ティリヒは、奔放な私生活や、アメリカに亡命しながらナチス・ドイツとの取引を続けていた。そして彼の神学は、そのような自分の生き方を肯定するために構築されたものだった。

ある学者の思想をその生き方との関係で読み解くには、どのようなアプローチがあるのか・・・という関心で手に取った。

2018年8月11日

読書状況 読み終わった [2018年8月11日]
カテゴリ キリスト教一般

私塾のような共同体、そして師弟関係の大切さ。キリスト教会のあり方、そして神学研究における脱個人主義のヒントを得た思い。

2017年11月25日

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カテゴリ 思想・社会

欧米の物語神学を媒介に、アメリカ政治哲学におけるリベラル・コミュニタリアン論争で明らかにされた「共同体」理解の、キリスト教的意義を論じている。
物語神学やキリスト教共同体論は、どちらかと言うとポストモダンの新福音主義やウェスレアン、またアナバプティズムの伝統と親和性があるように思う。しかし元東京神学大学の学長である著者は、改革派・長老派の伝統に自覚的に立って論じている。その点、本書は、また著者の芳賀先生は、異なる伝統を橋渡しする大切な役割を果たしておられると思う。

2017年11月14日

読書状況 読み終わった [2017年11月14日]
カテゴリ 神学

現代のスタンリー・ハワーワスに代表される物語神学まを、バルトやリチャード・ニーバーの線で捉えようとする論集。リチャードとラインホールドの兄弟における相違や、グティエレスの解放の神学を扱った論文も含まれている。一部を除き読みやすい。

2017年11月1日

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カテゴリ 神学

読みながら涙が出てきた。飾らない信仰者たち(おかんやボク)、そして周りの人たちの姿を通し、神が生きて働かれていることを教えられる。時々この手の本を読むと、本当に励まされる。「受肉の神学」や「物語の神学」とは、結局、このようなものではないかと思う。

2017年10月31日

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カテゴリ キリスト教一般

友人に勧められ読んだ。ちょうど、神学における証言性や「語り方」について関心を持っていたので、響くところが少なくなかった。
終りの方に具体的な証言(海外から日本に来たカトリック宣教師たち)が載っており、そこは読みやすかった。しかしそこに至るまでの方法論の部分は晦渋。著者の博士論文が元になっていることは理解するが、せっかくの内容なので、読みやすさをもう少し考えて欲しいというのが正直なところ。

2017年10月31日

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カテゴリ 神学

ナウエンと言えば霊性、霊性と言えば個人の内面性の事柄を連想する向きが多いかもしれない。しかし本書は、ナウエンそして霊性にとって、社会的側面が大きな位置を占めていることに気づかせてくれる。

1980年代、南米の内戦の中で民衆に向けてのテロが頻発していた。ラザー神父は最後まで民衆と共に歩む中で殉教し、そしてその後をジョン神父が継いだ。ナウエンはこのジョン神父と交流を持ち、本書を著した。

キリスト教が、決して内面的・逃避的なものではなく、まさに現実社会の中で生きた力を持つものであることを証ししてくれている。また、ラザーとジョンという二人の神父の「召命」の生涯を通し、当時ハーバードで自らの歩みに悩んでいたナウエンは、ラルシュに移るという自身の召命を見出すきっかけを得たようである。

2017年8月7日

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カテゴリ 思想・社会

聖学院大学で開かれたシンポジウムの発表と論文を集めたもの。当日の主講師であった大塚野百合氏の論考は、氏らしく年齢を感じさせないハキハキした感じで、ご自身のナウエンとの出会いなどを語っている。
小渕春夫氏の論考は、ナウエンを「閃き」という角度から論じていて最もオリジナリティを感じた。氏によると、ナウエンは「閃き」の思想を、20世紀カトリックの思想家バーナード・ロナガンから得たという。いつか取り組んでみたいと思わされた。
その次の論考は黒鳥偉作氏と平山正実氏の共著となっているが、前半を故・平山氏、後半を黒島氏が執筆している。両者とも医者であり、医学的な視点からナウエンを分析したり、ナウエンの意義を論じている。私はどうも、医学のサイエンティフィックなアプローチはあまり馴染まない。
最後は、シンポジウム当日は司会をしていた堀肇氏の論考。ナウエンにおける「孤独」(ロンリネス)に焦点を当てて論じている。
すでにナウエンにある程度馴染んでいる人が読むとよい示唆が得られる本。

