三浦和義事件 (角川文庫)

著者 :
  • 角川書店 (2002年10月25日発売)
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3

令和の今、「みうらかずよし」と云えば、サッカー選手を連想するだろうが、昭和生まれ、育ちの者にとっては今でも『ロス疑惑』の彼を連想する。
そしてこれはその『ロス疑惑』の全貌及び真相解明に臨んだ島田流ノン・フィクション作品なのだ。

事件が起きたのは昭和56年11月18日とあるから、当時私は9歳であったが、連日テレビで報道されていたのは記憶に鮮明に残っている。事件そのものはLAで妻を殺害された男、三浦和義が実は妻の保険金を狙った殺人だったのではないかというものだったのいうのは鮮明に覚えており、当時事件現場を遠巻きに移す映像も記憶にある。
本書はその内容を、マスコミ側と三浦氏本人側から語り、そして裁判のあらましを語るという大きく分けて3部構成の体裁を取っている。文庫版である本書はその後日譚もエピローグとして補足した補完版となっている。

まず面白いのは当然のことながら、マスコミサイドの視点で描かれた三浦像と三浦本人の視点で描かれた造形がものの見事に食い違っていることだ。特に前者のそれは性豪の気障男として描かれており、どうにも読者の共感を得られない人物となっている。しかしこれが正に当時マスコミで報道されていた三浦和義像他ならなく、情報操作というものは非常に恐ろしいものだと痛感した。

のっぴきならない状況でやむを得ず嘘をつかざるを得なかった三浦氏がそのために人生をふいにする有様は胸の痛む思いで、築き上げた会社、取引先、家族全てがことごとく自分の掌から零れ落ちていくプロセスは正視に堪えられないものがあった。
単にLAで写真撮影をしており、そのとき通りかかった暴漢に襲われ、妻と我が身を撃たれた、この単純な事件がかくも歪に歪められ、一人の男の人生を台無しにする、これは誰の身にも起こってもおかしくない現象だ。だからこそ恐ろしい。
たまたま女性にもてて、たまたま会社経営者で金を沢山持っていたというだけで日本人の総スカンを食らう、これは堪らない。
私が思うのは、よくぞこの事件を島田氏が紐解こうとしてくれたなという賞賛の気持ちだ。

『秋好事件』とは違い、今回は堅苦しい司法文書の類を転載することを避け、終始事件の模様を小説タッチで著したのが非常によかったように思う。
ただ、後半の裁判の模様は今まで述べられてきたことの反復が続き、だれたのは否めなかった(これはこういう冤罪事件を扱う上では避けられない欠点なのだろうか)。

結果的に島田氏は矢島峰子という女の愛憎のなせる執念の産物だと警告を鳴らしている。
確かに彼女の告発が無ければ、このように事件は拡大していかなかっただろう。それがために存在しなかった『妻殴打殺人計画』の主犯というレッテルを貼られた。そしてこれをきっかけにしてメインの『銃殺事件』の犯人にされそうになった。
最後に述べられた最高裁判官の逆転無罪判決でこの事件は三浦氏無罪となるわけだが、それが最高裁判官辞職を招く。
私は何故?といいたい。
正しいことを成すのに何故辞職を覚悟しなければならないのか?
司法独立の理念は存在しないのか?

また事件の取調べ方の非人道的行為が細かく語られ、ほとんど被告人は人扱いされない。平成の今の世においてもこのような取調べが横行しているのかは寡聞にして知らないが、これが島田氏は日本に冤罪を招く素だと強調する。

本書の最後で島田氏はこのようなことを云う。

「重大事件に必ず犯人が挙がるとは限らないことを、われわれ日本人はそろそろ学ばなければならない」

これは世間が騒ぎ立てたがために警察・検察が三浦を何が何でも犯人として挙げざるを得ない状況に追い込まれたことを批判した文章なのだが、本格ミステリ作家である彼がこのようなアンチテーゼめいたことを発言するのが興味深い。
当たり前のことだがミステリの場合、必ず事件は解かれるのである。それを島田氏は現実では当然だと考えるなと訴えているのだ。
作家としての自己否定的な発言であり、これを考えるとミステリ作家は作品を書けなくなるのではないかと思うのだが。

読後はかなり重いが、『ロス疑惑』とは一体なんだったのかを知るのに格好の力作ではあった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ノンフィクション
感想投稿日 : 2021年9月1日
読了日 : 2021年9月1日
本棚登録日 : 2021年9月1日

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