること、それは漢文の素養があるといふことである。具体的に説明できないまでも、その作品から漠然と漢文の素養と 言つたり思つたりしてきた。私にはまともにそれが説明できないのである。ところが、これを具体的に説明してゐる書があつた。斎藤稀史「漢文脈と近代日本」(角川文庫)で ある。おもしろい。蒙を啓くとはかういふことなのであらうと思ふ。「この本は、近代日本のことばの空間を漢文脈という視点から考えることを主眼とします。」(「はじめに」11頁)「近代日本という時空間は、文体にしても思考にしても、漢文脈に支えられた世界を基盤に成立すると同時に、そこからの離脱、 あるいは、解体と組み換えによって、時代の生命を維持しつづけようとしました。」(同前13頁)そこで、本書でそれを具体的に見ていかうといふわけであ る。
・北村透谷「漫罵」、教科書にも載る有名な文章、「一夕友と与に歩して銀街を過ぎ、木挽町に入らんとす、第二橋辺に至れば都城の繁熱漸く薄らぎ、家々の燭影水に落ちて、はじめて詩興生ず。」と始まる文章は本書で扱ふ典型的な漢文訓読調の文章であらう。こんなのは私達には書けない。かういふ語彙 も、かういふ文体を操る術もない。そこで、私はこれを漢文の素養といふのだが、これでは説明にならない。そこを本書は説明する。ただし、これはさう簡単に できるものではない。単純に、素読に長けてゐるとかと言つてすむものではないからである。最重要キーワードは士人、士大夫であらうか。近世日本に於いては 武士階級である。例の昌平黌や藩校もこれに関係してをり、それは更に「修身・斉家・治国・平天下」といふ有名な条目に至る。つまり、素養といつたところ で、それは決して農、工、商のものではない。あくまで士の素養であり、その「学問は士族が身を立てるために必須の条件とな」(33頁)つてゐた。だからこ そ、「天下国家を論じる文体」「慷慨する幕末の志士」などといふ見出しも出てくるのである。私は、漢文の素養と言ふ時、何となく一般庶民のものではない、 たぶん武士に属するものであらうと思つてゐた。しかし、かういふきつちりとした流れの中にあるとは考へなかつた。まして「漢文で読み書きすることは、道理 と天下を背負ってしまうことでもあった」(34~35頁)などといふことであるとは。透谷の「漫罵」も当然この中に位置するのであらう。「爰に於て、われ 憮然として歎ず、今の時代に沈厳高調なる詩歌なきは之を以てにあらずや。(原文改行)今の 時代は物質的の革命によりて、その精神を奪はれつゝあるなり。」この一文は透谷が没落武士の子として生まれたからこその文体と慷慨であらうか。あるいは、 単なる浪漫詩人の感慨であらうか。たぶん、これは透谷流の悲憤慷慨であり、天下国家を論じる文章なのである。この時代の人々には、わざわざ鷗外を出すまで もなく、このやうな知識と技が身に染みついてゐたのである。鷗外や漱石が優れてゐるのではない。この時代の士であれば、知識の多少、技術の拙劣はあつても、誰もがこのやうな文章を扱ふ術を心得てゐたのである。逆に言ふと、「石炭をば早や積み果てつ。」と始まる鷗外の「舞姫」は、「その基調が『感傷』にあることをより効果的に示すために、言文一致体でもなく、『普通文』たる訓読体でもない文体を採用」(228頁)したのであつた。さう、これから知れる如く、近世から近代初期にかけては、漢文訓読体=普通文なのである。これもまた私には考へられないことであつた。「士人的エトス、あるいは士人意識」(31 頁)とある。これが漢文脈の命であらう。
- 感想投稿日 : 2014年8月31日
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- 本棚登録日 : 2014年8月31日
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