2017年8月2日

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カテゴリ 霊性

大頭先生とその仲間たちの共著。「舟の右側」誌に連載されていた「焚き火を囲んで聴く神の物語」各回に、焚き火に寄ってきた人たちが応答している。

実は私は「舟の右側」を購読しておらず、その連載を読んでいなかった。いつの間にかfacebookグループに入れてもらっていたが、「遠くで何かやっているみたい」という感じだった。しかし著者ご本人がお持ちだったので、(付き合い気分もあり)思い切って購入したのだった。

読んでみて驚いた。というか涙があふれてきた。私はヘンリ・ナウエン以外であまり涙を流すことはないのだが、本書は数少ない例外の一冊になった。

著者の文章力はもちろんだが、聖書や教会史上の人物と、ご自分の霊的な歩みとが、絡まり合いながら物語られていく。それは不思議と、読んでいる私をも神の愛の感動に導いていった。各回の応答者たちも、そんな感動にほだされて自分の物語を語っている。

本書所収の「推薦の言葉」だっただろうが、平野克己先生が、神学は個人プレーではない、という趣旨のことを書いておられた。まさにその通りだと思う。

神学者やキリスト教指導者には往々にしてヒロイズムの危険があることはナウエンも指摘している。しかし、仲間とともに歩み、その中で神学するならば、そのこと自体が神の愛を証しすることになるのだと思う。

2017年7月5日

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カテゴリ 神学

ルカ福音書15章11~32節のたとえ話と、それに基づいたレンブラントの絵画からインスピレーションを受けて誕生した書物。

父に反逆し、さ迷い出た弟息子。父の家で忠実に仕えているように見えて、内心は弟息子の自由さを羨む兄息子。そして二人の息子を比べることなく迎え入れる慈愛に満ちた父。

ナウエンは、自分の中に弟息子と兄息子の両方があることを覚えつつ、迎え入れられた者として今度は自分が父になる責任があると説いている。

読む人それぞれが、またそれぞれの信仰状況の中で、これら3人と重ね合わせながら読むことができると思う。

2017年7月5日

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カテゴリ キリスト教一般

ハワーワスの大学論。神学や学問が、国家や教会の「政治性」と密接であることを論じている。一部、翻訳にかなり難があり残念。ハワーワスは、文体が独特で読みにくいことに加え、思想自体も人によっては把握が難しいのだと思う。

2017年6月6日

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カテゴリ 神学

著者は精神科医のカトリック作家。NHKの番組収録で訪れた新旧約聖書とヨーロッパ(おもにカトリック圏の南欧)の紀行文でありつつ、著者の魂の旅路の記録にもなっている。これらの地域に旅する際には再読・同伴したい。

2017年6月6日

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カテゴリ キリスト教一般

キリスト教「正統派」という一種の理念形を想定して、その歴史的な暗黒面を描き出そうとしている。

唯一神信仰から導き出される権威主義とその裏返しとしての「異なるもの」への迫害、そして神が天にいるゆえに地(自然)を悪とみなしてきた、というのが筆者の基本的考え。
十字軍や魔女裁判、また過度の禁欲主義など確かにその通りで、キリスト者がきちんと向き合うべき歴史的事実であるのは確か。神がこのようなキリスト教を許し、またある意味で用いてこられた、その憐みの深さを思う。

