悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾

  • イーストプレス (2013年10月30日発売)
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1970年 熱い日々をおくっていた青春。
1969年9月25日。藤圭子は『新宿の女』でデビューした。「演歌の星を背負った宿命の少女」。
売れたレコード枚数 88万枚。
 私が男になれたなら
 私は女を 捨てないわ
 ネオンぐらしの 蝶々には
 やさしい言葉が しみたのよ
 バカだなバカだな だまされちゃって
 夜が冷たい新宿の女。
1970年2月5日 『女のブルース』売れたレコード枚数 100万枚。
 女ですもの 恋をする
 女ですもの 夢に酔う
 女ですもの ただひとり
 女ですもの 生きていく
1970年4月25日 『圭子の夢は夜ひらく』売れたレコード枚数 90万枚。
 15 16 17と
 私の人生暗かった
 過去はどんなに暗くとも
 夢は夜ひらく
1970年7月25日 『命預けます』売れたレコード枚数 70万枚。
 命預けます
 流れ流れて東京は
 夜の新宿 花園で
 やっと開いた花一つ
 こんな女でよかったら
 命預けます。

 19歳の藤圭子の低音のハスキーボイスで、凄みがあり、影があり、不幸な女がたどりついた最後の男に命を預ける。その4曲で、全てを出しきってしまった。作詞は石坂まさを。1970年念願の紅白出場、そして、前川清との結婚。あまりにも幸福な姿に、不幸の味は消えてしまう。1年で、前川清と破局。本当はロックが歌いたかった。アメリカに行く。そして、1982年再び結婚。1983年1月。宇多田ヒカルを産む。ヒカルを天才だと言って売り出す。1998年15歳の宇多田ヒカルが歌手デビューする。2013年8月22日 62歳。新宿6丁目にある高層マンションの13階から飛び降り自殺をする。新宿の女で始まり、新宿で死ぬ。壮絶な生き方としか言いようがない。都会の孤独の象徴のような生き方をする。
 父親は浪曲師、母親は瞽女であり浪曲師。巡業中の岩手県一関市で生まれる。3歳の頃北海道旭川市に定住。両親は巡業を続けるが、貧しい家庭だった。流しに幼い頃から、母と出ていた。15歳の時、岩見沢の雪まつり会場で北島三郎の『函館の女』を歌い、目に留まる。上京し、石坂まさをと出会い、二人は懸命の努力をして、レコードレビュー。石坂まさをは、藤圭子の中に何かがあると思った。
 この本を読んで、藤圭子、そして宇多田ヒカルのことを知る。歌を歌うことの定めのようなものがある。自己主張は明確。好き嫌いのはっきりしていた藤圭子。したくないことはしたくないという。
藤圭子は、藤圭子なりに、1970年を走り抜けた。ある意味では、「生きづらさ」をはっきり歌った歌姫だった。読み終わって、なんとも言えない気分となる。宇多田ヒカルに「あなたはいったいどういう人間なのか?自分のことをどう思っているのか」と聞かれたら、「人でありたいという気持ち意外考えたことなかった」という。ふーむ。なるほど。
#大下英治 #藤圭子 #石坂まさを #宇多田ヒカル

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歌/音楽
感想投稿日 : 2023年7月19日
読了日 : 2023年7月19日
本棚登録日 : 2023年7月19日

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