立原道造が生前に自ら編んだ詩集は
『萱草に寄す』風信子叢書第壱編
自家版、昭和12年5月刊
『暁と夕の詩』風信子叢書第弐編
四季社版、昭和12年12月刊
以上の2巻。
その後、立原はおなじ風信子叢書の1つとした『優しき歌』という表題の下に、それに次ぐべき詩集を構想していた。
しかし立原は昭和14年3月29日、結核による病状急変により24歳8カ月という若さで永眠。
第1回中原中也賞受賞が決定した(2月13日)、約1カ月後のことである。
戦後昭和22年3月、『優しき歌』は堀辰雄が中村真一郎ほかの意見をいれ、立原の構想を想定しながら構成した。
立原道造の詩は抒情的だ。
ふとした拍子に途切れてしまいそうなほどの繊細なピアノの旋律のよう。けれども決して途切れることのない凛とした強さが根底には流れている。
彼は歳を取ることもなく、若く美しいまま、風となって星となって、この世界では見ることのできない夢の中を駆け抜けていった。
わたしにとって立原道造はそんな気持ちにさせられる詩人だった。
「のちのおもひに」
夢はいつもかへって行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を
うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
──そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……
夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
- 感想投稿日 : 2021年4月16日
- 読了日 : 2021年4月16日
- 本棚登録日 : 2021年4月16日
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