しかし、著者の反キリスト教(正統派)の意識が強すぎて、論じ方がかなり雑に感じた。「結び」で著者自身も認めているように、キリスト教は実際には非常に多様であり、様々な「改革」が繰り返しなされてきた。決して「一枚岩」ではあい。

ダークサイド(罪)をきちんと見つめて悔い改める自浄作用もまた、歴史的総体としてのキリスト教の特徴であるように思われる。

2017年3月12日

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カテゴリ キリスト教一般

夜の世界、そして家に閉じこもって苦しむ子供たちに寄りそう著者。その姿にイエス・キリストを見る思いがした。子供を愛するがあまりに大人(の構築した世界)に対して厳しい目を向けるが、イエスも貧しい者や小さな者に「肩入れ」をしていた。

著者はカトリックの背景があるとのこと。カトリックには、理屈を振りかざすことなく、素朴にイエスの香りを放つ人たちがいる。現代の「聖人」と言えるだろうか。

2017年3月4日

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カテゴリ 思想・社会

説教塾ブックレット第2冊目。1冊目が加藤常昭氏(東神大)で2冊目が深田未来生氏(同志社)。同志社もドイツ系の学者が多いはずだが、この深田氏はアメリカの影響が色濃い。

キーワードは、コミュニケーション、パフォーマンス、共同体、会衆参加、ドラマ。同志社の会衆主義の伝統ともマッチしている。

思想的・学問的な深みを求める書物ではないが、説教者としての基本的な姿勢を再確認させられた。

2017年3月2日

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カテゴリ キリスト教一般

自分の訳書を久々に読み直してみた。おおむねよく訳せていたと自画自賛。優秀な編集者(土肥研一氏)の力が大きいのではあるが。以下、訳者あとがきの一部。

著者スポーンはカトリックの神学者であるが、その神学的関心はプロテスタント神学に広く及んでいる。自然法や解放の神学などカトリック内の議論はもちろんのこと、バルトやボンヘッファーを踏まえ、シュスラー・フィオレンツァらのフェミニスト神学、さらにはスタンリー・ハワーワスのナラティヴ神学などを論じていく。スポーンは第1章から第5章に至るまで、多様な神学的立場を織り込んでいるが、それは、「ここでの議論の多様性は、学問的な混乱を示すものではなく、聖書それ自体が持つ溢れんばかりの豊かさを表している」(序論より)という著者の確信に支えられている。

スポーンの開かれた姿勢は、神学の「自由市場」たるアメリカで教育を受け、また研究生活を続けたこととも関連しよう。シカゴ大学のキリスト教倫理学者ジェームズ・ガスタフソンの下で書いた博士論文は、「ジョナサン・エドワーズの宗教と道徳」(1978)であり、その後もエドワーズやプロテスタント神学者たちについて多く書いている。またその生涯にわたり、ミサへの出席や説教すること、個人的な祈りや小グループでの信仰者の交わりなど、キリスト者としての信仰生活を大切にしていた。夫人の追悼文によると、カトリック内のカリスマ刷新運動によって彼自身の「大覚醒」がもたらされ、宗教的感情の大切さを体験的に学んだという。スポーンはこれらを通し、学問と敬虔、倫理学と霊性の結びつき、また信仰的交わりの中で聖書を読むという姿勢を深めていった。

読者は本書において、第二バチカン公会議以降のカトリックの変化を読み取ることができるに違いない。そもそも、自然法に基づくカトリックの伝統的な倫理神学では、具体的な行為の是非を論じる決疑論(カズイストリー)が中心であった。そこでは個々の行為そのものが問題とされるのであって、行為主体そのものに対する関心は薄い。第2章の前半で自然主義倫理学として紹介されている立場はこの線上にある。しかし同章の後半では、それに対するカトリック内の異なる動きが紹介されている。たとえば、1993年に出されたヨハネ・パウロ23世の回勅『真理の輝き』では、聖書から聴こうとする姿勢が明確に打ち出されており、特にキリストの命令に従い、キリストの弟子となることが強調されている。

