簡単に言えば、ダーウィンの足りない部分を補完するような意見で、
対立しているものではないように見える。
ダーウィンの自然選択もしくは自然淘汰
と規定していることが意味があるとしている。
つまり自然淘汰以外の種の進化というのがあるという風に解釈している。
今西錦司氏は、
生物を構造的に見て 種社会を導入することによって
すみわけが、すみわけ理論として、確立される。
この場合でも種の進化を説明することができない。
ダーウィンは、個体差に注目していて、
個体差が、進化を推し進めていくと考えていた。
それは、ラマルクの形質獲得の遺伝という考えにつながる。
形質獲得の遺伝は、学生のころに夢中になって読んだことがある。
環境によって、遺伝形質が変わり、
その形質が 遺伝するという考え方であった。
『ルイセンコ論争』である。
そのときは、一体何を考えていたのだろう。
『進化論』というものが、政治的に利用されたということに
興味があったのだろう。
今西錦司氏は言う
『進化論というものは、科学の問題であるとともに
また、思想の問題である。』
思想の問題ならば、いくとうりの考え方があっていい。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
進化論
- 感想投稿日 : 2012年10月26日
- 読了日 : 2007年8月13日
- 本棚登録日 : 2012年10月26日
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