本の話を語り合う知己に「いままで読んできた中で、打ちのめされるようなすごい本ってなに?」と聞かれて本書を知りました。「すごい本」って聞かれたら、なんとか答えられる気がしたけど、「打ちのめされる」ってつくと簡単には答えられない、がその時の答えで、そんなら米原万里は、どんな本に打ちのめされたのだろう、とこの書評集を開いた訳です。で、打ちのめされたのは著者の読書量。通訳という仕事をしながら、これだけの本をこれだけの深さで読んでいる、という読書生活に圧倒されました。それが、子供の頃のプラハでの図書館体験や帰国した後の日ソ図書館での目いっぱいの貸し出しに基づいていることや、通訳としての基準をそれぞれの言語で小説を楽しめることに置いている、など、本を読むことと生きることが一体化していることに、慄いています。前半は2001年からの週刊文春の「私の読書日記」で、後半は彼女のそれ以外の全書評で構成されています。書評本って、よくない(?)のは、読みたい本がどんどん増えてしまうことで、結構メモってしまいました。また積読、増えました。20年前という時代、東欧の文学、社会、歴史という彼女の専門領域、からのチョイスということで普段だったら出逢わなかった本ばかりです。ただ、そのどれもが今の自分の問題意識を刺激し、改めて読書というのが個人の日々の暮らしから生まれて、普遍性に繋がっていく行為なのだと思いました。それだけに病との向き合いが始まってからの読書は、意志と知性の営みであって、いろいろな療法に翻弄されていくドキュメントになっています。「打ちのめされない」ための読書が「打ちのめされる」エンディングとして、突然カットオフされる感じに呆然としました。
- 感想投稿日 : 2021年6月27日
- 読了日 : 2021年6月27日
- 本棚登録日 : 2021年6月19日
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