スポーンの方向性は、この第二バチカン公会議以降のカトリックの変化に棹差している。最終第5章では、第1章から第4章までを踏まえた著者の立場が展開されている。そこでは、キリスト教倫理学における聖書の中心性と、受けた愛に感謝して応答する霊性の重要性が語られている。それは、とりわけ第4章で扱われているナラティヴ神学を発展させたものである。本書は、プロテスタントの読者にとっては、カトリック内の新しい動きを知る手掛かりとなり、カトリックの読者にとっては、現代プロテスタンティズムによる神学的倫理学の手引きとなるであろう。

少しく個人的なことに言及すれば、訳者は一般にファンダメンタリストと称される立場の教会で信仰を持ち、今に至るまでその中で育まれてきた。しかし神の豊かな導きの中で、福音派、ペンテコステ・カリスマ派、エキュメニカル、カトリック、無教会など、様々な伝統の方々と交わる機会を与えられた。その中で教えられてきたことは、多様性を通して現される神の豊かさである。私たちの聖書理解は、誰のものであれ「今は、鏡におぼろに映ったものを見ている」 (1コリ13・12)に過ぎない。いつの日か神と顔を顔とを見合わせるとき、すべては明らかになるであろう。しかし今は不完全にしか分からない。それゆえ他者が必要となる。互いの聖書理解を尊敬を持って受け止め、学び合う中...

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2017年2月23日

読書状況 読み終わった [2017年2月23日]
カテゴリ 神学

著者はスコットランド長老教会の神学者。

アラスデア・マッキンタイアの共同体論とそのキリスト教的徹底であるスタンリー・ハワーワスの教会倫理学を評価しつつ、バルトの立場から、教会より広い世界に目を向けるべきことを語っている。

論述自体また翻訳の問題もあり理解が難しいところもある。しかし全体として、現代のキリスト教共同体論の諸論点が俯瞰できるという点で有用な書物。

2017年2月23日

読書状況 読み終わった [2017年2月23日]
カテゴリ 神学

アメリカの代表的説教学者ウィリモンの説教を、これまたアメリカの代表的神学者ハワーワスが批評するという構成。大変エキサイティング。

教会共同体を重視するポスト・リベラル路線として共通しているが、説教者と神学者という「場の違い」が端的に表れていると思った。

ハワーワスの指摘は神学的に大変鋭いが、ウィリモンは(自身も言っているように)礼拝共同体の現場に身を置いて、その中で言葉を紡ぎだしている。そこにはテンションが生じるのは当然なのだろう。

それにしても、ウィリモンが説教しているデューク大学チャペルは、本書の題名通り「通り過ぎていく人」の集まり。文字通り「食卓を囲む」交わりが持てるような地域教会とは明らかに場が異なる。

そのような、ある意味で「限界」のある場で、苦心して教会共同体としてのキリスト教信仰を伝えようとしているウィリモンに頭が下がる思いがする。

2017年2月23日

読書状況 読み終わった [2017年2月23日]
カテゴリ キリスト教一般

ウェスレアンと「物語の神学」の流れに立ったキリスト教概説。聖書の信仰を、創造から終末に至る「神の物語」として物語っている。

創造科学の問題や神人協働、諸宗教と救いの問題など、微妙な問題についても大胆に触れられている。そしてそのどれもが、大変、説得力に満ちている。

「神の愛」で全てが貫かれていて、読後に「新しい生き方をしたい!」と思わせられた。著者と(そして訳者と)同じ心を持った手引きを得て読み進めるなら、格好の神学入門になるだろう。

「神学書かくあるべし」と思わされた一冊。

2017年2月15日

読書状況 読み終わった [2017年2月15日]
カテゴリ 神学

原理主義fundamentalismが政治的な存在感を増しつつあった、9.11後の時代に出版された本。キリスト教・イスラーム・ユダヤ教それぞれを一神教と原理主義という切り口で論じている。同志社の一神教学際研究センターに(当時)属する3人が執筆している。

