たくみと恋 (岩波文庫 赤 410-0)

  • 岩波書店 (1934年6月30日発売)
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18世紀後半ドイツの所謂 Sturm und Drang (疾風怒濤)期を代表する劇作家シラア(1759-1805)の戯曲、『たくらみと恋』とも訳される、1784年の作。貴族階級の男と平民階級の女との悲恋を主題にした、ドイツ市民劇の代表作とされる。

シラアが、個人の内面の真実とその自由に至上の価値の光源を見出しているのが、よく分る。また、個人を束縛しようとする身分差別などの社会的因習や既成権力に対する嫌悪も、まっすぐに表明されている。そこには、のちのロマン主義にも通じるような、若く瑞々しい理想主義的な――老成した冷笑家ならば「青臭い」と云うであろう――感性が誇らしく輝いている。同時に、内面への隠棲・沈潜の傾向も既に垣間見える。

「所が、私の理想とする幸福はもつとずつと無慾なもので、私自身の胸の中へ引き籠らうとするばかりです。それ故あらゆる私の願望は殘らずこの胸の中に収められてゐるのです。」

「併し私は戀をしてゐるのです。因習と自然との喰ひ違いが深ければ深いほど、私の希望は益々高まつて行きます。私の決心と周圍の偏見!――一時の風習が勝つかそれとも人道が勝つか、私は一つやつて見ようと思ふのです。」

「併し極端まで突き進むものは戀だけなのだ。」

「今僕の胸には僕の愛情にも負けぬ雄大な不敵な一つの考へが押し寄せてゐる。ルイイゼ、お前と僕とそれから愛――というこの圈の中だけで天國は盡てゐるぢやないか。」

「今に差別といふ垣根が倒れて、身分といふいやな殻が抜けて、人間が只ありのままの人間になる時がくれば、その時こそはねえ。」

「ここ[宮廷]での最上の智慧と申せば、臨機應變に手際よく大きくも小さくもなることでございますからな。」

若い二人の主人公だけでなく、ヒロインの父親が魅力的であった。第二幕第六場、平民楽師ミラアが自分の娘を侮辱した大臣ワルタアに啖呵を切る場面は、悪辣な世俗権力に対して民衆の素朴な人間性が反抗するという意味で、この物語全体を象徴する名場面の一つであると思う。

しかし、第四幕後半以降の流れは、陰鬱で重々しく、前半までの若々しい躍動感は無い。大臣の奸策にまんまとはめられて猜疑心に駆られてルイイゼを責め立て続けるフェルヂナンドの激情も、物語の流れの中でバランスを欠いているようにも感じる。その他の人物造形も後半になってチグハグになってくるような気がした。物語が何処か喜劇じみていて、無意識のうちに幸福な結末を予期しながら読んでいたために、そう感じたのかもしれない。しかし悲劇の大きなカタルシスもなく、肩透かしを食らったようで、読後感はあまり好いものではなかった。

実吉捷郎の訳は、やはり巧い。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ドイツ文学
感想投稿日 : 2011年10月2日
読了日 : 2011年10月1日
本棚登録日 : 2011年10月2日

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