英語でのタイトルは"When Marnie Was There"。
これを『思い出のマーニー』と訳すのって、すごいと思った。私だったら『マーニーがいたとき』だな(笑)
マリアンナという名前もよく考えられていると感じた。
※映画では違うけど・・・。映画版はアンナが日本人で場所は北海道の設定。
「スペイン風の響きもあって・・・」と書かれていたが、marine(海の)という意味もあるのだろう。Marnieはmarineのアナグラムだし。
みんなは「内側」にて楽しんでいるが、アンナは「外側」にいる・・・そうだ。「内側」「外側」というのはよくわからないけれど、すぐにグループ化する女子たちについていけず、常に独りでいるような状態はよくわかる。私もそうだった。特に小学生のときは・・・。
アンナはリンゼイ一家と仲良くなり、「内側」にも入れるようになるが、これまで関わってきた周りの人たちの何がいけなかったんだろう。プレストン夫人は心配性すぎて、なんか嫌なのはわかるけど(笑)ペグおばさん・サムおじさんは割とほったらかしにしておいてくれたはずだ。
「じゃあ、結局だれがいけなかったの?」眉をひそめて絨毯を見おろしながら、ジェインが訊いた。「だれとも言えないわね、それは。」ギリーは答えた。「あなたもわたしくらいの歳になると、これはだれそれの責任、あれはだれそれの責任、って言えなくなると思う。長い目で見ると、責任のありかはそうはっきりしなくなるから。責任はどこにでも押しつけられるだろうし、どこにも押しつけられないかもしれない。どこから不幸がはじまるか、なんてだれにも言えないんじゃない?」
p335・336より
・・・こういうことなのだろうか。
初めて会う子にも関わらず、すぐに「内側」に入れてくれるようなおおらかさ、寛大さ。私もリンゼイ夫人のようなお母さんになりたい(*´∀`*)
- 感想投稿日 : 2015年6月13日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2015年6月13日
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