私がもっとも関心をもって読んだのが小原氏によるキリスト教の章。私自身が根本主義(fundamentalismについて内部ではこう訳す)の教会で育ったため、「外部」の見方として興味深く読むことができた。あえて言うなら、創造科学とID(インテリジェント・デザイン)論の区別があいまいであることや、ペンテコスタリズムについて触れられていないこと(そういえば佐藤優氏も同じ)には少し首を傾げた。しかし大部分は、歴史と現状についてオーソドックスに捉えられていたように思う。

ユダヤ教について論じた手島氏の章も興味深かった。キリスト教と聖書の一部(ヘブライ語聖書)を共有しているにも関わらず、ユダヤ教の通時的な展開について、あまりに無知だった。私にとって格好のユダヤ教入門となった。また、本章の中で論じられていた、『「原理主義」という言葉に私たちが感じる危険性とは、「宗教」の内容(信仰)自体なのではなく、その「教条主義」が問題であろう』という指摘は、我が意を得たり、だった。

イスラム教について論じた中田論文は、読み始めてすぐ閉じてしまった。どうも筆致が私の感性とは合わなかった。イスラムに付与されている暴力性的なイメージについて、過剰に防衛的な態度になっているように感じたたため。しかしイスラム教についても、一度きちんと学ぶ必要があると感じている。

2017年2月3日

読書状況 読み終わった [2017年2月3日]
カテゴリ 思想・社会

旧約、新約、教理史、組織神学、精神医学等の分野から選ばれた、12人の著者による論文集。
アプローチや文体、議論の密度は様々だが、どれもプラトン主義・アウグスティヌス・デカルトの霊肉二元論路線ではなく、ヘブライ=キリスト教的な「からだ」の復権を目指している点で軌を一にしている。
個人的には、喜多川氏が扱っておられた、パウロの教会論(共同体性)としてのキリストのからだ理解について、もっと深めたいと思った。

2017年1月10日

読書状況 読み終わった [2017年1月10日]
カテゴリ 神学

ちいろば先生こと榎本保郎牧師の伝記。神に救われ、用いられた一人の人間の歩み。また、周りに登場する人物や教会の姿にも神の確かな御手を見せられた。

2017年1月5日

読書状況 読み終わった [2017年1月5日]
カテゴリ キリスト教一般

旧約聖書は、創世記や出エジプト記あたりまでは、読みやすい物語が続いている。しかしそれ以降は細かな決まりごとが延々と続いたり、内容の重複があったりで、決して読者に優しいとは言えない。

教会の礼拝でも部分的に有名な部分ばかりが取り上げられることが多く、全体の流れを掴めているキリスト者は多くないと思う。その点、本書は旧約聖書のほぼ全体を網羅していて、なおかつ、小説風に再構成しており、とても読みやすい。

訳者あとがきにも書いてあったが、これから聖書を読もうという人だけでなく、すでに聖書に親しんでいる(はずの)人にとっても、大きな助けになるに違いない。

キリスト教では旧約聖書と新約聖書、両方を聖書として認めている。旧約聖書が読みにくいという事実をしっかり受け止め、本書のような書物の助けを借りる必要があると思う。

2016年12月23日

読書状況 読み終わった [2016年12月23日]
カテゴリ キリスト教一般

Ministry誌連載の単行本化。タイトルの通り、メンタルヘルスの視点から牧会の諸相を描いている。

とても読みやすい。この本に記されているようなことは、牧師だけでなく一般信徒もぜひ知ってほしい。しかし多くの類書は難しすぎ読んでもらえない。その点、本書は牧師が抱えている課題を幅広く知ってもらうために、教会の読書会などに最適だと思う。

2016年11月23日

読書状況 読み終わった [2016年11月23日]
カテゴリ キリスト教一般
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