COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2008年 07月号 [雑誌]

  • 講談社 (2008年6月10日発売)
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感想 : 3
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クーリエ・ジャポン7月号に載ってる村上隆のインタビューがとても興味深かった。


おっ、って思った所に勝手にタイトルをつけて抜粋してみる。

斜体が引用部分。


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?日本におけるアートの限界
<I>
日本では、アートの見方のルールがメチャクチャなので、勝負球が投げられない。
やっぱり、オペラのように、ファイン・アートは西洋人の文化であって、そのルールを基盤にしてからでないと楽しめない。
言ってみれば、ぼくはイタリアでオペラの主役をはらせてもらっているようなもの。それを日本から見ても良くわからんでしょうし、理解する必要がないでしょうね。</I>





?欧米におけるアートの切実さ
<I>
欧米の人たちにとって、アートというのはキリスト教やユダヤ教と密接にかかわってる、ある種のイコンへの道筋なんです。
(中略)
そして、国の立ち位置によっても(アートへの)目線は違いますよね。戦争に勝利した国と、日本のように敗戦した国では、リアリティが違う。
</I>




?ユートピアとしての日本
<I>
これまで、「日本は世界の未来だ」とぼくが言ってきたのはなぜかというと、日本人は、毎日毎日鬱屈しているなかで、ちっちゃいエンターテインメントを見つけて発散して、自力で癒している。それって経済的にすごくリーズナブルなんですよ。それが成功しているぼくらの文化というのは、全世界に行き渡ってしかるべきです。たとえば、「お金をかければいいものができる」というハリウッドムービーのような考え方と、日本は真逆を行っている。それは、産業革命時に未来を思う小説家が夢想したユートピアそのものだと思います。だから、最近海外からの旅行者が増えているんだと思う。それに世界で、マンガを読むルールを理解できる子たちが育ってきたら、マンガが世界言語になるんじゃないですか。あと30年後、ほんとに日本の文化が世界の共通言語になると思うんです。まあ、それに対して、ぼくらは別にこぶし振り上げて誇りに思う必要はないとは思うんですけど。
</I>





?世界の救済者としてのオタク
<I>
いまは、「心の救済」にもっぱら争点が集中している時代です。だからこそ、音楽家や芸術家がこれほどまでに求められ、尊敬されている。そんななか、オタク文化は、一見わかり辛いですが、人間の「心の救済」に射程を定めて、すでに30年も起動し続けてきたんです。その答えとして、「萌え」がある。
(中略)
オタクのキャラ設定は、いまだネガティブな部分に集中しがちですが、彼らは、世界一センシティブで包容力のある人種に、一気に生まれ変わる可能性を持っているとも言える。日本のコンテンツは、ほとんどオタクたちがつくっていますから。それは、感受性の鋭さが武器になっているんです。
なので、オタクが世界を救うというか、世の中全部オタク化すると思います。かつてのコカ・コーラやマクドナルドみたいに、オタクが大爆発して、全世界、全員が知って、幸福になれると思いますよ。「萌え〜」って。
</I>


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「村上隆のどこがいいのかわからない。結局あの人の作品って『前衛的なアートを理解できる俺は一流だ!』というステータスを誇示するためのアートじゃないか」

っていう趣旨の批判って結構ありますね。

実際俺も村上隆が芸術家として評価される理由が分からない。



でもこれ読むと、「村上隆のどこがいいのかわからない」っていう理由がわかった。

村上隆の作品はファイン・アートの流れを前提としてはじめて評価しうる芸術だから、ファイン・アートの前提がない日本人には理解不能なのかなー、なんて。

海外での評価の方が高いというのは、悲しいけど必然なのかもな。


でも??にあるみたいに日本の文化は近い将来、世界のスタンダードに近い位置に来るのかもしれないから、そこまで悲観する必要はないかもしれない。

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カテゴリ: 雑誌
感想投稿日 : 2008年6月13日
本棚登録日 : 2008年6月13日

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