黄昏の岸 暁の天 十二国記 8 (新潮文庫)

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本棚登録 : 2180
レビュー : 172
著者 :
制作 : 山田 章博 
地球っこさん 日本文学:著者あ行   読み終わった 

泰麒はまだ幼い。だから、怖いもの危険なことからは遠ざけたいのだとある者は言う。何も知らないでいいというのは、彼を侮ることと一緒だろう。彼には役割があるのだから、年齢など関係ないと、ある者は言う。主上は、泰麒は民意の具現だ。だから泰麒が怯えることは、民が怯えること。泰麒は巨大で重大な麒麟なのだと言う。泰麒は、驍宗を助けたい、役に立ちたいと願う。
大切なものを傷つけたくないからこそ取った行動が、逆に相手を傷つけていることになることもある。
実情を知ろうとするより先に、憶測で罪を作り、その罪をもとに他者を裁くことに疑問を覚えない者。自己の不足を自覚せず、己の不遇を容易く他のせいにして弾劾する者……
わたしたちの周囲にも、そのような者たちのわめき声に掻き消されてしまう真実や声なき声がある。

季斎は、瀕死の状態で助けを求めた慶国で、花を抱いて駆け寄る桂桂と泰麒を重ねて、思わず涙ぐみます。天では、泰麒がどれだけ戴国に希望を与える存在なのか訴えます。
季斎の泰麒を想う気持ちには涙、涙です。
泰麒を助けるために、諸国の麒麟たちが集まり、陽子や尚隆も動きます。だからといって、軍を率いて他国に介入することは、天の理に反し大罪です。それが侵略でなく、討伐でなく、民の保護であろうと、軍兵を他国に向かわせてはならないとの天の理があるのです。自ずと現実の世界情勢を思い浮かべることになりました。

十二国記の世界観は深く広いです。
何かことを起こそうとすると、天の理が立ちはだかります。どれだけ国が荒み民が苦しんでも天は何の手助けもしません。偽王を罰することもないです。全てを天は知っているはずなのに。
陽子は季斎の訴えに「人は自らを救うしかない」という道理にたどり着きます。天にとって自分たちは何なのか。これから天の存在や理を深く考えることになるのかもしれません。

泰麒は目覚め、景麒に「……僕は間に合うでしょうか」と問いかけます。うう、また泣いてしまいました。もう泰麒は何も出来ない子どもではないけれど、麒麟である力を失ってしまいました。それでも泰麒は、戴の民のために立ち上がります。戴国へ戻っていく泰麒と季斎のこれからは苦難の道です。ああ、また泣けてきました。10月が待ち遠しくてたまりません。

今回は泣いて泣いて泣いてしまいました。

レビュー投稿日
2019年10月2日
読了日
2019年10月2日
本棚登録日
2019年10月2日
14
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