豊臣方と徳川方の戦は可能性として想定できた。しかし、開戦理由は予想外の醜いものであった。慶長一九年(一六一四年)の方広寺鐘銘事件である。方広寺鐘銘事件は卑怯な言いがかりであり、徳川家康の汚点になった。
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