読んでいるあいだ恐ろしくて仕方なかった。そして最後のジョーンの選択は悲しかったのと同時に、心のどこかでやっぱりな……と思う私がいた。人は簡単に変われないんだ。
結婚して子どもが生まれて。そうなった時、女性なら一度は夫のために良い妻、子どものために良い母親になりたいと願うのではないだろうか。でも、この「ために」というのが曲者になってくると私は思う。あなたの「ために」私はこれだけ頑張ってるのよ。あなたの「ために」こうすれば良いと思うよ。この「ために」が真綿で首を締めるように、じわじわと家族関係を蝕んでいく。相手のために頑張りたいと思っていた気持ちが、いつの間にか自分が良い妻、良い母親でいる「ために」と意味がすり替えられていることに気づかない。
ジョーンが夫ロドニーに意見を通せば、彼は「じゃあいいよ。きみの好きにするさ」と呟く。
「わたしたちのように幸せな家庭って、そうざらにあるものじゃないのに」と笑えば「きみは本当にそう思ってるのかい、ジョーン?」と問われる。
子どもたちからも「お母さんって、誰のこともぜんぜんわかっちゃいないって気がするんだ」と言われる。
それでもジョーンは自分は幸せだということを微塵も疑わない。そして自分が幸せなら当然、家族も幸せだと思っていると固く信じてるはず。
ジョーンは、娘の病気見舞いを終えてバグダッドからイギリスへ帰る途中、汽車を待つ数日間をひとりで過ごすことになる。そこでロドニーとの夫婦関係、3人の子どもたちとの親子関係について振り返ることになるのだが、自分が夫や子どものことを何一つ知らなかったことに気づく。彼らの過去の言動の真相を知らずに過ごしてきたのは、こうあってほしいと思うようなことを信じて、真実に直面する苦しみを避ける方が、ずっと楽だったからだと思い知るのだ。
ジョーンはロドニーを幸せにしてあげなかったと彼に謝りたいと切に願うのだが、結局ロドニーと再会した彼女は、今までのまま、あいかわらずのジョーンに戻ってしまう。彼女は聖者にはなれなかった。
ロドニーはそんなジョーンを受け入れる。
「プア・リトル・ジョーン」
かわいそうな・リトル・ジョーン
ひとりぼっちのリトル・ジョーン
でも私はロドニーもひとりぼっちだと思う。彼の場合は自らその道を選んだといってもいいんじゃないだろうか。ジョーンの心のうちに踏み込むことが、実は怖かったんじゃないだろうか。
ジョーンは幸せな生活に戻ったけれど、ロドニーは自ら幸せを手放した。もし、ロドニーが自分の望む幸せを手に入れたなら、ジョーンは幸せになれたのだろうか。
私は何だか重い荷物を彼らから引き継いでしまったようだ。そんな、ずんと沈んだ気持ちになりながら読み終えたのだった。
- 感想投稿日 : 2020年1月30日
- 読了日 : 2020年1月30日
- 本棚登録日 : 2020年1月30日
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